3月3日(日) 日本人墓地
翌朝はスッキリ起きて、朝食を食べ、そして日本人墓地に向かった。先日香港で友人に誘われて行った日本人墓地。香港に9年も滞在しながら、殆ど何も知らなかった。シンガポールにもある聞き、行って見ることにしたのだ。だが、どこにあるのかは良く分からない。地球の歩き方にも「タクシーで行け」となっていた。そこでタクシーでの行くのはあまり意味がない。地下鉄に乗ってみた。
リトルインディアなどを通り、セランゴールへ向かう。方向はこれでよいようだが。駅で降り、何とか糸口はないかとバス停などを探したが、表示などは何もなく良く分からない。仕方なくここからタクシーに乗る。だがシンガポールはタクシースタンド以外でタクシーを停めることが出来ない。先ずはスタンドを探し、タクシーを待つ。日曜日で車は少ない。ようやくやって来たタクシーの運転手に「日本人墓地」と言ってみたが、全く分からないという顔をして行ってしまった。
こうなると地図もない私にはどうすることも出来ない。ここまでかと思ったが、次に来たタクシーは「多分あそこだ」と言って、乗せてくれた。10分ほど行った高級住宅街でタクシーは停まる。ここだ、と言われて見てみると、「日本人墓地公園」と書かれていた。運転手が「帰りは大きな通りまで出てタクシーを拾え」と親切に教えてくれた。
中に入ると実にきれいに整備されており、驚く。1890年頃に使われ出したこの墓地には当地で活躍した商売人やからゆきさん、戦犯処刑者も眠っていると書かれている。何故公園になっているのかは、シンガポールの政府の接収を逃れるため、苦肉の策として公園としたらしい。香港などのように外国人墓地の一角に墓があるのではなく、全て日本人の墓地という特徴がある。そして実にきれいに保存されている。
左側には御堂もある。そして左半分には戦争関係者の墓や碑が建てられている。香港には全くなかった戦争の影がここにはある。そして右側には一般の墓が相当数ある。中にはこの地で落命した二葉亭四迷の碑、からゆきさんの碑などもある。様々な事情でこの地に来て、そこで亡くなった日本人、このような形で墓地が残っているのはシンガポールとの関係が良いということなのだろうか。シンガポールでも多くの人々が日本軍のために犠牲になったと聞くので、つい思いを巡らせてしまう。
後方にはシンガポールで活躍した日本人の碑もあった。ここは公園の雰囲気を出していた。孫文を助けた梅谷庄吉の名前などもあり、感慨深いものがある。当時のシンガポールを含めたアジアは、我々が思っているより、実は日本と近い関係にあったのではないだろうか。周囲の高級住宅を見るにつけ、そんな思いに駆られる。シンガポールの若者が入ってきて、掲示板を熱心に読み、写真を撮り始めた。彼らは単なる歴史の1コマをカメラに収めているのか、それとも深くこの関係を理解しているのか、聞いてみたかったがやめた。