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2013.11.09

 旅行記(日本)

バタバタ茶を訪ねて(4)長野 お朝事と松代象山地下壕 

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お朝事(数珠頂戴)

 

 

翌朝は5時に起き、再度善光寺へ向かう。お朝事に参加する。この行事は長野に泊まった人だけが参加できる(電車だと間に合わない)と聞き、わざわざ1泊したのだ。朝から参拝する地元の人が多い。健康のために歩いているという老人もいた。おばさんに『こっちだよ』と言われ、お寺に上がる。皆思い思いにストレッチなどをしている。毎日顔を合わせ、何となく知り合いになっている人々。この緩い連帯、なかなか良い。


 

少しずつ観光客も集まり始める。皆どうしてよいか分からない。お坊さんが行き来を始める。何かが始まる気配はある。すると誰かが本堂に沿って並び始める。向こうの山門の方から人が来る気配がある。いつの間にか、人が一列になっている。そこへ後ろに傘持ちを従えた偉いお坊さんがスタスタと歩いてくる。皆膝をつき、頭を差し出すと、そこへ数珠がポーンと触る。相当に早い動きだ。確かに数十人の頭を敲いていくのだから、のんびりはしていられない。





 

この儀式、お坊さんが出仕する朝の儀式の前後に行われる有難い行いで、明治末期までは本堂で一夜を明かした信者が受けるものだったという。今でも365日、一日も欠かさず行われている。昨日のお戒壇めぐりといい、特に何かをした、という感じはないが、ちょっと何かを考えるきっけにはなる。善光寺は不思議なところだ。

 

松代 象山地下壕

 

 

今日は夕方バタバタ茶のある富山県朝日町に移動する予定だが、それまで時間がある。さて、どこへ行こうかと考えたが、気になっていた松代へ行ってみる。長野駅で聞くと、バスで30分と言われる。あれ、電車はないのかな。ローカルバスに乗り込む。すぐに田舎のきれいな国道を走る。日本は本当に田舎の道がきれいだ。途中川中島というバス停があり、川中島の合戦の公園があった。降りてみたかったが、それだと間に合わないため、断念。聞けば、合戦の場所は特定できていないが、古戦場と思われる場所は少し離れているようだった。

 

松代に到着。何とレトロな駅舎の前でバスを降りる。なんだ、電車もあったのか、と思ったが、既に廃線になっていた。残念。そのまま街を歩き出す。ここ松代は真田家が江戸時代に入封された場所であり、宝物館などがあった。街の一角は映画のロケセットのような雰囲気。





 

しかし私のお目当てはここにはなかった。象山地下壕、街の外れまで歩いて行くと、丘の端、小川沿いにあった。この地下壕は第2次世界大戦末期、天皇と大本営、政府機関をここに移し、本土決戦を行うために掘られた壮大な地下壕だ。浅田次郎の小説でも取り上げられており、一度見てみたいと思っていた。


 

入口でヘルメットを借り、中へ。かなりしっかりした枠組みで地下道が支えられている。灯りがあるのでどんどん中へ進む。進んでも進んでも、まだ道がある。これは本当に大きな地下だ。途中、説明書きがいくつかあるがよく読めないものもある。この地下壕、昭和19年に掘り始め、75%が完成していたとの話もある。各場所の配置も決まっていたのだろう。





 

豪内には見学者がいたが、殆どが修学旅行か社会科見学の高校生だった。おじいさん、おばあさんのガイドさんが付き、一生懸命に説明している。『本当にここに大本営が移され、本土決戦があったら・・』『多くの朝鮮人労働者が動員され、命を落とし・・・』この豪の中でそのような話を聞けば、色々と考えることもあるだろう。だが高校生には実感はないのではないか。かなりの非日常空間なのだから。


 

この地下壕は何のために開放されているのだろうか。反戦?『このような悲惨な歴史を忘れてはならない』と言われても、実際に使われなかった施設を見て、実感が湧くだろうか。歴史的なミステリーならワクワクするがどうだろうか。

 

帰りに佐久間象山を祭る象山神社へ行く。幕末を生きた象山はここの出身。象山はここで29年間、藩の青年たちに学問を教えていたという。だが京都で暗殺されると、佐久間家はとりつぶし、家屋敷も壊された今も残っているのは井戸だけ、というのが何とも悲しい。