(7) お墓巡り
バスはフエ郊外の観光地へ向かう。観光地と言ってもグエン王朝時代の皇帝のお墓が2つ。先ずはバスで小1時間行ったところにあったミンマン帝の墓。1840年から3年間かけて作られたという。ここは静かで質素な感じが良い。大きな石碑が建っており、中国と同じ様式。更に広い園内を散策。何年もかけて作られたお墓、その労力は凄い。
いくつかの廟があり、池も配され、そして小山へ。そこがお墓だが、開放されてはいない。非常に枯れた感じが好ましい。何だか日本の古墳を思い出した。
次に向かったのはカイディン帝の墓。1920年帝の生存中に建設が始まり、その死後1931年に完成したという。この墓は先ほどの物とは全く趣が異なる。門が既にバロック様式かと思わせる。ヒンズー的な塔が建っており、仏教的、いや中国的な建物も見える。ここは完全なる混合洋式だ。王朝末期はフランスの植民地となっており、西洋的な要素が入るには当然かと思いうが、それにしてもこの混ざり具合は皇帝の趣味なのか、それとも何か理由があるのか。遺体は何と彼の銅像の下にあるという。ある意味で革新的なお墓だ。
皇帝の写真も残されており、確かに洋風。壁には何故か戦前の日本のビール瓶の破片で作られたモニュメントもあった。ガラスなどが貴重な時代であったろうか。日本は1940年に北部仏印進駐を果たしているが、一体何をしただろうか。
そして何故か、いや観光ツアーだから、少年少女による武芸を見学する。獅子舞のお出迎えを受け、様々な型の武術が披露された。みんな一生懸命やっている。聞けば、この施設はボランティア団体が運営している。この子達も何等か、事情があってここに来ているらしい。
うーん、このようなツアーに組み込まれた施設には何かしら違和感がある。彼らは自分の出番が終わると裏に引っ込み、バナナを食べる者、遊んでいる者もいる。何となく仕事と割り切っている雰囲気。最後にドネーションに依頼があった。欧米人は気軽に応じていたが、どうなんだろうか。
もう一つ帝廟に行ったが、名前は忘れてしまった。正直同じような作りだからだ。ここで気が付いたことは観光客の中に、戦時または戦後ベトナムから亡命したと思われる家族がいたことだ。ガイドは英語のほか、ベトナム語も使っていたが、そのお婆さんやお爺さんの為のものであった。パリから来たという家族は、まさに里帰りと言う雰囲気で、ゆっくりゆっくり祖国を踏みしめているように見えた。