(5) 三日目午後 帰りトラブル
それから豪華な昼ごはんが出た。特に鶏肉が美味しかった。村を走り回っていた地鶏であろう。その後は何となくダラリ。学生達は村中を歩き回り、その後ろをちょこちょこと子供達が着いて行く。村外れの田園風景はキレイだった。
彼らは村の学校に向かった。男子チームは校庭でサッカーを始める。皆暑い中、真剣にボールを蹴る。いいね。女性チームは隣のお寺の境内で、みんなで輪になって踊る。こっちも最初はちょっと恥ずかしそうだったが、直ぐに笑いがこぼれる。何だかとても懐かしい、昔の子供たちを思い出す。
校庭の向こうに校舎があった。そこを訪ねると、プレートが嵌っていた。何とこの校舎、日本政府の寄付だった。しかしその後のケアーがされている様子はない。これが日本の現状だ。やる時はやるがアフターケアーが無い。中国でも他のアジアでもよく聞く。考え方を変えないと支援は逆効果となる。
帰りも分乗して戻る。ところがオートの運転手が途中で燃料を入れにガソリンスタンドへ。そしてその料金を払えと主張し出した。言葉は通じない。ラジョウとの話がどうなっていたのか分からない。携帯もないから連絡も付かない。私は支払いを拒否した。
すると男子チームリーダーS君が『運転手は金が無いからどうにもならないでしょう』と言って、ポンと500タカを渡した。これで運転手もニコニコして走り出す。その後ラジョウには事情を説明したが、その金が戻ったのか、料金はどうなったのか、忘れてしまった。
しかし、中国などで我々がやって来た交渉はこのような場合、決して譲らない。譲れば相手のペースとなる。勿論運転手は悪い人ではないが、こちらを試している、そう見てしまう。しかし若い学生はそんなことに頓着はない。金で何でも解決するのはどうかと思うが、場合によっては見切る、ということも大切かも知れない。学生に教えられたような、ちょっと釈然となしないような、不思議な気分となる。