ランチの時間になる。夕方には台北に戻りたい私。梁さんが最後に連れて行ってくれた場所は何と日本食堂。埔里の街中にはあるが、ちょっと分かり難い場所。梁さんによれば、「日本人で定年退職した方と台湾人の夫婦がやっている。週に二日は休みだから、今日はやっているか心配。」と言う。
到着すると驚くことに民宿の家族全員が集合している。しかも私が部屋に忘れたタオルも持ってきてくれていた。これには感激。既に大分待たせたらしく、美味しそうにカレーを食べていた。私もすかさずチキンカレーを注文し、席に着く。純日本風のカレーに味噌汁が付く。うーん、なかなか良い。
ここ楽活小屋は日本人で長く台湾で勤務し、定年後ここへ移り住んだOさんと台湾人の奥さんが絶妙のコンビで経営していた。このお店にはカレーなど日本食メニューが並び、カウンターの上には煮物や卵などが置かれていた。かなり庶民的な感じであるが、店内の天井が非常に高く、山小屋風でもあり、何だかのびやかな気分となる。またOさんに台湾茶の歴史に関する資料を訪ねるとあれこれ考えてくれたが手掛かりは得られなかった。
Oさんに何故埔里に引っ越してきたのか聞いてみると「気候が良い、特に台中や高雄と比べて湿気が少ない。高速鉄道の開通もあり、交通が便利。物価も台北などより安い。」とのこと。埔里と言えば、台湾でのロングステイ受け入れの窓口的な存在。但し日本人第一号であるN夫妻が何かと話題をまき散らし、日台双方にちょっとした行き違いを発生させた場所でもある。
それでも近年埔里に住む日本人は少しずつ増加、大学の先生なども含めて10名程度が住んでいるという。確かに今回泊まった民宿を見ても、なかなか住み易そうな場所であり、空気もよい。避暑地としてはよいかもしれない。ロングステイ先としてリストには入れておこう。
そして親切にしてくれた梁さん一家と別れ、バスに乗り、台中へ。今回は行きとは違い、慣れたもの。直ぐに高速鉄道にも乗り継ぐことが出来、あっと言う間に台北駅に着いた。確かに台北は暑く感じられ、すぐに埔里が懐かしくなった。
因みに台湾の高速鉄道の乗り心地は快適。シートも広いし、台中‐台北間だと1時間掛からない。自強号だと今でも2時間以上掛かるから、かなりの短縮。しかし料金が700元は高い。バスなら140元だそうだ。次回はバスを検討しよう。