シンプルな夕飯と夜なべ
雨がしとしと降っていた。張さんは相変わらず、火を入れた茶葉を時々混ぜている。そして黙って茶を飲む。その寡黙な姿勢が伝統的な農民を感じさせる。製茶作業は茶葉を摘んでから2日間、ほぼ寝ずに行う。「俺はもう歳で正直しんどい。引退したい」、と張さんは笑いながら話すが、そういう話が出ること自体、本当に大変なのだろう。来年は作らないかもしれない、この言葉が現実味を帯びてくる。もし香港の店でこの話をしていたら「こんないいお茶、勿体ない、ずっと作ればよいのに」と暢気なことを言っていただろうが、現場を見ながらだと、とてもそんなことは言えない。
高さんと先に帰ることにした。高さんは茶畑を歩きながら「この辺りは実は毛蟹の産地なんだ。勿論鉄観音もあるが、量は多くない。毛蟹を作る茶葉は一目で分かるよ。このちょっと薄いヤツ」と言いながら、葉を手に取る。残念ながら私には直ぐには違いは分からない。高さんは20歳過ぎまでこの地で育ち、茶を見て、実際茶葉を摘んで、育ってきた人。まさに年季が違う。
家に戻るとおばさんが「芋、蒸かしたぞ」と手に持って食べている。私も貰って食べてみると、何とも懐かしい蒸かしイモの味がした。炊飯器で蒸かしている所が面白い。この家、家具はあまりなくシンプルだが、茶を作る道具や籠などは骨董品の部類に入るほど、見た感じが良い。
夕飯は昼ご飯の残りをおじやにしていた。このシンプルさ、実によい。そして美味い。決して豪華ではないが、健康的で、かつ物を無駄にしない生き方。芋も食べていたので、これで十分だった。人間は良い生活環境があり、適度な食事があり、適度な仕事があれば、健康的な一生を送れるのだろう。昔の人は皆このようにして暮らしてきた。それが経済成長だとか、お金だとかいうものに全てを狂わされてしまった。自分の作った物を自分達で食べていく、その生活が壊れて以降、人々には余裕が無くなり、お金の奴隷になってしまったようだ。この村へ来て、感じることは実に多い。
夕食後、張さんが茶を淹れてくれた。お客が来た、ということで、村の人も顔を出す。みんな張さんに「今年の茶はどうか」と聞いている。彼は黙って茶を淹れて出す。基本的に閔南語で話すので良く分からないが、「雨が多い」とでも言っているようだ。そして張さんが私に「今年の春茶は終わった」と一言。でもまだ茶葉が沢山あるだろうというと、「雨で伸びすぎた、良い茶はもうできない。あれだけ苦労して不味い茶を作る気はない」ときっぱり。職人さんなのだ、張さんは。
2階では午後9時まで作業が続いていた。茶作りのシーズンだけとはいえ、男も女も重労働だ。これであまり儲からないとなると若者が逃げ出すのも分かる気がする。しかし美味しいお茶を作るとはそういうことなのだ。