(3月16日) 日本人墓地慰霊祭
本日はハッピーバレーにある日本人墓地の慰霊祭に行って見た。先日香港駐在時代からの知り合いが「花見はどうする?」と聞いてきた。何の話か分からなかったが、何と1年前の飲み会で「日本人墓地に桜を植えたらしい」との話題が出て、「それならコラムのネタになるかも」と答えていたらしい。凄く記憶力の良いNさんと2月下旬に行って見たが、既に花は散っていた。だが、ここに眠る日本人、そしてその墓にはかなりの興味を惹かれ、日本人倶楽部から本が出版されていること知る。シンガポールで最近会ったMさんが全ての写真を撮っていた。KさんやSさんが執筆していた。
この墓地はそもそも香港にやって来た外国人の為の墓地であり、日本人墓地という名称ではない。紅毛墓地と呼ばれていた。更に戦前日本人の墓はこの地になく、大杭道あたりにあったという。明治11年(1878年)から昭和20年(1945年)までの68年間、465名がここに埋葬されている。外交官、商店主、水夫、からゆきさんなど、実に様々な職業の人々がいる(戦争で犠牲となった軍人はここには埋葬されていない)。この直ぐ近くで料亭を開いていた夫婦が競馬場大火事で焼死した、ということもあったらしい。その子供達は別々に埋葬されている。どんな事情があったのだろうか。一人一人の墓石の文字は読みにくくなっているが、逆のその事情は薄らと浮かんでいるように見える。
日本のお彼岸に合わせて、慰霊祭はシンボルである萬霊塔付近で行われ、総領事館、日本人倶楽部、商工会などの挨拶があった。献花、焼香も行われ、一人一人が頭を下げて祈った。日本人小学校、中学校の児童生徒も祈っていた。さくらは散っていたけれど、これは良い光景だった。
実は香港に住む日本人の大半がこの墓地の存在すら知らない。私も駐在時代、聞いたことはあったが、訪れたことはなかった。本日も主催者サイドではない一般日本人の参列はほとんどなかったのではないだろうか。ここに眠る人々の在りし日を思うことにより、我々は何かを得られるような気がした。
因みにこの墓地周辺にはパルシー(ペルシャ渡来のゾロアスター教徒)の墓地があり、尖沙咀にあるモディロードのモディさんもここに葬られている。パルシーは人数は少ないが、経済を牛耳っており、現在のインドでもタタ財閥などの一族がそれに当たる。
他にもカソリックのお墓、シークのお墓など、この付近には様々な墓地が存在する。この地の歴史、とても興味深い。