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(4)ホテル

中華街から北へ向かう。今日のホテルはTTMの家の直ぐ近くに取ったと言う。それにしてもヤンゴンのホテルの値上がりは凄い。昔何回か利用したミンガラガーデンは7年前の20ドルが今や60ドル。どこのホテルも対して改装などしていないのに、折からのミャンマーブームで急激に値上がりしているらしい。

Wish Hotel、最近出来たこのホテルは、そこそこきれいで従業員の対応も悪くない。英語の出来るスタッフも常駐しており、悪くない。部屋も広く、シャワーのお湯もちゃんと出る。クーラーも効いている。ここも60ドル。まあ仕方ないか。




このホテルにはWIFIがあるという。恐る恐る繋げてみたが、繋がらない。うーん、ミャンマーでネットなど以前は夢のまた夢であったが、やはり今でも事情は悪いのだろう。念のため、フロントに聞いてみると、部屋を替われ、という。違う階の部屋へ行くと、何と本当にネットが繋がった。Facebookもツイッターも見ることが出来た。嬉しくなって、2時間もやってしまった。




6月21日(木)

翌朝は快適に目が覚め、階上の食堂へ。とても簡易な作りで、トースト、目玉焼き、コーヒーを出してくれた。何だかベトナムの安宿を思い出す。テレビでは朝からタイのドラマをやっている。タイ語だが、一目で韓国ドラマのパクリだと分かるような代物。だが、皆食事をしながらも真剣に見入っている。ヤンゴンには以前から韓流ブームはあったが、今や定着したと言うことか。





 

(3)中華街で

まだ時間が早いと言うので、中華街へ行って見る。昔桶を買いに行った記憶があるのだが、行って見ても全く印象が無い。正直この辺はまだ薄暗く、昔の名残が十分にある。中国人観光客も多く、普通話も飛び交う。

屋台では相変わらずイナゴの唐揚げのような虫を売っている。食べてみたいという気持ちはないが、懐かしさはある。しかし中にはこぎれいなパン屋やドーナツ屋があったりして、ちょっと違うな、と思う所も多い。







「友寿司」と書かれた寿司屋があった。TTMはオーナーと知り合いとかで、オーナーが出て来た。東京の寿司屋で12年働いたミャンマー人だった。流暢な日本語を話す。最初は回転寿司屋、最後は渋谷のびっくり寿司で働いていたそうだ。びっくり寿司と言えばつい2-3週間前に、恵比寿の店に行ったばかり。驚く。




ミャンマーの商売のチャンスが巡って来た、東京でためたお金と寿司職人の技術を持ってヤンゴンに戻った。ヤンゴンのお金持ちの間では健康ブーム。寿司は健康に良いと認識されており、客も増えているという。メニューを見ると、寿司以外にも天ぷらやとんかつなどもある。健康かどうか別にしても、ヤンゴンの食生活は大いに変化している。

TTMによれば、ヤンゴンは現在寿司ブーム。既にこの手の店は20軒を超えていると言う。日本人が行く店は限られており、基本はミャンマー人がお客。彼らの所得はそんなにアップしたのだろうか。

 

(2)ホットポット

空港からバンに乗り込む。7年前は古い古いトヨタ車を使っていたが、あの運転手さんは亡くなったと言う。車も新しくてきれいだ。私が出て来た国際線ターミナルは数年前に建設されたようだが、隣には昔の空港が国内線ターミナルとして使われていた。こちらの方が懐かしい。そこで働いているSSの従妹をピックアップし、市内へ。




空港付近はさほど変わっていなかったが、車が進むにつれて、きれいな別荘風の家が見え、建設中の高層マンションが見えると、やはり変わったんだ、と思う。そして恒例のホットポットへ。SSが大好きでいつも行っていたセブンアップという店は既に廃業していた。代わりに今はヤンゴンでも最も流行っていると言う店へ行く。その綺麗さ、大きさ、平日の午後6時なのに、家族連れ、友人同士、などミャンマー人で満員なのには心底驚く。







SSが食べ物を選びに行くのはいつものこと。実は一緒に来た男性は彼氏だと言う。TTMも公認なのだから、結婚も近いかと思いきや、SSがする気が無いらしい。なかなかいい男なのだが。




食べ物は実に美味しかった。管理も清潔で、ここがバンコックだと言われても分からないだろう。ビールも冷えていた。従業員の対応もよかった。これではあの薄暗くて、誰も働かないような店は淘汰されるのも当然だ。完全に市場原理が働いている。


 

6月20日(水)  1.ヤンゴン  (1)空港

エアアジアは僅か1時間でヤンゴンへ到着した。前回まで乗っていたタイエアーと違い、乗客は殆どがタイ人などの観光客だ。日本のビジネスマンは殆どがタイエアーに乗っているそうだ。




7年ぶりのヤンゴン空港は見違えるほどきれいになっていた。昔はタラップを降りると京都市営バスと書かれた日本の中古車が横付けされ、何とも不思議な感覚になったものだが、今では空港ターミナルへ直接着くため、あのバスは見られない。ターミナルもきれいになっており、驚くほど。昔のあの薄暗いイメージは全くない。




イミグレもスピード化が図られたようで、実にスムーズ。既に香港でビザを取得済みであったが、良く見るとアライバルビザと書かれたカウンターさえあった。後で聞くと、ヤンゴンの受け入れ先が必要書類一式を持って空港に待機していて初めてビザが取れるそうで、中にはビザが取得できずに乗って来た飛行機でバンコックに送り返された、などいう話もあるようだ。

そして荷物のターンテーブルを過ぎると、何とTTMとSS、そしてもう一人が私を見つめていた。何とも呆気なく再会した。何だかあっと言う間に7年前に戻ってしまったようだ。空港で携帯電話のSIMカードを借りる。普通の国では買うのだが、ここではSIMカード自体が貴重らしく、50ドルのデポを払って借りる。使用料金は一日2ドルとか。いずれにしてもヤンゴンで携帯が使える、夢のような話だ。


 

《懐かしのミャンマーを行く》 2012年6月20-28日

2004年に初めて訪れたミャンマー。私は熱に浮かされたようにはまり込み、それから続けて3回、ミャンマーへ行った。しかしその後は何だかプッツリとご縁が切れ、思い出すことも少なくなっていた。それがある日、「電子書籍を出さないか」と知り合いに言われ、あの魅惑のミャンマー旅行を整理した。そして読み返す内に又行きたくなってきた。

「ミャンマー お茶を食べる国の物語」電子出版
 

http://voyager-store.com/index.php?main_page=product_info&products_id=11166&shop_name=altbook




しかしあのTTMやSSは一体どうしてしまったんだろう。数年前に東京で会ったのが最後だった。元々の紹介人であるS氏も最近の状況を知らないという。どうせ行くなら会いたい、と思っていた。すると・・ある日、驚くべきことが起こった。Facebook上で何とあのSSを発見したのだ。急いで友達申請してみると、ちゃんと承認されてくる。そしてメッセージを送るとチャット状態で会話が出来てしまった。SSも社交辞令で「いつミャンマーに来ますか」と聞いてきた。これは行かねばならない。




すると翌日エアアジアからメールが。バンコック⇔ヤンゴン、往復7,000円とある。これだと思い、2月の時点で6月20日を予約してしまった。そしてSSに予約した旨告げた。さあ、どうなるんだろうか。ところが、4-5月にSSからは何の連絡もなかった。ホテルの予約も茶旅の手配もどうなっているのか、全く分からない。仕方なくS氏に他に知り合いを紹介してもらったが、メールするとちょうどミャンマーに行ってしまい、連絡が付かなくなっていた。




とうとう万事休すか、と思っていたところへ、何事もなかったようにSSから連絡が入り、出発の運びとなる。しかし何とSSは前日まで韓国旅行へ行くという。Facebookといい、韓国旅行と言い、ミャンマーは途轍もなく変わってしまったのだろうか。スーチーさんが国会議員になる国、ミャンマーを再訪した。

 

ホテルで寛ぐ

部屋は角部屋でベッッドはふかふかで快適。取り敢えず数時間寝る。この寝る環境というのが大切だ。若い頃バックパッカーで鍛えていた人なら出来るだろうが、私はその経験が無く、かなり長い間、人に紹介されるままに、または料金が安いというホテルを泊まり歩いてきた。
ここへ来て、ガタが来たようだ。これまで疲れを感じることはあっても、先に進むのを拒む気持ちはなかった。だが今回初めて明らかに、先に進みたくない、休みたいという気持ちが出た。このシグナルは大切にしよう。人は時には休まなければならない、いくら自分のしたいことをしていても。




夕方腹が減って起きたが、外へ出る気にはならず、最上階にあるレストランへ。ここは25年前からあった回転展望レストラン。80年代のホテルに流行ったタイプだ。取り敢えずお粥だけ頼み、体の様子を見る。かなり回復しているようだが、本格的に食べるのは明日にして、さっさと風呂に入って寝る。




翌朝は最上階レストランで朝食。このホテル、実は結構すごい。和洋中、何でもある。しかも相当の量である。おかゆを食べて、パンを食べて、スクランブルエッグにみそ汁を飲むこともできる。フルーツも豊富。床が回転していくので、位置が分からなくなるほど、色々とある。これなら、朝食代を払っても正解だろう。たらふく食べた。




そして掃除の時間以外は殆ど外に出ずに、誰とも連絡を取らずに、部屋で過ごす。NHKのワールドプレミアムも入るので、何となく眺めていたりする。何もしない時間が過ぎる。改めて、この1年を超える旅を振り返ってみる。そして何となく次の旅への闘志が涌く。まだまだいけそうだ。

そしてとうとうホテルに2泊して杭州を去る。結局2日間何処へも行かずに、北京に戻ることにした。偶にはこんな旅があってみ良いだろう。2回目の朝食をゆっくり味わい、杭州の景色を堪能する。飛行機の予約をして、空港へ向かう。今回は珍しくタクシーに乗る。これは少し贅沢だったが、偶にはこんなこともしてみよう。私の旅には広がりがあり、またかなりの落差がある。それもまた良い。

 

6月3-5日  5.   ホテルライフ  25年ぶりの予約

翌朝も目覚めは良くない。宜興へ行くにはここから遠いバスターミナルへ行き、そこからバスで3時間掛かるという。直感的に無理だと感じる。ではこのホステルで寝ているか、と言えば、正直それも辛くなっていた。体調が良ければ気にならないが、やはりこんな日は少し良いホテルにでも泊まって疲れを癒す必要がある。そこで思い付いたのが、25年前、上海留学中に泊まった友好飯店。調べるといまだにある。電話してみると予約が取れたので、先ずはそちらに移る。

友好飯店の思い出(http://hkchazhuang.ciao.jp/asia/china/mukashi13hangzhou.htm )は何と言っても電話予約が出来たことと料金が予約時の4分の1になったこと。そして何よりも部屋がきれいだったこと。今はどうなのだろうか。

行って見るとやはり綺麗だった。最近改装したようだ。岐阜との合弁は既に解消され、中国資本になっていたが、サービスも悪くなかった。実は予約した時点では食欲がなく、朝食不要で申し込んだのだが、ここに来た瞬間腹が減ったので、朝食付きに変更してもらった。朝食なしの方が良い部屋だったらしいが、「25年前に泊まった老顧客」だと告げると、あっさり変更してくれた。

そういえば、初日に法浄禅寺を案内してくれたO先生は私が25年前に宿泊した当時、このホテルで働いていたという。その話で盛り上がり、ご縁が繋がっているのである。人はどんなところでどんな繋がりを持つかは分からない。

 

6月2日   4.  体調不良    ユースホステルを替わる

前日径山寺から戻り、西湖を眺めている内に体調不良に気が付く。兎に角体に力が入らない。ところが今日は宿泊先が満員の為にホテルを移ることになっていた。別のユースホステルを紹介され、そこの人が迎えに来てくれる。




今度のホステルは西湖から少し離れているが、やはり雰囲気は悪くない。ただ部屋がかなり狭い。窮屈感は否めない。取り敢えず昼を食べに出る。この付近も観光客が来るスポットがあり、レストランは賑わっていた。私は普通の食堂に入り、レバー炒めを食べる。これがなかなか美味しく、腹一杯食べてしまう。







そして、午後。本格的に体調が悪くなり、動けなくなった。ナンにもする気が起こらない。どうしようか。ひたすら寝る。それでも回復しない。明日は宜興へ行く予定だが、果たしていけるだろうか。それより、今夜の約束をどうするか。




実は今晩は北京時代の知り合いから紹介された中国人経営者と会うことになっていた。指定された場所はハイヤットリージェンシーの中華。何とか這って行き、食事をしたが、殆ど食べられず、彼に悪いことをしてしまった。彼との話の一端はコラムに書いている。

http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/5031

会食終了後はそれこそ喘ぐようにホテルに戻り、寝込む。もう宜興へ行く気力はなかった。


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