お寺に泊まる
お姉さんの家を辞し、スマのお寺へ。お寺はここから25㎞離れているらしい。結構田舎の道を走り、更に狭い道を分け入り、到着。お堂と僧院があったが、日本的ではなく、普通の家のようにも見える。
日本のお寺の宿坊は今はどうなっているのだろうか。お坊さんは雑魚寝ではないのだろうか。ここには3人に若者僧がいるが、皆個室だ。私にも個室が割り当てられ、快適そう。特に部屋の外にある椅子に座っていると、疲れも忘れ、いい気持ちだ。ここには喧騒もなく、すっきりしている。だが、自然の中だ。虫はいる。特に蚊がまた襲ってきた。
スマが電気ポットで湯を沸かし、紅茶を淹れてくれる。いい感じだ。あたりは暗くなってきた。しかし夕飯あるのだろうか。ここはお寺だ。どうなるのか、見ていると、「お湯を用意した」と言われる。スマの執務室の脇には水洗トイレがある。そこに湯が運ばれる。ここでは基本的に水を浴びるだけだが、特別にしてくれたらしい。申し訳ない話だが、嬉しい。
湯に限りがあるので節約して使う。この気持ち、大切だ。ここに来て、例えば、トイレの紙なども出来るだけ節約するようにした。あるもので間に合わせる、子供の頃、そんな言葉を聞いた気がするが、今は無ければ買ってこい、だから、どうしてもギャップがある。口で節電などと言いながら、至る所で電気を使い、お湯を大量に消費する日本を考え直す時期が来ているとみて間違いない。
何と夕飯も出て来た。スマの方針で「午後は食べない」とする考えは取らないという。そういう戒律、ルールよりも、食べたければ食べてよい、悩みがあれば話せばよい、と若者に言い、若者に寄り添っていく姿勢を強調していた。日本では老害と呼ばれる人々による精神論があるが、スマのこの考え方、実は真の仏教に近いのではないだろうか。権威主義的な宗教は必ずしも良いものではないと感じる。
食事は若い僧が作ってくれた。茄子の煮つけ、オクラなど。それをご飯に載せ、カレー味を付けて食べる。これは良い食事だ。食べ過ぎることもない。その夜は蚊帳を吊り、早々に寝る。