ビエンチャンでトランジット
イミグレはスムーズに通過した。空港にはノイが迎えに来ているはずだったが、見当たらない。携帯に電話するともうすぐ着くという。一瞬焦ったが、5分ほどで合流し、ノイの運転で市内へ。先ずはいつも泊まるホテルへチェックイン、荷物だけ置いてすぐに昼ご飯。陽光飯店という中華系のレストラン。ノイの教え子の女性2人も参加する。外国人と一緒に食事をする、それも彼女らへの教育の一つなのだろう。でも彼女らは恥ずかしがってなかなか話さない。食事はラオス式?の鍋。これはこれで美味しいし、面白い。
それから車はスラム街へ進んだ。一体何のために?ノイは車を下り、我々には車内で待つようにと告げる。ある家へ入り、女の子を連れて出てきた。彼女はノイの教え子で、このスラムに住む。歌と踊りが上手く、近所の子供たちを集めて歌ったり、踊ったりしているという。若き指導者なのである。
『彼女は家庭環境には恵まれていないが、才能はある』という。実は本日はこれからタイのノンカイでショーがあり、ノイ一行と我々はそこへ向かうのだが、彼女は家庭の関係でパスポートを持っておらず、一緒に行くことが出来ない。それが残念だと、わざわざノイは彼女に会いに来て抱きしめた。このような交流、愛情表現が大切なのだと分かる。
さて、そろそろノンカイへ向かう時間だが、と思っていると見慣れた家の前に停まる。ノイの実家、家具屋さんだ。ノイが是非お父さんに会ってほしいという。彼女のお父さんは、元教育者で、昔は王家の人にものを教えたこともあるという。だが2年前に脳こうそくで倒れ、現在お話はできるが麻痺が残っている。
お父さんは英語が流暢。必ずしもノイの活動に賛同している訳ではないことが分かる。それはそうだろう、ミスラオスでオーストラリア留学にも出し、おまけにトップアイドル。こんな娘が困難な障害児、女性支援をしなければ、優雅な生活が約束されていたはずだ。ラオスは母系社会の末子相続。実はノイが末の女の子であり、結婚して跡を取って欲しかった、との強い願いがあった。
それからノイの新しいオフィスへ向かう。昨年11月にあった学校は家主からの立ち退き要請があり、既に閉じていた。集まっていた子供たちも今は10人程度しか収容できない。困っていた。ラオスは本当に難しい国だ。オフィスはお母さんの土地に建てられていた。ここに数百人を収容できる寄宿舎付きの学校を建てることが彼女の目下の課題だ。その夢はいつ実現できるのだろうか?今回の我々の使命はそのための準備。