海ぶどう
同じ部屋にはもう一人Kさんがおられた。地方の銀行を退職され、今は様々な活動をされている。この久高ヨーガ合宿にも以前も参加されている大先輩だ。遥々新潟から来られていた。その道のりは結構長い。そのKさんは久高経験者として、皆さんのために大いに知識を披露して頂き、本日は海ぶどうを買いに行くことになった。海ぶどうを買いに行く、何だかワクワクするテーマだ。歩いて5分もかからない所にそのお店はあった。お店ではない、そこで養殖しているのだ。ビニールハウスでの直販である。
しかし中には誰もいない。皆勝手にいくつもある水槽を眺める。おじいさんがやってきたが、ここの人はお客さんか店の人かもわからない。何とも不用心な話だが、この島では何も問題は起きないのだろう。すごい。
しばらくしておばあがやってきた。皆海ぶどうの仕入れに熱心だ。日本人はこういう時にちゃんとリーダーが登場し、購入方法などをまとめて、皆に知らせている。これはすごいことだ。アジアではあり得ない。おばあは『昔は海辺でやってたんだがな。何だか最近はここでやっている』といい、『少し売れればいい』ともいう。さっきのおじいさんが、みんなのためにスイカを切ってくれた。畑からの取立てだ。するとおばあが『そんな若いのだめだ―』と一言。おじいさんはシュンとなる。
『若い頃はこんな言い方出来なかったサー』といい、おじいさんがご主人であることがようやく分かった。おじいさんは昔漁に出ていたのだろう。その間、畑はこのおばあが守ってきた。だから畑のことでは頭が上がらないようだ。この島のひとつの典型例を見た思いがした。
5月27日(月)
極楽浄土
翌朝は晴れていた。朝日が昇るのを眺めていた。それはいいもんだ。交流館の建物の前にある植物に鳥が巣を作っていた。珍しいなと思い、写真を撮り、Facebookにアップしたところ、その道のプロの方から、『そこは一体どこだ。鳥がこんなに人に近い所に巣を作るとは危険がないということ。余程の極楽浄土ではないか』とのコメントを貰った。やはりここは極楽なのだろうか。よく最後の楽園、などという表現があるが、楽園というか、自然の島、というか。
合宿も中盤を過ぎ、日程には慣れてきた。機械的にスケジュールをこなす、毎日同じことを繰り返す、一見つまらないようだが、これが人生かもしれない。人は時としてその繰り返しを嫌がり、脱線していく、のかもしれない。都会が楽しいと思う若者、田舎がいいと思う退職者世代。淡々とした人生を送ることは難しい。だからこそ、この島の流れの穏やかさは尊い。
昼ご飯の後、ビーチへ行ってみる。今日は珍しく1日晴れており、晴れれば日差しは相当強い。顔が一気に日焼けモードに入った。遠浅の海が眩しい。浜にはハマユウが花をつけていた。時間が止まったような空間の中、体だけがじりじりと焼けていく感触。