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ルーヴル美術館の正面に広がるチュイルリー公園の一角にあるオランジュリー美術館は印象派の巨匠クロード・モネの大作「睡蓮」(Les Nympheas)が展示されていることで有名な美術館です。

オランジュリーとは1852年に当時の君主ナポレオン3世が、チュイルリー宮殿の敷地内に建設したオレンジを栽培するための温室でしたが、宮殿に焼失よってこの建物は展覧会場、戦時中は武器の倉庫として使用され、モネの「睡蓮」の連作が一般公開される様になったのは1927年になってからのことでした。その後、画商ポール・ギョームとジャン・ヴァルターのプライベート・コレクションが寄贈され、現在はルノアール、セザンヌ、ピカソ、ルソー、モディリアーニ、マティス、ローランサン、ユトリロなどの近代絵画のすばらしい作品が展示されています。午後からはじまる個人見学の長い列に待つこと約30分、ようやく「睡蓮」と再会することができました。

 「睡蓮」の連作はリニューアル前と同じく2つの展示室にわかれて展示されていて、自然光の入るガラス天井からは、直射日光が作品に直接あたることもなく、自然の光の中で作品を鑑賞できるように、モネ自身が展示に関わる当時の希望をそのまま反映した空間設計になっています。



 1918年、当時の宰相クレマンソーを通じて、モネが自分の作品を国に寄贈する約束をした際には、自然光の入る楕円形の展示室の壁面に作品を展示し、他の作品は展示しないこと。鑑賞する人と作品との間には仕切りやガラスなどを設置しないことなど、モネ自身によって厳しい条件がつけられたそうです。

 モネはこの大作の制作中1923年に白内障の手術を受けており、作品の出来に満足感を感じていなかったモネは、一時は国への寄贈を取りやめようとしたそうですが、友人でもあった宰相クレマンソーの強い要望で、白内障の手術後から1927年の死の直前までも丹念な筆作業に力を注ぎ続け、「自分の死後に作品を展示する」という遺言を残して、この世を去ったと言われています。

パリ市内にはオランジュリー美術館からセーヌ河の丁度対岸にあるオルセー美術館と、16区のマルモッタン美術館にもモネの作品が展示されていますが、ノルマンディーの小さな村「ジヴェルニー」(Giverny)には「睡蓮」の舞台となった庭園とモネの住居兼アトリエが残っています。

 パリのサン・ラザール駅からルーアン、ル・アーヴル行きの列車でヴェルノン駅(Vernon)を下車。ここから路線バスまたはタクシーで約15分、セーヌ河沿いにあるこの小さな村にモネは1883年から移り住み、1926年(86歳)にこの家の寝室で息をひきとるまで半生を過ごしました。家の前に広がるなだらかな丘のように造られた庭を下から見上げると、色彩豊かなパレットのようにも見えてきます。





 モネはジヴェルニーに移り住んでから数年後にこの土地を買取り、セーヌ河の支流エプト川から水を引き、オランジェリー美術館に展示されている作品の中に描かれている睡蓮の花が咲く大きな池と日本式庭園を造ります。

 「光の画家」とも呼ばれたモネが水面に浮かぶ大輪の睡蓮、水草、岸辺の柳の木、池に架かる日本風の橋など、四季折々日々の生活の中で自分の目で感じたそのものが作品に反映されていることが一目でわかるでしょう。朝日を浴びた睡蓮は刻々と時のリズムにのせて大輪の睡蓮に姿を変え、自然の光に輝く池が百花繚乱の華やかな花壇の様に変化して行く様子を見ていると、モネと同じ目線に立って、キャンバスの構図が見えてくるような気がしてきます。



 パリには名画を鑑賞できる美術館がたくさんありますが、芸術家の生涯を振り返りながら、絵画作品の舞台を訪ねてみてはいかがでしょう。

* アートサイトでは、パリの街並や郊外・地方へのスケッチ旅行やルーヴル美術館内での模写の許可などのサポートサービスのご相談も承ります。
問い合わせ先:
パリオフィス +33.1.45.05.14.46
東京オフィス +81.3.3203.6702
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印象派の原風景の舞台を訪ねて 先日は、「光の画家」と呼ばれた印象派画家クロード・モネ(1840年〜1926年)が、水面に浮かぶ大輪の睡蓮、水草、岸辺の柳の木、池に架かる日本風の橋など、連作「睡蓮」の原風景となったジヴェルニーをご案内しました。今回はジヴェルニーをさらに北上し、ノルマンディー地方の絵画の舞台をご案内します。



パリをゆったりと流れるセーヌ川河口の左岸に位置する、ノルマンディー地方の海辺の町オンフール。その小さな町の旧港の風景は数々の印象派の絵画の題材ともなり、フランスの風景画家でもあるウジェーヌ・ブーダン(1824年〜1898年)や、作曲家のエリック・サティー(1866年〜1925年)の生地でもあります。旧港を取り囲むように、レストランやアートギャラリーが軒を連ね、世界各国からの観光客で1年中賑わいを見せ、当時と今も変わらない港の風景は常に作家の審美眼的な感性をくすぐるのでしょう。1年中イーゼルを立てた沢山のアーティスト達の創作風景に出会う港町でもあります。

オンフールの船乗りの息子として生まれたブーダンは、モネに屋外で絵を描くことを教え、印象派に大きな影響を与えました。また、サティーも作曲だけではなく、作家、画家としても幅広く活躍し、ピカソやコクトー、ラヴェル、ドビュッシーなど様々な分野の芸術家たちとの交流も深め、共感しあい、常にお互いの芸術性を高めて行く生涯を続けていたと言われています。

オンフルールから長さ2143メートル、斜張橋としては世界最長のノルマンディー橋を渡ると、セーヌ対岸の港町ル・アーヴル。5歳の時に一家でこのル・アーヴルに移り住んだモネは、少年の頃から絵を書いては、地元の文具店の店先に自分の描いた人物の戯画などを置いてもらっていたそうです。そうした活動がブーダンの目にとまり、二人の偶然の出会いが、後の「光の画家」モネの生涯の方向を決定づけたと言われています。フランス第2位の商業・貿易港ル・アーブルも当時のエピソードを振り返ってみると。実は印象派のルーツでもあったのです。

ル・アーブルからドーバー海峡を沿い約30キロ先に、モネやギュスターヴ・クールベ、ウジェーヌ・ドラクロワがその海岸の美しさに魅せられて描いたエメラルド色のエトルタ海岸があります。作家モーパッサンが幼年期を好んで滞在したことでも知られていて、石を土台にした木骨造りのノルマンディー地方独特のレンガの家々が美しい街並を今も残している所です。エトルタ海岸は干潮時には高さが約100mにもなる白亜の断崖「アモンの断崖(Falaise d’Amont)」と「アヴァルの断崖(Falaise d’Aval)」が有名な海辺の街で、シルエットの美しい絶壁を持つ2つの断崖が今でも数々の芸術作品の舞台となる理由が良くわかります。



この海辺の小さな街にもいくつかのエピソードが残っています。モーリス・ルブラン作の怪盗ルパン・シリーズの「奇巌城」の舞台もこのエトルタです。ルブランは古都ルーアンで生まれ、1918年にエトルタに別荘を購入し夏のバカンスを過ごしたそうです。街の中には「ルパンの館(Le Clos Lupin)」という資料館があり、レオナルド・ダ・ビンチの「モナリザ」をルパンが盗んだ小説の世界もこの資料館で紹介されています。

もう1つのエピソ−ドは、1927 年に世界初の大西洋単独横断飛行に成功したリンドバーグよりも約2週間前にナンジェセールとコリーという2人の飛行士がニューヨークを目指してパリ郊外のブルジュ飛行場を飛び立ち、消息を断つ直前に目撃されたのもこのエトルタ。アモンの断崖の頂上にはリンドバーグに先駆けて世界初の大西洋横断に挑んだ2人の飛行士を記念する博物館「ナンジェセール・コリー博物館(Musee Nungesser et Coli)」が上に建っています。

エピソードを振り返りながら、名画に描かれている小さな街や村の風景の背景には、その当時の出来事や人との出会いも一筆一筆に生き生きと表現されていると言えるでしょう。「印象主義」(Impressionnisme)という言葉の奥深さは、芸術を創作する側と芸術を見る側との間に歴史を超えた対話の機会を与えれくれることを実感させてくれます。

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「色彩の魔術師」と呼ばれた20世紀フランス画家、ラウル・デュフィ(Raoul Dufy)の回顧展「歓び」(LE PLAISIR)が開催されたパリ市立近代美術館には、無料で鑑賞できる巨大壁画「電気の精」が常設展示されています。


マティスの影響を受けながらも、野獣派(フォーヴィズム)の中で独特の世界を築いたデュフィ。18 歳の時にル・アーヴル市立美術学校の夜間講座へ通い始め、様々な技法を習得しました。デュフィはその右利きの手の技巧にこだわりを感じ、わざと左手でウジェーヌ・ブーダンを模写したり、ルーアンの美術館でドラクロワを学びながら、23 歳でパリの国立美術学校エコール・デ・ボザールへ入学。モンマルトルに暮らしながらモネ、ゴーギャン、ゴッホ、ピサロなどに影響を受けたと言われています。

デュフィの画法の特徴は、画家の多くが採用している、デッサンの下絵から描き始める方法ではなく、最初に絵の具で豊かな色彩ベースを配置して、その上から線描による輪郭を強調するという技法で、生まれ故郷のル・アーヴルやコート・ダジュールの海岸やヨット、競馬場、オーケストラ、薔薇のモチーフなどパステル画と間違えるほどの多彩な油絵を描いています。

1918 年にはジャン・コクトーの舞台デザインを手がけた後、フランスの電力会社の依頼で1937 年パリ万国博覧会電気館の巨大壁画「電気の精」を描く事になり。長さ60 メートル、高さ10 メートルの大作は現在もパリ市立近代美術館で無料で見ることができます。テーマである「電気」について約1年もの研究期間を費やし、ほのかな光を放つ色彩の秘密には、マロジェという科学者が考案したメディウムという用材を絵の具に混ぜたそうです。
その構図は、縦2 メートル、横1.2 メートルの合板パネル250 枚を用いたコンポジションによって、古代から現代までの電気の歴史がつづられ、アリストテレスからエジソンまで、科学の進歩に貢献した110 人の科学者たちと文明社会の変遷が描かれています。

「電気の精」をはじめ、パリ近代美術館では企画展を除く常設展が無料で見学できます。美の大作を散歩するパリの休日を過ごしてみてはいかがでしょうか。

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ツール・ド・フランス2009、パリ市街の最終ステージは7月26日に行われます。
レース自転車がコンコルド広場、シャンゼリゼ通りを走り抜け凱旋門のゴールを目指します。



最 終ステージは、一部の例外を除き、凱旋パレードの意味合いが強く、真剣勝負を観戦するというより、ツール・ド・フランスをパリ中でお祝するという お祭り です。もし運良くこの時期にパリを旅行するなら、年に1度のこのイベントで、パリ市民といっしょに盛り上がっちゃいましょう!何十台ものレーサー仕様の自 転車が車以上のスピードで駆け抜けるそのシーンは、一見の価値があります。


≪ツール・ド・フランス 観戦オススメポイント≫

①ラトリエ・ルノー(L'Atelier RENAULT)
53 avenue des Champs-Elysees 75008 Paris
http://www.atelier.renault.com/atelierrenault/en/Accueil/homePage.aspx
1 階がルノーのショールームでF1マシンが展示される事もあって、オフィシャルグッズのブテックとなっています。2階がレストラン・バーで、ランチや深夜ま で食事もできるのでワインやデザートを楽しみにながら、シャンゼリゼを走り抜けるレーサーの姿を応してみては・・・・・。
ただし早めに行って陣取る必要があります。

②シトロエンC42

42 avenue des Champs-Elysees 75008 Paris
http://www.c42.fr/
ルノーショールームの筋向かいにあるシトロエンのシィールームです。
シャンゼリゼ通り沿いは全面ガラス張りになっています。

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