3世代の夕食会
夜、Eが迎えに来てくれた。住宅街の一角にあるレストラン、そこは漢字の看板はないが、バンドン在住華人が集う人気スポットだった。夕方6時前でも既に予約で一杯、辛うじて入り口付近に席が確保できた。すると次々にTの親戚が集まって来た。その数10名以上。
Eは料理の注文を済ませるとどこかへ消えてしまい、あとは皆適宜話を始める。私の横にはTの伯父さんの娘とその旦那、そして幼い女の子が座った。40代の旦那は英語で話し掛けて来る。インドネシアの経済情勢などを聞く。その向こうでは60代の二人のおばさんが何と広東語で話している。あれ、この一族は客家系ではなかったのか。聞けば、広東系の女性がTのおじさんの所にお嫁に来たのだそうだ。この二人のおばさんは私に対しては普通話をまさに普通に話してくる。数人いた幼い子供達は普通話は勿論、英語も出来ず、完全にインドネシア語のみで生活している。面白いのはTと親せきの会話。従弟たちとは全て英語、おじさん、おばさんとは普通話。この2世代が混ざって話すときは従弟たちが懸命に普通話を使おうとする。そこには既にルーツである客家語は出て来ない。
Eの妹は彼氏を連れてやって来ていた。親戚一同に顔見世だろうか。皆興味津々で話し掛けるが、それは全てインドネシア語。インドネシア語と言ってもバンドンの方言らしいが。この会の共通語はインドネシア語である。若い世代は中華系の学校に行けば、普通話も習うというが、今や基本はインドネシア語、そして英語だろうか。華人が生きていく上で必要な言語を習得するのであって、アイデンティティだけでは生きていけない。歴史がそうさせている面もある。
Eが自分の父親を連れて戻ってきた。たった今台湾から戻ったのだそうだ。華人の代表団に参加し、台湾の高官とも面談したという。元学校で普通話を教えていたというこの老人、一体どんな人なのだろうか。確かに普通話の発音は格別上手かった。娘がお父さんに彼氏を紹介している。これは意外と重要な場面に遭遇したのかもしれない。
料理は中華ではなく、インドネシア料理。華人も既に百年単位で暮らしていると、母国の味より、現地の味となるのだろうか。何だか焼き鳥が実に美味かった。日本の味にも近いようで、こちらの方が故郷を懐かしんだ感がある。