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2011.05.12

 旅行記(台湾)

台湾茶の歴史を訪ねる旅(7) 魚池へ行け

4月21日(木)
7.魚池へ行け
翌朝8時、ライブの疲れがあったが?昨日会えなかった黄さんに電話する。すると「10時半には出掛ける」との答え。取るものも取り敢えず、朝食も取らずすっ飛んで行く。タクシーに乗り10分で到着。


黄さんは1980年代終わりから、台北市茶葉公会の会長を務め、現在は顧問。日本語も英語もできる黄さんは公会にとって貴重な存在であり、対外的な広報、外国人のアテンドなどは公会を代表してやっているようだ。日本をはじめ、諸外国にお茶人脈を持ち、講演をこなしてきたという。



同時に恵美寿というお茶屋さんを経営している。恵美寿はアメリカにも工場を持ち、中華レストランにお茶を供給している。恵美寿の店の名前の由来は先代が恵比須顔だったからだという。何ともユニークである。

黄さんはお茶の歴史の専門家ではない、と言っていたが、一通り台湾茶の歴史を教えてくれた。そして日本統治時代「総督府は茶葉伝習所や試験場を作って、台湾のお茶人材を育成し、また品種改良を行った。これは大変な貢献である。」と熱く語る。私が思っていた台湾茶の歴史にはなぜか日本統治時代がスポット抜けていることに気が付いた。それはなぜだろうか。


そう、当時台湾の輸出品と言えば、米、砂糖、茶であったが、その内日本が必要としたのは米と砂糖。お茶は輸入する必要がなかったため、日本統治時代を研究する人からも敬遠されてきたのだ。

そして黄さんは決定的な言葉を言い放った。「あんた、必ず魚池に行きなさい」。魚池?今まで聞いたことがない地名が飛び出してきた。しかし私の旅は行けと言われれば行くのである。どうやっていくのか、今回行くのかは全くこの時点では分かっていなかった。それでも結局は行ってしまうところに私の旅の面白さがある。