イスラムの浸食とは
そして今日の活動は学校の横の小山の上にあるパゴダ付近の掃除と決まる。お寺から学校の前を通る。するとどこからともなく、子供たちが出て来て学生の方に近づく。学生たちは学校の生徒だと思い、挨拶をし、交流が始まる。言葉は出来ないが、お互い何となくよい雰囲気になり、笑い声が広がり、学生から離れない子も出て来る。
ところがこの光景を苦々しく見ていたのが、お寺の坊さんと学校の先生。一体何故か。それはこの子供たちがラカイン族ではなく、イスラム教徒、ベンガル人だったからだ。彼らは何らかの理由でよそからこの土地にやって来て、お寺や学校の敷地に勝手に小屋を建て、住み始めていた。当然ラカイン族は面白くはないが、しかし少数派。多数派に押されて、黙っている。
学生たちはとても楽しく、仲よく遊んでいたが、途中でそれを遮られ、訳が分からないという顔をする。仏教徒でもイスラム教徒でも子供は子供。仲良くしてどこが悪いのか、という表情だ。その気持ちは分かる。そして彼らは気が付く。何故宗教間の対立があるのか、何故子供同士が仲良くできないのか。この問いは本来小学生の時にでも考えるべき課題だが、残念ながら日本ではその機会は与えられていない。彼らは突然襲ってきた難問に頭を抱えている。簡単に片づけようとしても出来ないだろう。
結局イスラムの子供たちはそのまま小山の上まで付いてきたが、さすがに仏教徒の大人に阻止され、途中で止まる。もし彼らの侵入を黙認すれば、翌日からどんどん小山に上がり、パゴダが侵食されていくだろう。現に他のパゴダでは、何と小山が削り取られ、とうとうパゴダが倒れた、という信じられない話も出た。まるで砂場の山崩し遊びのようだ。
なぜそのようなことが起こるのか。バングラディシュは国土に比して人口が圧倒的に多い。北海道2つ分に1.5億人、いるというのだ。そして悪いことに洪水も多い。家を失った人々はよそに土地を求めて入り込む。結果として少数民族の土地が侵される。勿論バングラにも法律はあるだろう。不法であることには違いない。しかし土地を失っている人々に配慮して、強制排除などの手段には出ないという。こうして、どんどん浸食が起こる。
パゴダ付近もゴミだらけだ。仏教徒はきっとゴミは散らかさないだろう。実に考えさせられる問題だ。結局この日はイスラムのお祭りの日と言うことか、ゴミ拾いも明日に延期となった。