精米工場
それから精米工場の見学に出掛けた。その敷地は広く、バスは入り口でストップ。雪が積もる中を歩いて向かう。工場内に入ると僅かに残るコメの袋が見えるのみ。やはり冬、今は精米の時期ではないと見える。
社長という女性に事務室に招き入れられる。実に質素な部屋で、だるまストーブが中央にあり、薬缶が上にのり、ボーボーと薪が燃やされる。北国の冬の光景がそこにある。何だか寒々している。ウイグル族の女社長に話を聞いて驚いた。彼女は2008年まで公務員だったが、米精製業の将来性を見込んで、この民間会社の社長に転職。主に中国東北地方から米を輸入し、新疆地区で売り捌いている。09年には数百万元を銀行から借り、事業は順調だったという。ところが・・。
09年にパキスタン、10年にはキルギスへ米を輸出し、その代金が回収できなかったという。そして資金繰りが厳しくなったが、銀行は以前と打って変わって審査が厳しくなり、融資が受けられず、今では原料のコメの輸入がままならない状態だとか。工場に米が無いのは季節要因ではなく、操業停止状態だったことになる。何故輸出したのか、また担保や保証を何故取らなかったのか。「国の指示だから」の一言。中国政府は自然災害のあった友好国のパキスタン、財政の苦しいキルギスへの援助にこのような民間企業も使っていたのだ。「政府との関係が悪くなるのは困るから拒むことは出来ない」のだ。
何故09年は融資が受けられ、最近は受けられないのか。まさにこれは08年の4兆元の景気刺激策と、昨今の金融引き締めの影響がもろに出ている。彼女はウイグル語で話しているのだが、私にはその内容が理解できたような気がする。「単に金融引き締めだけではない。漢族のリーダーは資金を漢族にしか回さないのだ」との叫びが聞こえたような気がする。「我々ウイグルは漢族のように良好な『関係』を金融機関と築けない」
また融資を受けること自体、イスラムの教えに反する部分もある。ウイグル族同志であれば、所謂イスラム金融で貸借を処理するが、殆どの利権を漢族が握る中、ウイグルが資金を得るのは難しいようだ。少数民族が起業して成功するのは、現代中国では容易ではない、という一端を垣間見た。