益陽茶廠
一旦ホテルに戻り、休息。2時半に再度お店へ行くと、何だか雰囲気が少し変。奥さんが申し訳なさそうに「実は急用が出来たので、一緒に工場に行けなくなった。あんた、一人で行って」という。一人で行くのは良いが、場所はどこでだれと会えばよいかと聞くと「工場はタクシー運転手なら誰でも知っているから問題ない。会う相手は私も知らないので、工場で聞いてくれ」という。
中国ではこういうことはよくある。決して相手に悪気はない。だが、振られた方はそれを無理難題と感じるだろう。その時の私もそうだった。それでもご縁で旅をする私、取り敢えず行ってみようと表へ出てタクシーを停めて「益陽茶廠」と言ってみたが、運転手は「それ何処にあるんだ?」とのっけから座礁した。結局タクシーの中から店の看板に書かれた電話番号に電話し、奥さんから運転手に行き先を告げてもらった。やれ、やれ、こういう所は中国的いい加減さ。
タクシーは街中を抜け、益陽郊外へ出た。そこには工場団地がある。そして何とその工業団地の一つの工場の前で停まる。ここだ、降りろ、と言われ、門の守衛さんに「工場見学に来た者ですが」と言ってみたが、「誰を訪ねて来たんだ」とつっけんどんにかわされる。こうなることも何となく想定内。
あーだ、コーダ、言っている内に守衛もどこかへ連絡を取り、ビルを指してあそこへ行けという。ビルに入っても受け付けも何もない、途方にくれ、適当なオフィスに入って聞くと、「それなら4階かも」と言われ、何とか辿り着いた。今は株式制に移行したようだが、如何にも国営体質。どう見ても客より工場の方が偉い。
それでも広報担当の女性はにこやかに工場の歴史を説明してくれ、概要を掴む。元々は安化にあった工場を1958年に益陽に移転。当時は何もなかったが、今では工業団地の中に入ってしまった。国営工場として、主に辺境茶の生産に注力、文革中でも生産を止めなかった。現在でも辺境茶のシェアは約25%で全国一。新疆を始め、青海、チベット、内モンゴルなどへ納入している。2010年の上海万博ではブースを出し、宣伝活動に務め、北京や上海でもブームを起こそうとしている。2005年に株式制に移行、工場に勤務していた人々が株を持ち合っている。従業員325人。殆どが地元の人間だ。2008年には国家非物質遺産に登録され、「茯砖茶」の加工技術は国家機密に認定されているため、工場見学が原則禁止となっている。
そして同じ建物の中にある博物館に行く。ここでは技術責任者が案内してくれた。湖南省の黒茶の歴史は500年あまりあるが、従来茶葉を作るだけで加工は陝西省あたりで行われてきた。1939年に加工技術が導入され、新たな歴史が始まったようだ。だが国営工場であり、国の指示でレンガ茶を作って来たこの工場は、最近になり漸く儲かる茶業を模索しているという。千両茶の生産も復活させるとか。
帰りはタクシーもなく、歩いて行く。途中でバスも走っていたが、1時間掛けてホテルへ戻る。夕飯は面倒なので一人でホテル内レストランへ。ところが何と個室しかないのか、一人で部屋を占拠する羽目に。これもまた面白い。ウエートレスも愛想がよく、本当に心地よいホテルだ、ここは。