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2011.05.02

 旅行記(台湾)

台湾茶の歴史を訪ねる旅(3) 擂茶ラテ

4月20日(水)

3. 老街を行く


翌朝早めに起きて、裏の食堂街へ。この付近は台北駅の近くとはいえ、どちらかと言えば学生街の雰囲気を残す。補習班と呼ばれる予備校(塾)が多くあり、食べる物も安い。一軒の食堂に入る。店頭でサンドイッチを作って販売している。卵とソーセージ、この焼ける匂いが好ましい。ミルクティが付いて、40元。僅か100円で楽しい朝ごはんとなった。この手軽さ、台湾の良い所である。


そして黄さんの店に向かう。寧夏路という台北の老街にある。この一帯は昔ながらの街で、台湾茶の歴史を語る上では重要な場所。清末から日本統治時代にかけて、に生産された茶葉をここに集め、加工し、輸出した一大拠点であった。大稲埕と呼ばれている。現在台北の中心は東側に移っており、往時の活気はないが、警察局などが古き良き建物をそのまま使用しているなど、老台北の香りをかげる場所であろう。


歩くこと30分、黄さんのお店、恵美寿(http://www.taipeinavi.com/shop/282/)に到着。店のおばさんに尋ねると、何と黄さんは出張中で、今日戻る予定だが、時間は分からないという。色々と質問を試みるが、要領を得ず、名刺を残して退散した。


仕方なくまた手掛かりを求めて、林森北路にある15年ほど通っているお店に顔を出す(http://www.taipeinavi.com/shop/306/)。ここの杜おばさんは世情に明るく、昨今の台湾の状況を聞くのに適した人物。今回は台湾茶の歴史について、聞いてみたかったが、いざ聞く段になると、台湾人と日本人の夫婦がやってきた。台湾人に嫁いだ日本人女性の話はなかなか面白ろく、話がそちらに向かってしまった。台湾の家庭では5分前まで、誰も夕飯の支度を考えず、思い付きで突然外食となる。化粧もせずに皆サンダルで出ていく姿を唖然として見つめる日本人女性、目に浮かぶようだ。


更に何とか質問にこぎ着けた時、田舎から知り合いが出て来た、と言って注意が完全にそちらに向かう。私はなすすべもなく、退散。今回はなかなか上手くいかないようだ。


お昼は吉林路へ。台湾を書かせれば第一人者の日本人Kさん夫妻と取る。執筆で忙しいKさんを無理やり誘い出した形だ。何しろ台湾茶の歴史の手掛かりを得なければならない。Kさんが連れて行ってくれたレストランは地元の人しか行かないだろうというディープなお店。メニューもなく、注文はKさんがあっという間に伝える。さすが台湾在住10数年。



台湾茶の歴史について、Kさんは徐に語りだす。「ようは台湾茶が何処から来たのか分からないんです」。なるほど、台湾茶は元々この島にあったのか、それとも福建省から持ち込まれたのか、はたまた・・。なかなか興味深い出だしである。日本統治時代、米と砂糖は日本への重要輸出商品であったが、お茶は日本に緑茶があり、重視されなかった。それもあり、その時代の研究も進んでいないようだ。

そして彼が今回用意してくれた秘密兵器について、語り出す。Uさん、日本人で台湾茶作りの修行をしている人。しかも学生時代は台湾茶業史を研究していたというまさにうってつけの人材を紹介してくれていた。その人はこれから初めて行く南投県鹿谷で私を待っていてくれる。これは楽しみだ。


喫茶店に場所を移す。Kさんはまたメニューにない飲み物を頼んでくれた。擂茶ラテ。擂茶とは生茶、生米と生姜を主要材料として擂り潰してから飲むもの。主に福建省、広東省、湖南省や台湾の客家で伝えられ、今も客家の間で飲まれている。この擂茶ミルクを混ぜたものが、擂茶ラテ。数年前は一時流行したらしいが、この店でもメニューから消えているように、定着はしなかったようだ。だからこそ珍しい。