【ぶらぶらバンコック滞在記2013】 9月15日(日) 交通渋滞
『最近はどこにお住まいですか』と会う人に聞かれると、一応『バンコックをベースに活動しています』と答えるようにしている。が、『じゃあ、いつでも会えますね』と言われると『それがちょっと・・』と心もとない返事になる。正確には『バンコックに荷物がある』という表現が正しく、7月は10日、8月に至っては4日しかバンコックにはいなかったのだから、住んでいるのではなく、旅の通過拠点の位置付けとなっている。
ただ折角バンコックをベースにしているので、ここで気が付いたことを少しずつ書き溜めてみたいと思うのだが、前回のように単に日記として書くと散漫なので、今回は新たな試みとして梅棹忠夫著『東南アジア紀行』を読みながら、50年前のタイと今のタイがどう変わっているのか、またタイの本質とは何かについて、考えてみたい。因みに梅棹氏が大阪市立大学の調査団でタイを訪れたのは1957-58年、1961-62年に2回、50年ほど昔のことになる。
驚くべきことだが、梅棹調査団は日本から自動車を3台も持ち込み、自分達で運転していた。当時タイには車があまりなかったのだろうと私は勝手に解釈していたが、実は違っていた。『街はおびただしい車の氾濫だ。朝夕の通勤時間などにぶつかるとひどいことになる。一寸きざみだ』と書かれている。勿論今ほどの渋滞ではないにしても、50年前もバンコックは渋滞の街だったことが分かる。
先日朝7時半頃ドムアン空港に行こうと思い、スクンビットの外れでタクシーを拾ったが、運転手が『おー、ドムアン』と叫んで頭を抱えてしまった。確かにそこは地獄のような混雑で、高速代金110バーツはどうしても返金して欲しい、と思うほどだった。幸い飛行機には何とか間に合ったものの、これからは早朝に家を出ないと怖くて行けない。
梅棹氏は更に書いている。『感心するのは割り込み、追い抜きが1台もない。みんな、行儀よく待っている。交通ルールはまことによく守られている』これはどうだろうか、現在のタイは中国などに比べれば格段にマナーは良いと思うが、日本を基準にすればどうかな。また『あまり急がない』というタイ人の気質が影響して、ひどい割り込は無く、逆に道を譲るなど、日本より優しい。今後社会がどんどん忙しくなれば、ルール無視も出てくることだろうが。
だが『交通事故は非常に多いようだ』とし、その原因として『運転技術が格段に下手』とも書かれている。当時は車が出始めの頃で運転に慣れていない人が多かったということか。今でも『新車がどんどん増え、初心者が運転している』ことを思えば、状況は50年前とあまり変わらないのだろうか、確かにどうしてこんな事故がと思う場面を時々見掛ける。
因みに1990年代前半に出張で何回かバンコックに来たが、その渋滞のすさまじさは今とは比べ物にならなかった。『1㎞行くのに1時間以上』『車に乗る時には簡易トイレを用意する』などと言われた街。実際アポイントに間に合わずに、車を降りて走ったことも何回かある。汗びっしょりで訪問先に着くと『マイペンライ』と言われ、また汗がどっと噴き出したことが昨日のことのようだ。今はBTSも地下鉄もある。それでも暇人な私は、バスなどに乗って、埃にまみれながら、バンコックの街を眺めている。