お知らせ

>>お知らせ一覧

Myカテゴリ
コラム (88)
ブログ(タイ) (74)
ブログ(香港) (43)
プロフィール (1)
寺子屋チャイナ(ビジネス) (9)
寺子屋チャイナ(学生) (6)
旅行記(アジア) (293)
旅行記(インド) (138)
旅行記(スリランカ) (39)
旅行記(トルコ) (41)
旅行記(ベトナム) (61)
旅行記(中国) (189)
旅行記(台湾) (43)
旅行記(日本) (48)
茶話会 (9)
読書感想文 (2)
講演会 (21)

2011.05.23

 旅行記(台湾)

台湾茶の歴史を訪ねる旅(9) 凍頂烏龍茶の父 登場

9. 凍頂烏龍茶の父 登場

Uさんに先導されて教会へ赴く。曇り空ではあるが、空気はよい。教会はこの町の大通りに沿ってひっそりと建てられている。1階は教会で2階から4階は居住スペース。牧師さんの家族が住み、Uさんも住んでいる2階の一室を与えられる。『教会に入る泥棒はいません』ということで、部屋のカギは渡されない。


部屋は入り口から一段上がっており、そこに布団が敷かれている。広さは広い。トイレとシャワーもあり、十分。4階まで行けば、無線でネットも使える。これで1泊300元。有難い値段である。勿論キリスト教徒でもない私は、Uさんの友人ということで特別に泊めてもらっているのである。


Uさんが『取り敢えず行きましょう』と言う。どこだか分からないが行こうと言われれば行く。彼は階下でバイクの後ろを指し、乗れと言う。バイクの二人乗り、久しぶりだ。と言っても狭い町のこと、すぐに目的地に着く。そこは通り沿いの一軒の家。


中に入ると、2人がお茶を飲んでいた。客席に座っていたのは、阿里山から来ていた茶師の青年。これから埔里に茶作りに行くと言う。今年は例年より冷え込みが強く、どこも茶の芽の出が遅い。作業は大幅に遅れている。そして品質も?という感じであろうか。茶師というのは、お茶作りの重要なポイントである発酵や焙煎を行う人。台湾では各地で茶畑が造成されたが、この茶師は需要に追い付いていない。


もう一人は何と日本に3年滞在していたというL君。日本語で挨拶する。私以外の3人はいわばプロ。皆飲み方からして違う。阿里山の高山茶新茶を飲むと、うーんと首を傾げていた。この家の跡取り息子だという。Uさんとは大の仲良し。


茶師が出発すると言うので外へ出る。そこへ向こうからおじさんが一人歩いてきた。Uさんが『光演さんだ』と言いながら、呼び止め、家の中に導く。誰なのか、この人は。この方は、この町の町長もやり、その前は農協の組合長だったという林光演氏。この方が実は凍頂烏龍茶をスーパーブランドにした仕掛け人であると聞き、驚く。


林さんは突然の質問にも丁寧に応えてくれた。凍頂烏龍茶の歴史は長く、「1865年に林鳳池が科挙の試験に合格し、その記念に福建省より持ち帰った36本の烏龍茶の苗木の内、12本を凍頂山に植えたのは我が家の祖先です」。林さんは林鳳池の親戚の末裔に当たり、凍頂烏龍茶を世に知らしめた農会の組合長であった1976年に茶の品評会を実施、一大ブームを演出した。


そこら辺に居る普通のおじさんに見える飾らない林さん。いきなりの展開に驚くものの、台湾茶の歴史を訪ねる旅に相応しい出だしとなる。