6月21日
蛭谷へ
すっきりした朝の目覚め。PCを見ないとこんなに楽なのか、と改めて感じる。またこの環境、素晴らしい。朝8時過ぎに、ホテルの方へ行き、朝食を食べる。団体さんは既に朝食を終え、バスに乗り込んでいる。朝ごはんは充実しており、満足した。9時半にHさんが迎えに来てくれた。湯治場ともお別れ。名残惜しい。フロントの男性からは色々な話を聞いたが、何と元お坊さんだったようだ。もっと話を聞けばよかった、残念。
車は川沿いを走る。蛭谷地区は以前戸数100戸あったが、今では30戸、150人が暮らす町。伝承館というバタバタ茶の伝統を守る施設がある。ここで週4回、午前中に地元の人が集まり、茶会が開かれている。私はこれに参加させてもらった。お当番の女性が準備をしており、10時頃から三々五々人が集まり、バタバタ茶を飲みながら、お話している。
バタバタ茶の歴史は相当古い。基本的には仏事。各家庭で故人の祥月命日に茶会を開催、知り合いが集まって茶を飲み供養する。蛭谷(ビルダン、ベルダン)地区では今でも続いているが、準備などが大変で開催が減ってきている。それに伴い茶の需要も減り、生産もほぼなくなり、他の場所(福井辺り)で作られた物を買って凌いでいた。
だがその茶農家も生産を中止することとなり、このままではバタバタ茶がなくなると危惧したHさんら、町の人々は茶作りをしていた最後の一人に教えを乞うて見事復活させたのだという。現在の茶葉生産量は年間僅か3000㎏で、とても商売に適した生産量は確保できない。年1回7月頃に茶葉を摘み、40日掛けて作る。専業農家はなく、友の会で生産している。このバタバタ茶、作るのはかなり難しい。何度も試行錯誤を重ねているが、未だに完璧に作れることはないという。Hさんは『発酵させている間は一日2₋3回の見回りが欠かせない。本当につらい作業だ』と言っている。
しかしなぜ蛭谷というのか。なぜ『びるだん』と読むのか。そしてなぜここでバタバタ茶が飲まれているのか、謎は深まるばかりだ。