《初めてのマニラをスイスイ歩く》 2013年4月3日-7日
フィリピンに行ったのは、確か1992年末。家内が次男を妊娠中に、安定期だというので旅行に行くことにしたのだが、今考えてみると、その旅行先にフィリピンのセブを選んだところに我が家の特色が出ている。あの時は香港‐セブの直行便が就航したばかりでプロモーションがあり、妊婦という理由でビジネスクラスを使う豪華な旅となった。行きはフィリピンエアー、CAのお姐さん達は我が長男がかわいくて仕方がない、といった雰囲気で2時間のフライト中ずっと付きっ切りだった。お客が殆どいなかったという理由が大きいが、長男があんなにモテたのはあれが最後ではなかろうか(http://hkchazhuang.ciao.jp/asia/sonota/sebut.htm)。
だがその時のセブ滞在中の印象は正直あまりよくなかった。その為か、お茶畑が無いためか、フィリピンには以後20年ご無沙汰となった。そして今回ある企画で「マニラ」という文字が浮かんだところへ、突然18年ぶりの再会を果たした人がマニラ在住だったなど、様々なご縁が重なり、初のマニラ上陸を果たしたのである。
4月3日(水) 1.マニラまで チャイナタウンには泊まるな
今回の企画は「アジアで中国語を使ってみる」というものだった。以前香港でご一緒した人が現在マニラ駐在となっていたので、連絡してみると「チャイナタウンには泊まるな。もしどうしても泊まらなければならないなら、ホテルから一歩も出るな」とのメールを貰って驚く。
私には仕事らしい仕事はないが、敢えて言えば「アジアを歩くのが仕事」であり、ホテルから出るな、と言われればいわゆる「飯の食い上げ」になってしまう。どうしたものか、そんなに危険なのか、マニラは。他の人々も「気を付けるに越したことはない」というので、取り敢えず助言に従い、ホテルは比較的安全と言われているマカティ地区、それもリトル東京と呼ばれるエリアに取る。
それにしてももし本当に危険ならば、日本人は行ってはいけないだろうし、日本企業がどんどん進出するなどはもっての外ではないだろうか。まあ、これまでアジアを歩き回り、一度も危険な目にあっていない私、少し気を引き締めて、マニラ初上陸と行こうか。