日本と中国に3週間ほど行っていた。気が付けば今年も残りわずか。一体私は何をしていたのだろうか?旅は続いているが、私の心は定まらない。そんな年の瀬に、インドのチベット、ラダックから尼僧のパルモ師がやってきた。パルモさんとは2006年12月、ふとしたきっかけでご縁を得た。その時の言葉が心に突き刺さり、その後、サラリーマンを辞めてすぐ、2011年7月にラダックを訪ねた。その時の衝撃も人生で忘れられない出来事となっている。その時の旅行記はブログで。
http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/category/683/page/14
そして本日、2年ぶりの再会を果たした。これはA師一行が10月にラダックを訪れた結果実現したプログラム。タイの大学で、講演会が開かれた。タイ人、特にA師にヨーガを習っている人々は、このチベット仏教に興味津々。数十人が集まり、熱心に聞き入った。
パルモ師はラダックで尼僧の地位向上のために様々な活動をしている。少し疲れているように見えたが、益々貫禄が付き、既に仏教界の重鎮という雰囲気が出ていた。ただ相変わらず気さくな人で、冗談など混ぜながら話す。
『今この世に人として生まれていること自体が大変な幸運』、そんなことを考えたことがあるだろうか。『世界にはネガティブなニュースばかりが流れているが、もっとポジティブな心で生きていくべき』、『自らの心が抑えられないから、憤懣やエゴになる』、『人間は自己のエネルギーの発散を押さえ、心穏やかに生きるべき』。
『物事を受け入れること』『自らを尊重すること』、そして『苦しみをシェアすること』が大切だと、淡々と説く。全く当たり前のことを言っているだけだが、その当たり前のことを日々自問し、『自分と向き合う姿勢』が必要だ。
参加者の中にご主人を殺されたタイ人がいた。師は話を十分に聞き、そしてただ彼女を抱きしめた。それだけで彼女の表情は明らかに変わり、穏やかになった。パルモ師のような人から時折話を聞く、そして話す、そんなニーズが人々にはある。日本の宗教界はその役割を果たしているのだろうか。
2年前ラダックで分かれる時、『すぐまた来ます』と私が言うと、パルモ師に『あなたは当分来ないわ』とさらっと言われた。だが今回は『すぐまた会いましょう』と師の方から言われた。来年はラダック再訪のチャンスが訪れるのだろうか。
『よい死に場所』に言及した師に向かい、『私は3年間、死に場所を探してアジアを放浪してきたが、まだ見付かっていない』と告げると、『それならラダックへいらっしゃい』と言われる。ただ『あなたは冬のラダックの厳しさを知らない。零下20度の中、人々と寄り添って暮らして、初めて分かる』と。『満足がよき来世への道』と言うニュアンスの言葉も出て来る。
取り敢えず来年2月に零下35度の黒竜江省行きが決まっている。少し様子を見るか?来世への準備、そろそろ始めよう。