ついに茶畑へ
そしてチアトルの火口から先ほど来た道とは別の道を降りていく。10分も走ると茶畑が見えてきた。これは規模が大きい。驚いた。私は茶畑を見学できればと上出来と考えていたが、おばさんがこの辺に茶工場があるはずだから探そうという。
茶工場は直ぐに見つかった。だが今日は日曜日、工場は当然休みだと思っていた。ところが不思議なことに茶摘みは休みだが、工場は動いているというではないか。更に工場見学も歓迎だと言われ、招き入れられる。工場のおじさんがガイドとして付いてくれた。工場はかなり大きい。いわゆる大量生産の紅茶工場。だだっ広い。機械化は進んでいるが老朽化も。茶葉を自動で運ぶ工夫などもなされていた。昨日摘まれた茶葉が大量に寝かされている。
おばさんの通訳で話を聞く。1942年にできた工場だとか。そうだとすると日本占領下なのだろうか。恐らくはオランダ時代に作られた工場を日本が接収したのかもしれない。現在従業員は1500人、これも多い。工場内は100人程度で、あとは茶葉を摘む担当だと。如何に茶畑が広いとはいえ、これは正直かなり効率が悪い。紅茶が主体だが、緑茶も生産している。後で見ると、何と『Sencha』と書かれたパッケージがあった。日本からも注文があり、蒸し器を日本から持ち込んで生産しているとのこと。『ジャワストレートティ』という名称の缶飲料の原料もここから来ているようだ。
事務所で試飲もさせてくれた。BOPを豪快に淹れてくれる。香りは控えめ、味は悪くはなかった。基本的に90%以上を輸出する。ティパックの原料などになるものが多いのだろう。またここにも芽だけで作ったというWhite Teaがあった。こちらは淡い中にもしっかりとした味わいがある。
工場を離れて茶畑に繰り出す。ここは斜面ではなく、ほぼ平らな場所に広大な茶葉が存在する。向こうの方に山並みが見える。密集した茶畑がずっと続いている。観光客用に馬が用意されている。子供たちが馬に乗ってはしゃいでいた。その昔、茶葉を運ぶのに馬を使ったのだろうか。
因みにインドネシアと言えばコーヒーが有名。バタビアコーヒーが世界を席巻した時期もあった。一般インドネシア人の飲料として、茶は定着せずにコーヒーが残ったと言われた。勿論他の植民地と同様に、一番低級のダストのみを飲んでいたのだろう。オランダ時代のインドネシアのお茶の歴史、興味深い。是非今後勉強してみたい。
お昼はおばさんが行きつけのレストランへ。インドネシアの伝統的な家をレストランにしている。庭もある。吹き抜けの風が心地よい。隣に魚の養殖場があり、山の中としては格別に新鮮な魚が味わえるという。この辺は華人の味覚にマッチしている。魚ベースのスープは最高だった。何度もお替りしてしまった。そして焼き魚。まるで日本を思い出す味。太古の時代、日本とインドネシアは海で繋がっていた、ということだろうか。茶旅+グルメ、大いに満足した。