沖縄の茶畑
実は沖縄に来た時から、『沖縄にも茶畑があるはず』との思いから、何人かの人に聞いてみたが、確たる答えが得られなかった。Iさんによると『確かにあるはず』と言い、茶館でも相談してもらい、琉球紅茶という名前に行きつく。ここがアジアならいきなりその場所へ行ってみるのだが、日本ではそれは失礼に当たる。この辺が日本の難しい所。Iさんが電話で聞いてみた。帰ってきた答えは『当社では茶畑見学などは受け付けていない』というものだった。まあそんなものかもしれない。
だがIさんは諦めなかった。うろ覚えでもう一つ昔行ったことのある場所へ電話した。答えは『今社長は茶作りで忙しくて、茶摘みもやっているのでとても対応できない』というもの。Iさんはしょんぼりしていたが、こちらの目は輝いていた。『それだ、行こう』。応対など期待していない。先ずは茶畑があり、まさにそこで茶摘みをしているのであれば、それだけで見る価値がある。だがその場所は那覇から30㎞は離れており、空港からは更に離れている。今日これから東京へ戻る私に残された時間はギリギリだった。でも行った。
Iさんの運転で、うるま市石川というところへ行きつく。ここは普天間基地からも近いようで、ヘリが飛んでいた。なだらかな丘を登る。そこには茶畑があったが、どうも今一つ管理されていなかった。その先に目指す山城紅茶はあった。喫茶店舗があり、そこへ入る。そして驚愕の事実が。
何とその向こう側の茶畑では茶摘みが行われていた。32度の炎天下、おばさん達がせっせと手で茶葉を摘む。こんな光景が日本で見られるとは信じ難い。日本の茶葉はほぼ機械摘みと頭から思い込んでいた。それにしても5₋6人で摘んでいる。早々茶畑に入り込み、写真を撮る。そしておばさん達に聞く。
この茶葉で紅茶を作っているらしい。だが『私はコーヒーしか飲まないさー』などとケタケタ笑う。いつから作っているかも知らない。何でこんな辛い労働しているのか、『草むしりよりは楽サー』と。唖然。後で聞くと沖縄には本当に仕事がないこと、60歳を過ぎても何かしら仕事をすること、などの習慣から成り立っているらしい。
店舗で紅茶を頼んでみた。ちょっと苦い感じがした。紅茶作りは3代目の若社長が自らスリランカに修行に行き、最近始めたようだ。当日も地元の放送局の取材が入っており、社長はその対応に追われていた。若手経営者として注目を集めているようだ。
私はカウンターにいた女性に話を聞いた。先代の奥さんだった。この茶畑は戦後作られたもので、先代までは緑茶を作り、本土へ送っていたとか。ただ最近は緑茶の売れ行きが落ち、3代目は紅茶に切り替えたらしい。沖縄の独自ブランドを作るのは変化する必要があるということか。
本格的にはこれからだろうが、このような新しい試みは素晴らしい。手摘みの茶葉を使い、紅茶を作る、次回は社長にお話を聞いてみたい。今回はもう東京へ帰る時間となり、茶畑を後にした。