香妃の墓
午後も観光に出た。カシュガル郊外、イスラムスタイルの建築物を目の前にする。なかなか格好が良い建物だ。冬は観光客がいないのか、係員も探さないと出て来ない。アパク・ホージャ一族の墓、15世紀以降、この地を支配した一族の墓と聞き、ちょっと意外な感がある。
1640年、この地の王であったホージャーが創建。建物の外壁は継ぎはぎのように様々な色のレンガで組み立てられており、面白い。1族5代、70人以上が眠ると聞く。建物の入り口には精緻は模様が描かれており、栄華が忍ばれる。
このお墓が注目されるのは、何と言っても清朝の乾隆帝に見初められ、北京に連れて行かれた香妃の墓があるからであろう。香妃は伝説で満ちている。彼女は香水もつけないのに体から花の香が漂っていたので、「香妃」と呼ばれたとか。1760年、乾隆帝の妃に召されるも、皇帝の愛を拒んで自殺したとか、故郷を想うあまり病死したとか、また皇太后に殺されたとも伝えられている。遺体がカシュガルに送られ、この墓に葬られた。また全く別の話としては、香妃は皇帝の愛を受け入れ長く共に暮らし東陵に葬られ、後にカシュガルに移されたとも。真相は不明。
いずれにしても少数民族の悲哀が出ている墓である。現在でも香妃のような女性はいるのだろうか。想像していくとどんどん膨らんでしまうのは、昔の人と同じだろうか。