梧州茶廠
ホテルからタクシーで5分、梧州茶廠に到着。入り口の門が何となく古めかしくてよい。この工場は1953年に作られ、今年がちょうど60周年。60年間、この場所で茶を作り続けている。正面に陳列館と書かれた博物館がある。何故か工場長が正面に居て、挨拶する。
陳列館には創業以来の歴史が飾られていた。特に驚くのは六堡茶でも1950年代からプーアール茶と同様の熟茶の製法が行われていたこと。熟茶は1974年に雲南省の茶葉研究所が製法を開発したと言われているが、六堡茶の世界ではそれ以前から作られており、実は民間では解放前からあった製法だと言う。陳列館2階の事務所で李さんのオジサンから話を聞く。
また1971-79年の文革中には、湖南省益陽と同じ、茯茶(茯磚茶)を作っていたこと。これは政府の命令だったようで、その後は採算が合わないことから製造を止めている。益陽では政府の補助があるから作っていると言っていたが、実際には補助があっても儲からない、場合によっては赤字になるらしい。
この付近では基本的には現在六堡茶しか生産していない。80年代、黒茶は全く売れなかったようで、廃業した所も多かったようだ。梧州茶廠は実質的に国営であり、生産が続けられたが、長い間低迷が続いた。2005年のプーアール茶ブームで、同じ種類である六堡茶にも少しずつ関心が向けられ、生産が向上したらしい。
ただ梧州茶廠は未だに株式制などへの改組が行われていないため、商業意識がもう一つで、市場の波に乗れない、との話もあった。この辺は益陽茶廠が2005年に改組し、収益重視の生産体制になったのとは異なっている。工場に入ることは禁止されている。説明によれば、倉庫なども木の板が使われており、60年間の六堡茶の茶香が漂っていて、とてもいい匂いがするらしい。このような伝統ももし収益重視になれば替えられてしまうかもしれないので、変革が全て良いとは限らない。
ちょうど我々が工場へ行った時、市の書記が視察に来ていた。だから工場長が正面玄関に立っていた訳だ。市政府の支援ももう少し欲しいとのこと。この視察を機に市を揚げて六堡茶の売り込みに努めてほしい。