4月23日(土)
13. 埔里へ行く
翌朝Uさんは7時前に茶作り小屋の整備の仕事で出掛けてしまった。取り敢えず今日は日月潭方面に向かう。それは台北の黄さんが「魚池へ行け」と言っていたからだが、正直その魚池がどの辺なのか分からない。何となく日月潭あたりという情報のみ。
日月潭に行くには一端台中まで戻り、そこから出直すのが良いとのこと。ところがその台中行きのバスが、何と10時半までないのである。仕方なく、ブラブラしながらバス停を確認。ちょうどのその前でビニールを張った小さなお店が出ていたので覗く。割包という食べ物が目に入る。食べてみる。マントウを割いて中に豚の角煮他を入れている。なかなかイケル。
若い女性が一人でやっていたので聞いてみると半年前まで台中で銀行に勤めていたが、結婚により旦那の実家がある鹿谷に越してきたという。ところが旦那は依然台中で仕事をしており、3日に一度しか戻らない。日本なら勿論彼女も台中で銀行勤めを続けただろう。ところが「台湾の田舎はそうはいかない。結婚というものは妻が旦那の実家に入るもの。」と言い、その寂しさからお店を始めたらしい。何とも昔風な話であるが、それが鹿谷にはよく似合う。
バスには数人しか乗っておらず、危うく私の待つ停留所を通り過ぎようとした。それ程人が乗らないと言うこと。バスはあっと言う間に山を下り、1時間で台中の高速鉄道駅に到着。ここで知り合いから紹介された日月潭の紅茶屋さんに電話を入れる。すると「日月潭ではなく、埔里行でよい。しかも終点ではなく、交流場で降りろ。」と言う。分からないので切符販売所で聞くと「確かにある」との答え。運転手も頷いたのでバスに乗る。
40分ほどして、バスは高速道路を下りた。恐らくここが交流場であろうと運転手に行きと「そうだ」と言うので降り、電話で迎えを頼む。ところが待てど暮らせどやってこない。電話があり「どこにいるんだ」と聞かれたが返事のしようがない。懸命に周りの風景を伝えたがピンとこない。最後は近くに家の住居表示を伝え、何とか迎えが来た。
陳さんは非常に元気な人で、若く見える。食事を取っていないと言うと「餃子がウマいから食え」と買ってくれる。そしてなぜか車の助手席で食え、とも言う。箱に10個の蒸し餃子。陳さんが覗き込むようにウマいかと聞く。何と陳さんは「僕は肉を食べないからこれがウマいかどうかは知らない。でもみんながウマいと言うから勧めた。」と実に正直に話す。確かにこの餃子は肉汁も含めて実にウマかった。