Tea Museum
3日ほどお世話になったお寺を去る。そしてこれまで2度行っては入れなかった鬼門、Tea Museumへ3度目の挑戦を行う。キャンディ市内は結構なラッシュで渋滞が続く。ようやく1時間以上かけて辿り着く。相変わらずひっそりとしている。入り口のドアは開け放たれていた。遂に入場した。500ルピー。案内人が来るという。スマに配慮したかと思ったが、2時に定時のツアーがあった。我々2人とアイルランド人の若者の3人で行く。
博物館の中は、各製茶工場、茶業者などから寄贈された物が置かれており、初期の頃、どんなものを使っていたのか、などは分かったものの、肝心の紅茶の歴史は出て来ない。仕方なく質問してみると「それは茶葉研究所が知っているでしょう」との答え。先日研究所は博物館に行けといったので来たのに。案内の女性はマネージャーに聞いてみると言って姿を消した。
博物館の2階へ上がると、スリランカ紅茶の父として、ジェームズ・テーラーのコーナーがあり、以前書かれた記事などが張られていた。どれも同じネタ元から出た話を書いたのにすぎないが、その記述には「テーラーはアッサム種を持ち込んだ」と書かれている。それでは当初の研究所の人間が言った、また各茶工場の人間が説明した「中国種」との説明はどうなるのか。確かに茶畑の葉はそれほど大きくないのだ。スマと2人で頭を抱えた。
4階にティサロンがあり、無料でお茶が振舞われる。2階には各産地の紅茶が販売されているブースもある。だが何故があまり落ち着かない。1階へ降りると先程の女性が数枚のペーパーをくれた。これは参観者への説明用だという。そこにもテーラーが何を持ち込んだかは書かれていない。
マネージャーという男性が「それは昔のことだから、誰にもはっきりわからないのでは」という。この博物館はTea Boardというスリランカ政府の茶業局が作った場所であり、そこのしかるべき人が分からない、というからには分からないのだろう。ただ「テーラーが中国へ行ったという話は聞いたことが無い」という所に微かにヒントがある気がした。
キャンディ市内へも戻る時、スマがドイツ人のカップルを同乗させた。ドイツ人もあまりお茶は飲まないようだ。女性の方が「以前日本のクリル島へ行き、ビールの調査をした」と言い出す。よくよく聞き直すと千島列島に熊(ベアー)の調査に行ったのだが、ドイツ人と聞くとどうしてもビールと思ってしまう。