古寧頭の古戦場を歩く
金門島は今では静かな島だが、第二次大戦後、国民党と共産党の争いの中、戦火を交えた場所でもある。『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(門田隆将著)で近年日本でも知られるようになったが、1949年の古寧頭戦役で国民党が勝利したことにより、共産党の台湾攻略が失敗に終わり、今日の状態が続いているともいえる。この戦に旧日本軍の将兵が大きな役割を果たしていたとすれば、歴史的には大きな意味がある。
バスターミナルで時刻表を眺める。古寧頭の戦場跡は行ってみたかったが、何しろ足がない。バスは1₋2時間に一本、古寧頭戦史館に向けて走っている。取り敢えず乗ってみることにした。運転手に行先を告げると怪訝な顔をされた。恐らく観光客でこのローカルバスを使う者などいないのだろう。本当にそこへ行くのか、という顔をしていた。バスは田舎道をゆっくり走る。途中で雨が降り出した。20分ほど行くと、戦史館に到着。降りたのは私一人だった。雨を避けて走って館内へ。無料。中は古寧頭の戦史が絵や写真で語られている。何しろ、国民党の輝かしい勝利の歴史だ、宣伝もやかましいほど。
そしてその展示物をガイドの案内で見て回っている団体は中国大陸から人々だった。彼らはどう思っているのだろうか、この戦役を、などと考える必要はない。殆どの人は初めて聞く話、という感じで、蒋介石の絵などの前では『知っている人がいる』と指をさす。既に中台にわだかまりはない。いや、大陸側にはないというべきか。
戦史館見学は早々に切り上げる。そしてバスで来た道を少し戻る。そこには戦場の跡があるように見えたから。行ってみるとトーチカ跡などがあるにはあったが、全て後から作られた、または補修されたもので、当時の様子をじかに伝えているようには見えなかった。
そこから海を見に行きたいと思ったが、実は意外と遠いようで歩いて行ってもなかなか見えず断念。金門島には当時の歴史を伝える場所がいくつかあるようだったが、一方現地の人々はその歴史を忘れたい、と思っているように感じられた。
バスで先ほどの道を戻ろうと思ったが、相当に時間が余る。再度時刻表と路線図を眺めると、何と先ほどのバスは循環して元に戻ることが分かる。そして私はそのバスに乗り、1周してバスターミナルへ帰った。途中海が見える場所もアリ、降りてみたい場所もあったが、降りてしまうと足がないので眺めるだけにとどめた。