昨晩パサンに「ラジャ氏は8時半から工場を見て回り、その後お祈りをするから、9時過ぎに行けばよい」と言われたが、そこは日本人、8時半と約束すれば相手が来なくても8時25分には彼のオフィスに行ってしまった。
案の定、彼は工場に行ってしまい、そこに若いカナダ人カップルがいた。旦那はトロントでTVコマーシャルを作っているとか。よく聞けば1970年代、親がカナダに移民したインド人だそうだ。カナダで育った彼はインドの文化や慣習をあまり知らないらしい。今回の旅は自らの文化を知ることで1か月回っている。カナダは英連邦であるから当然紅茶文化だろうと思ったが、やはり最近はコーヒーが主流。茶のイメージは薄れていると。
トロントもバンクーバーもいまや大陸中国人が大量に不動産を買い、移民してきている。その勢いは驚くべきスピードだと言う。この辺りが金に物を言わせて、その地の文化を理解しない中国人として、嫌われる要素がある。インドでも中国の力による侵攻には警戒感を強めており、例えばシッキムに中国人は入ることが出来ない(パキスタン、バングラディシュも)など、一定の制限を設けている。昔日本も同じように思われていたと思うと、何だか情けない気がしてきた。
因みにここにホームステイする人は、ヨーロッパ人が主流。偶に韓国人や日本人もいる。最近はインドのデリーやコルカタ、ムンバイなどもからもビレッジライフを求めてくる人々がいる。またドイツ人でボランティアとして、水タンクの寄贈を行うような人もいる。実に多様性がある中、日本人でも写真撮影に来たり、ラジャ氏との交流のために茶業者、ジャーナリスト、芸術家、実業家などが訪れていると言う。
その夜、パサンと話した。彼はこの村の発展を真剣に考えていた。「自分たちは大儲けをしようなどとは思わない。また今の自然な生活を捨てようと思わない。しかし例えば子供たちにもっと教育の機会を与えたい。そのため、学校建設を計画している」
その計画によれば、それは専門学校のようなものであり、お茶製造の技術から、車の修理や電気関係など、この村として必要な物を皆で教えようと言うもの。先生はこの村でその技術を持つものが担当、その他事務員なども村人で賄うと言う。
「旅行業はどうしてもコルカタやダージリンなど都市の旅行社がアレンジしてしまい、我々にはあまり利益が無い。何とか自分達でツアーをアレンジしたり、企画したりもしたい」とも言う。確かに私ももしパサンを知っていれば、彼に英語でメールを送り、手配を頼んだかもしれない。欧米人の多くは、旅行社などは通さず、自ら連絡を取り、中には直接やって来て、ステイしていく者もいる。「日本人はどうして旅行社を通すんだ」と聞かれて困る。寄付金で学校を建てる、寄付付きツアーは日本でも流行るのでは。