人生は夜の山道を行くような
車は平地を走る。太陽がゆっくりと大きくなりながら、落ちていく。道路の脇には既に紅茶畑が広がる。その内山道に入ると日も暮れて、暗い。運転手は本道ではなく、脇道からマカイバリを目指そうとしたが、狭いその道には瓦礫が散乱しており、上るのを断念した。
車は平地を走る。太陽がゆっくりと大きくなりながら、落ちていく。道路の脇には既に紅茶畑が広がる。その内山道に入ると日も暮れて、暗い。運転手は本道ではなく、脇道からマカイバリを目指そうとしたが、狭いその道には瓦礫が散乱しており、上るのを断念した。
先月あった地震はダージリン地方では左程大きなものではなく、運転手も運転中で全く気が付かなかったと言う。顔も似ているし、地震地域であることも似ている。益々親近感が出る。被害が大きかったのはシッキム。一時は道も塞がっていたが、今は問題が無いようだ。
本道の上り口、シリグリと言う街との分岐点で車が渋滞を起こしていた。山道が狭いため、一度に沢山の車が上ることは出来ない。それにしても実に多くの車がこの道を目指している。ダージリンにも通じる道であろうか。それから数十分は運転手の独壇場であった。狭い道を上下で譲り合いながら進む。山道で切り返しも多く、夜道でもあり慣れていないと溝にはまる。かなり怖い思いもする。
それでも開けた窓から新鮮で少し冷たい空気が入ってきており、気持ちはよい。このままスーッと暗闇の茶畑に吸い込まれてもよいと思えるほど、気分はよかった。生きて行くとはこのような夜の山道を行くようなものだ。一寸先は闇。