ダージリンはイギリスの街
ダージリンは傾斜地であり、当然坂道が多い。今朝も食後、早々に散歩に出て、この坂道を下る。途中脇道があり、そちらへ曲がると、制服の高校生が皆同じ方向へ行く。こんな坂の下に学校があるのかと思っていくと、やはりあった。
ダージリンは傾斜地であり、当然坂道が多い。今朝も食後、早々に散歩に出て、この坂道を下る。途中脇道があり、そちらへ曲がると、制服の高校生が皆同じ方向へ行く。こんな坂の下に学校があるのかと思っていくと、やはりあった。
立派な高校である。建物はいつ頃建てられたのだろうか。イギリスと言う国はアジアのどこにでも立派な建物を建てている。それは何故なのであろうか。自らの威厳を示すためだろうか。単に母国と同じ物を作っていただけなのだろうか。いずれにしてもイギリスが当時世界一の国であったことは間違いがない。この高校一つ見てもよく分かる。
更に横道を下ると、昨日の駅に出た。その付近の道路には、シリグリ行きなどのジープが待機。公共交通機関として使われている。やはりこのような坂の多い場所はジープのような乗り物でないとダメなのであろう。
今度は坂道を上る。いくつものイギリス時代の建物に出くわす。カルカッタの避暑地としてイギリス人が開拓した、それにしても遠い所だ。どうしてだろう。ただの避暑地と言うよりチベットやヒマラヤへの玄関口として機能していたのだろうか。河口慧海のチベット旅行でも再三登場する所から見ても、重要性は分かる。
大きな真新しい建物も見えた。何とこんな所にも大型デパートが進出している。地元の人々も伝統的な市場を捨てて、デパートへ行くのだろうか。場所柄、この建物には興ざめするが、これもまた一つのインドであろう。
ホテルの横まで戻る。実はホテルの横に気になっていた一つの建物がある。病院、1847年と書かれている。ダージリンで病気になったイギリス人は全員ここにやって来たのではなかろうか。雰囲気からすると療養施設だったのかもしれない。