6時半過ぎ、空港を出てから2時間弱。とうとうマカイバリに到着。工場前に車は停まったが、門は閉まっている。周囲は既に真っ暗。運転手が人を探してきた。人が2人上がってきて、「ウエルカム」というのを聞き、取り敢えず何とかなると思えた。
彼らは私の荷物を持って、今来た道を下に降りはじめた。運転手はこれからまた2時間掛けてダージリンの家に帰る。そこで別れた。道には車が溢れており、そこを縫って進む。ある所で脇道を降りる。暗くてよく見えなかったが、すぐに家に着く。木造の小さに家に入り、ここがホームステイ先だと告げる。
家の主人は出掛けており、1時間で戻るらしい。この家にはお婆さんとお嫁さん、子供が二人いた。言葉は通じるのだろうかと思っていると何のことはない、8歳の男の子、ショーナムが英語で話し掛けてくる。英語の学校に行っているらしい。ドルガプージャ祭りで学校は1週間休みだったとか。日本についても「ツナミ」などを知っており、結構驚く。
更に3歳の女の子と間違うほどかわいいリーデンとショーナムは兄弟ではなく、従弟同士だった。リーデンのお母さん(お嫁さん)は家にいたが、お父さんはコルカタ付近で仕事をしているらしい。この家を預かるパサンは弟で、ショーナムのお父さん。この関係だけで見ても、今の日本にはあり得ない家族構成だ。
家は極めて質素。5つの小さな部屋に分かれており、私もその一つに入れてもらった。仏教徒のようで、祭壇にはブッダ像があり、お婆さんが線香を上げていた。しかしその横にはTVがあり、ショーナムは「クレヨンしんちゃんを見ると怒られる」などと言いながら、四六時中カートンネットワークを見ている。その横にはPCもあった。台所兼食堂は別棟、更にトイレは外。典型的な家らしい。
ショーナムとTVを見ていると、お決まりのように停電となる。ラダックでの体験もありそれほど気にはならないが、やはり真っ暗なのは不便である。直ぐにお婆さんがろうそくに火を点ける。慣れている様子から停電が多いことが分かる。この日は1時間以上回復しなかったが、普段は数分から30分程度で復旧する。「電気が足りないのではなく、管理に問題があるのだ」との声を聞いたが、そうなのだろう。
お蔭で台所脇のテーブルでろうそくの明かりで夕食を取った。スープ麺はちょっとスパイスが効いていて、美味しい。麺はちじれ麺。お嫁さんが作ってくれた。彼女は英語を流ちょうに話す。ご主人はレプチュー、彼女はタマン族の出身で、ここから車で3-4時間離れた村から嫁に来たと言う。シリグリの大学にも行ったと言うから才媛である。
食事が終わる頃、私の世話役であるパサンが戻ってきた。彼はショーナムの父親、奥さんはネパール人で今はカ
トマンドゥに帰っており不在。カトマンドゥでシェルパのトレーニングを受け、エベレストのベースキャンプ(5,000m)まで行った男だと言う。今は故郷に戻り、トレッキングガイドなどをする傍ら、村のボランティア活動なども担っている。ホームステイプログラムにも積極的に関与しているようだ。
その夜、何事もなく寝たのだが、夜中にトイレに起きる。ところがこの家のトイレは外にあり、周囲は真っ暗で電気のスイッチの場所すら聞いていない。それでも尿意には勝てず、暗い中家を出る。家からトイレまで途中に段差があり、危うく、転びそうになる。今や日本には漆黒の闇などはないが、ここでは夜目も効かない私には漆黒としか思えない。
ようやくトイレに行き、何とか用を済ませたが、部屋に戻る所で思い切り肩をぶつける。かなり痛い。文明社会に慣れきって、何でもスイッチ一つで事足りると油断した報いが来た。