最初の2時間、目を瞑って身動きせずにいると、本当に修行僧になった気分だった。徐々にそのポーズにも慣れて来て、落ち着きが出て来た。車内は前列にオジサンが二人。真ん中に男女2人ずつ。真ん中にはそこそこ余裕がある。それでも羨ましいという感じはない。
途中で休憩があった。そこには簡単なレストランと売店があった。先ずはトイレに飛び込む。車に乗っていて一番心配なのはトイレに行きたくなることだったが、その心配も無くなった。やれやれ。歳を取った気がした。
乗客は思い思い、食事をしたり、自分で持って来た物を食べたりしている。他の車も何台か停車している。見れば、ワーカーを乗せている車もある。若者はジーンズを穿き、おしゃれになっている。
前の座席に乗っていた人が英語で話し掛けて来た。いきなり日本人かと聞かれ、驚く。顔は我々と同じ。ネパール人だと名乗る。これからネパールに帰るところだという。シッキムには何度も行き、このタクシーでシリグリを往復している。ネパールも含めて、この辺の地域ではこのシェアタクシーが当たり前の乗り物で、慣れれば快適だとも言う。
彼と話した後、車の中で考える。「全てをお金で解決しては何も見えては来ない」。確かに私はタクシーを個別にチャーターすることも可能だった。時間も短縮できるし、間違いなく、行きたい場所へ連れて行ってくれる。しかし、そんな生活は、本当の人生の歩みではない。我々は現在お金を使って、一見様々な物を解決しているように思っているが、実は何も解決できていないし、それは決して幸せなことでもない。時間や手間を掛けてしか、見えてこないものを今後は見ていこうと思う。
再度出発して2時間強、山道をクネクネ行く。1時間ぐらい進んだ大きな橋の袂で最初の一人が降りる。ドッーと楽になる。次に2人降りた。そしていよいよ街らしくなってきた。私はどこで降りればよいのか、全く分からない。実は地図も持っていないし、ガイドブックもない。
市場のような所で残り全員が降りた。さっきのネパール人が「どこへ行くんだ」と聞くので、昨日旅行会社で聞いた唯一のホテル名、シャングリラと告げる。周囲にはリキシャーが大勢待っていたが、全員がそのホテル名に首を振る。
仕方なく、私だけが終点まで車に乗る。ところが終点は何と、さっきの市場の道の反対側。車はただユーターンしただけだった。それで全員が降りた意味が初めて分かる。運転手は私に全く関わらずに車を降りてどこかへ行ってしまう。いよいよ一人ぼっちだ。