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2013.10.11

 旅行記(日本)

沖縄久高島へ行く(7)久高島 久高を歩いて気づくこと

5月25日(土)

久高島散歩

 

翌朝、2階の部屋で6時前に目覚める。鳥のさえずりが聞こえる。周囲に騒音はまるでなく、平穏な一日が始まる。下へ降りて、大広間へ行くと既に多くが瞑想に入っていた。私も真似ごとをしてみる。そのままアーサナ。朝からネットも見ずに行うと何と気持ちの良いことか。交流館では朝食はなし。皆持ってきたビスケットなどを食べる。これもまたよい。今どきの日本は何でも、きちんと揃えないと格好が悪いなどとなるが、食べたい人は食べる、余ったものは分ける、など参加者の交流の機会にもなり、よい。元々参加者にはヨーガという共通の話題があるが、これだけヨーガ漬けの毎日ではそれ以外の話題が欲しい。

 

午前中講義をこなし、今日の午後は楽しみにしていた久高島散歩ツアーに出る。Yさんという島の案内人が同行してくれる。このYさん、実に飄々としていて面白い。島を歩き出すとすぐに小学校がある。Yさんも卒業した学校だが、今は生徒数も少ないようだ。『学校の周囲に柵を作りしました。これは生徒が逃げ出さないためではなく、島の人が先生を監視するためです。悪いことをするのは大人の方なのです』とYさん。明快に解説する。


 

 

農地では『島の男は15歳になると300㎡の土地が貸与されます。50歳で返します。でも男は漁に出るので耕すのは女です。土地に不公平がないように30㎡ずつ10か所渡されます。作業は大変になりますが、公平とはそういうことです』と。何という原始共産主義?でも実にもっともな話だ。


 

 

家の石垣の所では『これは石がきっちり組み合わさっているプロの技です。島は豊かだったので、外から職人を連れてきて作らせました。その後「にっくき薩摩」がやってきて我々は貧しくなりました』と。この薩摩憎しは沖縄本島でも聞いた。基地問題で揺れていても『鬼畜米英』は出てこないが、薩摩は出て来る。これは相当に根深い歴史だ。


 

 

その後も神事が行われる久高殿などを見て回る。説明してもらわないとよくわからない建物が多い。村はそれほど大きくない。村の外へ出る。フボー御嶽へ向かう。ここはイザイホーなどの神事の際、女性だけが入れる空間であり、今でも男子禁制だ。ただ何となく林があるようにしか見えないが、『御嶽とは本土の「おんたけ」とは意味が違います。私は「気」のある場所と理解しています』と説明がある。


 

 

そして『島の木は枝一本といえども、勝手に切ることはできません。年に1回、木を切るために祈りを捧げて初めて切ることが許される。だからここの林は非常に雑多な木々が何の整備もされずに残っているのです。島の物は全て神の物です』と言われ、ハッとする。ここは普通の島ではない、昔々の日本が唯一残っている場所なのだ、と改めて認識する。


 

 

因みにこの御嶽には画家の岡本太郎がやってきたことがある。当時スランプだった岡本はここで何らかのインスピレーションを得たとされているようだ。凡人にはわかない、のではなく、もともと皆が持っていた感度が相当に下がったたために、今見ても何も感じないということだろう。

 

シマーシ、の浜を見る。きれいな海が広がっている。『ここには貝塚があります。5000年前の物だと言われています。当時から本州北部などから船で渡ってきた人々がいたということです』そう、陸とは違うのだ。海が中心なら、この島が中心であったかもしれない。