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2011.06.13

 旅行記(台湾)

台湾茶の歴史を訪ねる旅(20) 大稲埕

20. 大稲埕
黄さんに率いられて大稲埕へ。河沿いに城門のようなものがあり、「大稲埕」と書かれている。大稲埕は清末から日本統治時代にかけて,経済、社会、文化の中心地として台湾の発展の中心地であり、かつ人文等の学術の中心地でもあった。




埠頭から淡水河を眺める。往時を偲ぶものはあまりなく、僅かに清代に台湾で使われていた唐山帆船の模型が展示されるのみ。対岸には高層マンションが並び、橋がきれいに架かっている。なかなかいい風景である。


この埠頭付近には1860年代以降、茶商が並び、淡水側上流から運ばれた茶葉を収集し、中国大陸へ送り出していた。特に1880年代、地方有力者であった林維源と李春生は、大稲埕に建昌街(現在の貴徳街)を整備し、ここに洋風店舗を設立、それの貸し出しを開始し、洋風建築を用いた商業活動が行なわれるようになった。日本時代に入った1896年には人口3万人の一大都市となり、茶商は252を数えたという。


その貴徳街に行って見た。非常に細い道であり、当時は広い道がなかったのかと訝る。今は殆ど昔の面影はないが、道の真ん中まで来ると古いバロック風のがっしりした建物が目に入る。これが1923年に建造され、唯一取り壊しを免れた錦記茶行である。


3階建てでバルコニーもあり、窓も独特でかなりおしゃれな様子。台湾初の水洗トイレがあったとか。ちょうどこの年台湾を訪問した昭和天皇(当時は皇太子)も見学に来たとの話がある。1階部分は数段高くなっているが、これは淡水河の氾濫に備えたもの。


現在は使用されておらず、何となく薄暗い印象を与える建物ではあるが、当時は相当豪華な風情であったことだろう。ここにも茶商の力がどの程度の物であったかが見て取れる。


更に行くと「李春生記念教会」がある。李は外国人宣教師と出会い、洗礼を受け、クリスチャンとなった。同時に英語も習得し、1865年に樟脳の視察で訪れたイギリス商人ジョン・ドッドの買弁として、大いに活躍した人物である。当然巨万の富を築き、この教会もその資産の一部で作られたのだろう。




またその反対側にあるレンガ造りの建物は「港町文化講座」。1921年林献堂、蒋渭水両氏により設立された非武装の民主団体。後に両氏は台湾の議会を請願して逮捕される。因みに蒋渭水氏の記念公演は黄さんのお店のすぐ近くにある。


最後に老舗の茶荘を訪問。王錦珍茶荘という名前のその茶荘は大稲埕埠頭の脇、貴徳街に入る道の所にあった。中に入ると先客がおり、話が弾む。聞けばこの主人、広東の方で商売をしており、現在茶葉収穫の季節に合わせて、帰郷しているらしい。店は昔の造りで、奥には茶の缶が並び、如何にも茶商と言う雰囲気が出ている。


我々の横をスーッと通り抜け、外へ出た老人がいた。主人の父親だと言う。にこやかに、そして無言で去る。この人が先代、王明徳さんかなと思ったが、誰も尋ねないので聞きそびれた。