(9) チケットを買って
朝食後は小雨の降る中、更にホイアン散策に出る。もうすぐこの街を離れると思うと、どうしても歩いておきたくなる。橋の袂のチケットオフィスで通し券を買う。これだと好きな参観場所、5か所を見ることが出来る。
先ずは博物館へ。ここに日本町時代の日本製の茶碗などが展示されている。江戸時代初期、日本からやって来た商人たち、そしてキリシタンたちもここで暮らしたことだろう。船の往来も頻繁で、マニラ、アユタヤと並ぶ3大日本人町が作られていたようだ。幕府の鎖国政策で帰れる者は日本に戻り、帰ることが出来ない者はこの地で果てたであろう。
お寺にも行ったが、何だか観光地化していて面白くない。きれいに修復されており、雰囲気が出ていない。古民家を改造した展示場もあった。漁業の道具などが展示されていたが、あまり興味をそそられない。それよりも、家そのものの古さ、構造、小さな中庭などは、中華風であり、他の東南アジアとの類似点が多く見られた。それでも中国人観光客がホイアンを訪れることは少ないという。中国内でも見られる風景だからだろうか。
日本橋も渡ってみる。日本人の学生かな、団体が日本語ガイドに連れられて来ていたが、何でもかんでもガイドに聞き、その態度があまり宜しくない。そんなことを聞いてどうするのか。日本語が出来る人への対応は日本人一般に横柄な印象があり、言葉が通じないと押し黙ってしまう、中国人も同じだが。
橋の中ほどに廟があり、参拝している人もいる。橋を眺めていると何だかとても形がよく見える。観光客が押し寄せなければ、実によい橋であろう。橋の向こうにも古民家がったが、直ぐに立ち去る。既に相当疲れていた。雨も止まない。
道の外れに誰も来ない廟があった。中国のどこかの同郷会であろうか。何となく入って見ると、オジサンが暇そうに座っていた。北京語で話し掛けると嬉しそうに、色々と説明を始めた。太鼓を敲いて見せてくれたりした。観光地とは思えない場所、そんな所が好きだ。
ホテルに戻り、チェックアウトする。ちょうどこのホテルの支配人がいた。彼は日本語が出来る。ホテルの給仕から始め、日本語、英語を学び、フロント係などの顧客対応を経て、遂には支配人を任されたという。何というサクセスストーリーだろう。「日本語は忘れた」と言いながら、楽しそうに話してくれた。