8月14日(水)
幻の茶城発見
朝ごはんはビュッフェスタイルではなく、オーダー。オムレツとパン、野菜が少ししかないのがモンゴル風。テーブルにキッコーマンの醤油が置かれている。羊肉にかけて食べる人がいるようだ。これは意外に美味いだろう。さすがキッコーマン、モンゴルの果てまで営業していると思ったが、これはシンガポール製。恐らくはモンゴル人の誰かが日本人と関係なく輸入したのだろう。うーん、モンゴル市場は確かに小さいが、親日的でファンは多いと思うのだが。
セレンゲ県の税関を訪ねた。役所のビルの目の前に鉄道の線路があり、ロシアと繋がっている。モンゴルにとってロシアがどんな存在であったのか、よく分かる。ただセレンゲの貿易に占める地位は低下してきているらしい。ロシアではなく中国の影響があまりにも大きくなりすぎた。
そして車で国境に向かった。呆気ないほど簡単に到着。車が列をなしており、国境を越えてロシアに向かうことが分かる。イミグレの人に話を聞くと、『毎日数百台が通る。日帰りも多い』と。気軽な国境だった。
ちょうど自転車に乗った人たちがやってきた。聞けばフランス人の50代の夫婦。何とフランスから自転車でやってきて、モンゴルを回り、これからフランスへ帰るところだという。既に1年半の旅をしている。半端じゃない。驚きだ。
そして何より驚いたのは、国境の柵の向こうに見えた白い建物。何気なく聞いてみると、何と百年以上前の茶城だった。ここはモンゴルではヒャクトという地名だが、ロシア語はキャプタ。1727年に清とロシアで結ばれた、あの歴史の教科書にも出て来るキャプタ条約の場所だったのだ。Nさんが言う。『今朝、「茶葉の道」という本を読んでいたでしょう。あそこに出ていた茶城ですよ』と。意図せず持ってきた本の写真が目の前に。歴史が厳然と存在している。全く驚きだ。
茶葉は中国からここを経由してロシアに運ばれ、拡散し、人々は茶を飲むようになり、やがては生活必需品となった。この地は清国の商人とロシアの官僚がパーティーをしていたところでもある。是非とも国境を越えて茶城跡を見学したかったが、『ビザを持っていないなら行けませんよ。こっちは出てもいいが、ロシア側で罰金とられますね』というイミグレの一言で現実に帰った。
これは茶縁なのだろうか。きっとそうなのだろう。旅には意外性が付き物だが、今回の意外性はスケールが大きかった。