黄河と歴史遺産
午後はOさんが黄河へ行こうという。黄河、そうかこんなところに黄河があるのか。市内中心からタクシーで20分ほど行くと、大きな河が見えてきた。済南黄河、確かに川幅は広い。ただ昔からここを流れていたわけではないようだ。1855年にこの流れになったとある。
平日の午後だが、観光客がそこそこいる。ただ河が大き過ぎて、人がいるようには見えないが、よく見ると浜辺?に見えるような部分で水遊びしたりしている。魚を釣っている人もいるかもしれない。よく考えてみると私は黄河をこれまでに見たことがなかったようだ。長江は三峡下りの経験もあるのだが、黄河は幻だった。断流だ、何だと騒ぎがあったが、今回見てみて、水があることは分かった。これで良しとしよう。Oさんに感謝しよう。
それから牛さんに教えてもらった日本が建てた建物を見に行く。Oさんも仕事柄、同行してくれた。済南飯店、そこへ行けばある、ということだったが、見た目はただのホテルだった。ホテルの人に念のために聞くと、裏に回れという。裏へ行って驚いた。そこには何と日本領事館の建物がそのまま残されていたのだ。
中へ入ってみると、人がいた。ここを管理している会社の人だという。強い山東訛りでよく聞き取れないが、元々領事館は1918年に作られた。これは第一次大戦時の青島占領後の処置だろう。その後、1928年に済南事変で一度焼かれたが、1939年に再建された。目の前にあるのはその建物だった。解放後、毛沢東をはじめ、劉少奇、宋慶齢など多くの共産党幹部がここに泊まったという。
建物の中はそれほど傷んでおらず、当時の雰囲気を残している。むしろ少しきれいにし過ぎたようだ。今後レストランにでも使うのだろうか。2階に上がると毛沢東も泊まったという寝室がそのまま残っていた。そこの窓ガラスは当時のままだという。うーん、相当な観光資源だと思うのだが、どうなんだろう。
外へ出ると建物の横に庭がある。その向こうはビアガーデンになっている。まだ時間が早いので、営業はしていないのだが、こんなところで夕暮れ時にビールでも飲むといいだろうな、と思う。領事館時代はここでガーデンパーティーが開かれたかもしれない。他にも2号楼や事務所など、昔の建物が多く残っている。
済南飯店を出て、歩いて行く。この付近はやはり、旧市街地。古い建物がいくつも見える。教会もあれば、今は博物館になっているところもあった。済南は本当に雰囲気のある街だな、と感じる。
そして最後に探し当てたのが高島屋の跡。高島屋がこんなところにあった、ということが信じられないが、当時は日本軍の占領地の景気は良かったのだろう。大連や天津にも百貨店は進出していたのだから。ただ気になるのは高島屋のHPなどに戦前中国に進出したことなどは書かれていないこと。何か後ろめたいものがあるのだろうか。この建物は交差点の角にあり、立地は良かったのではないか。現在は何と建物の正面に入口が見付からない。一体何に使われているのだろうか、と近所の人に聞くと、何と『公安』だった。写真を撮るのも遠慮した。