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10. 夜市と蛍
夕食はL君の車で隣町竹山へ。鹿谷より大きい町とのことで、今日は週2回の夜市が立つ。
行って見ると何とも懐かしい感じの夜市。80年代、台北市内でも見られた屋台が並ぶ伝統的な雰囲気。ステーキの屋台が郷愁をそそる。




先ずはオアジェ(台湾牡蠣オムレツ)を食する。これが普通のものと違って、ソースが掛かっており、中がかなり柔らかい。思わずうまいと唸る。35元、安い。次に鳥の手羽先。フライドチキンとは一味違う美味しさ。鶏肉がウマいからだろうか。そしてスイカジュースを飲みながら、焼きトウモロコシへ。これが何とのり付。恐る恐る食べるとなかなかイケル。もう何年も前からここで海苔味のトウモロコシを売っているとのこと。ふーん。




それから車を回して、渓頭へ向かった。実はL君の一族は地元の名士。昔はこの山一帯の持ち主だったというから凄い。おじいさんの記念碑があるというホテルに向かう。ここは大型施設で、別荘風の建物もあり、避暑地の装い。一度泊まってみたいようなホテルだ。ただ当日は中学生の団体が走り回っており、雰囲気に浸る状況ではなかったが。


松林町と書かれた提灯、おじいさんの日本名は松林さんだった。面白いのはこのホテルの中にパン屋があったり、コンビニは併設されていたりする。近くに商店街がこと、山登りに必要であること、そして小中学生に人気があることから、ここの売り上げは半端ではい額だそうだ。


ホテルを後にして、戻る道すがら、突然脇道に入る。何をするのだろうか。すると車のライト以外灯りがない、真っ暗な林から小さな光がぽつぽつと見えてきた。「ここは蛍の名所だ」と言われ、目を凝らすと無数の蛍が強い光を放ち始めた。少し場所を移動するとどうやらそこは沼地らしく、本当にイルミネーションにように光が蠢く。こんな光景はこれまで見たことがなかった。見ているのは我々僅か3人。何と贅沢な空間だろうか。時刻は夜10時を過ぎていた。

 
9. 凍頂烏龍茶の父 登場

Uさんに先導されて教会へ赴く。曇り空ではあるが、空気はよい。教会はこの町の大通りに沿ってひっそりと建てられている。1階は教会で2階から4階は居住スペース。牧師さんの家族が住み、Uさんも住んでいる2階の一室を与えられる。『教会に入る泥棒はいません』ということで、部屋のカギは渡されない。


部屋は入り口から一段上がっており、そこに布団が敷かれている。広さは広い。トイレとシャワーもあり、十分。4階まで行けば、無線でネットも使える。これで1泊300元。有難い値段である。勿論キリスト教徒でもない私は、Uさんの友人ということで特別に泊めてもらっているのである。


Uさんが『取り敢えず行きましょう』と言う。どこだか分からないが行こうと言われれば行く。彼は階下でバイクの後ろを指し、乗れと言う。バイクの二人乗り、久しぶりだ。と言っても狭い町のこと、すぐに目的地に着く。そこは通り沿いの一軒の家。


中に入ると、2人がお茶を飲んでいた。客席に座っていたのは、阿里山から来ていた茶師の青年。これから埔里に茶作りに行くと言う。今年は例年より冷え込みが強く、どこも茶の芽の出が遅い。作業は大幅に遅れている。そして品質も?という感じであろうか。茶師というのは、お茶作りの重要なポイントである発酵や焙煎を行う人。台湾では各地で茶畑が造成されたが、この茶師は需要に追い付いていない。


もう一人は何と日本に3年滞在していたというL君。日本語で挨拶する。私以外の3人はいわばプロ。皆飲み方からして違う。阿里山の高山茶新茶を飲むと、うーんと首を傾げていた。この家の跡取り息子だという。Uさんとは大の仲良し。


茶師が出発すると言うので外へ出る。そこへ向こうからおじさんが一人歩いてきた。Uさんが『光演さんだ』と言いながら、呼び止め、家の中に導く。誰なのか、この人は。この方は、この町の町長もやり、その前は農協の組合長だったという林光演氏。この方が実は凍頂烏龍茶をスーパーブランドにした仕掛け人であると聞き、驚く。


林さんは突然の質問にも丁寧に応えてくれた。凍頂烏龍茶の歴史は長く、「1865年に林鳳池が科挙の試験に合格し、その記念に福建省より持ち帰った36本の烏龍茶の苗木の内、12本を凍頂山に植えたのは我が家の祖先です」。林さんは林鳳池の親戚の末裔に当たり、凍頂烏龍茶を世に知らしめた農会の組合長であった1976年に茶の品評会を実施、一大ブームを演出した。


そこら辺に居る普通のおじさんに見える飾らない林さん。いきなりの展開に驚くものの、台湾茶の歴史を訪ねる旅に相応しい出だしとなる。

 
本日は第7回寺子屋チャイナ(学生版)を開催しました。電車が遅れたり、急に大雨が降り出したりでハプニングがありましたが、9名の参加者を得ました。参加した方々、お疲れ様でした。


今回は「台湾から見た中国」と言う題で、皆さんより活発な質問がありました。正直台湾に関する関心が高いのは予想外でした。政治的には馬英九政権の継続が台湾の中国への接近を加速する、経済的には台湾企業の中国の依存の高さ、また中国進出台湾企業(台商)の形態で台湾へ投資してくる中国などを説明させて頂きました。台湾人の中国への反応が徐々に変化し、受け入れている様子などは、先日の台湾訪問で自らも驚いた事実でした。


次回の寺子屋チャイナを以下の日程で行いたいと思います。参加可能な方はご返事をお願いします。テーマは「中国における農村から都市への移動について」、発表者は慶応の博士課程在籍中のTさんを予定しています。
また初級編として「中国の経済」を試みに行います。2つ参加するか、どちらかに参加するかを明記して申し込んでください。申し込みは先着順です。


terakoyachina@gmail.com


※寺子屋チャイナ(学生版、ビジネス版)、茶話会、寺子屋ティーサロンのご案内は以下のブログに掲載されますので、ご覧下さい。

尚先日の寺子屋で申しあげました通り、今後はどこの大学でも参加可能ですので、お知り合いに声を掛けてみてください。中国茶を飲みながらの懇親会もありますので、是非どうぞ。


・日時  6月19日(日)13:00-18:00
     13:00-15:00 初級編「中国の経済」
     15:00-16:00 懇親会(初級、中級合同)
     16:00-18:00 中級編「中国における農村から都市への移動について」
・場所  フォートラン ランゲージ システムズ
     東京都渋谷区広尾1-6-1 ホメックスE
     tel: 03-5464-0345 恵比寿駅より徒歩7分
・会費  初級、中級共に1,000円(2つ参加の場合は2,000円)
・参加者 初級、中級共に12名前後


宜しくお願いします。

 

4月の第1回茶話会のおり、Tさんより依頼があり、参加者でお手伝いをしました台湾の小学生のメッセージ翻訳作業、無事に被災地に手渡されたとの報告がありました。


台湾桃園県中壢市中平小学校の子供たちが書いた約1400枚の絵カードを岩手、宮城の被災地の子供たちに届けに行った時のエピソードが岩手の東海新報に掲載されました。



絵カードを送る活動の発起人の陳新平校長ほか1476名の中平国小の小朋友の皆さん、無事にカードが届きましたよ!絵カードの翻訳を手伝って下さった多くの皆さんのご協力に心より御礼申し上げます!


Youtubeで絵カードの応援動画を作ってくれたJありがとう~!
大船渡、気仙沼、会津の絵カードの送り先との間を取り持って下さった復興支援メディア隊のみなさん...感恩です!


こうした数多くの皆さまの協力なしには成し遂げられませんでした!本当に有難うございました!

 
本日は第2回恵比寿茶話会を開催し、気温が高い中、13名のご参加を得ましたことに深く感謝致します。7名の初参加者もバラエティーに富んでおり、会も盛り上がってきました。


コアタイムは台湾茶の歴史を訪ねる旅でしたが、如何だったでしょうか?台北郊外の山中有機茶、日本統治時代の紅茶樹、台湾茶は実は輸入茶が多いことなど、そこで得たお茶を飲みながらお話しましたが、ご参考になれば幸いです。参加者のご経歴が多様であり、インド、タイ、ベトナムなどのお話も飛び出し、茶話会らしい国際性も出ていましたね。また今回は茶芸師の資格を持つIさんにお茶を淹れて頂き、感謝致します。私が淹れるのより、10倍美味しいお茶を頂きました。


次回は6月25日(土)を予定しております。 また是非恵比寿にお集りください。台湾茶の続報がご披露できるかもしれません。


【本日のお茶】
1.阿里山高山茶(台湾の青茶-冬茶)
2.雲霧茶(雲南省の緑茶-プーアール茶に近い味)
3.鉄観音茶(福建省の青茶-枝付き)
4.四季春茶(台湾の青茶-台北郊外の有機茶)
5.祖母緑紅茶(台湾の紅茶-日本統治時代の老樹)


また茶話会、寺子屋チャイナなどご案内は以下のブログに掲載されます。台湾茶の旅も更新中ですので、是非ともご覧ください。
http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/ (寺子屋チャイナ)

 
8. 鹿谷へ 一日一往復のバスに乗る
黄さんと別れ、少し早目の昼食へ。台湾に来たら弁当を食べる、これは鉄則である。ゲストハウスの裏にはいくつものの弁当屋があったが、まだ時間が早い。それでも入って来る客を拒みはしない。自助餐という形式でおかずが並んでおり、好きな物を指すとおばさんが取ってくれ、ご飯を盛ってくれる。スープは自由に取る。あー、これは幸せだ。僅か60元、ちょっと油っぽいが何だかうまい。




今日はこれから未知の場所、鹿谷へ。一体どうやっていくのか。Kさんの秘密兵器、鹿谷で就業する日本人、Uさんからは『鹿谷直行のバスを予約しておきます』と言われていた。一日一往復しかないこのバス、昨日連絡を入れたが、『当日また電話して。待ち合わせ場所と時間を決めるから。』との返事。これは面白い。


食事後恐る恐る電話すると『運転手から電話させる』と。あれ、誰が運転しているんだ?そして運転手から『新光三越の前で待ってて』と言われ、待ったがなかなか来ない。すると一台のタクシーがスーッと前に止まり、私の荷物を運ぼうとする。タクシーなの?訳は分からないが、助手席に乗り込む。運転手に鹿谷の話など向けてみるがイマイチ反応が鈍い。


まあいいや、これで寝ていれば鹿谷到着だと高を括って、本当に寝入る。いつの間にかタクシーは板橋(台北郊外の地名)の路地裏で女性を乗せ、また道路わきで老夫婦を乗せていた。乗合タクシーだと思っていると、急に起こされ、『乗り換え』を告げられる。


そしてそこには若者が一人、9人乗りのワゴンと共に待っていた。そう、タクシーで人を集め、集合してから出発する形態だったのだ。車にはなぜか10人乗っていたが、気にしない。比較的老人が多い。中には老人一人での帰郷という感じで、若夫婦が運転手に何度も世話を頼んでいるケースもあった。車内は全て台湾語である。




高速で2時間ほど南下、ドライブインでトイレ休憩。その後ちょっとして最初の乗客が降りた。それから30分ほどして、道が登り始め、山の中へ入っていく感じが出て来た。かなり上った段階で人が降り始めた。一人ずつ目的地まで運んでいく。自宅から車の迎えが来ている人もある。近所の人と再会のあいさつを交わす人もいる。何だか懐かしい光景が目に入る。


さて、私は降りる場所は『教会』となっている。どこにあるのかと見ていると運転手の若者が携帯で私の到着を告げている。教会の前で降りるとそこにはUさんが立っていた。何とも便利なシステムである。これは地元の人々の利便のため、若者が始めた事業らしい。こんな起業は皆に喜ばれて小さな成功を収めるはずである。

2011年05月19日

 【講演会

北京読書会

 

北京在住時に自ら創設した読書会に、ゲストとして呼んで頂き、お話しました。キーワードは『茶旅』と『寺子屋チャイナ』。特に茶旅は35-50歳の家族持ちサラリーマン男性に推奨しようというかなり無謀な話ですので、なかなか共感は得られませんが、今の日本に必要な柔軟性、とっさの判断力などを養う良い機会であり、また他国の歴史、文化、社会などを知ることもできると思っています。


詳細は北京で有名なしゃおりんさんのブログ「北京メディアウオッチ」をご覧ください。


http://pekin-media.jugem.jp/?eid=1149

 
4月21日(木)
7.魚池へ行け
翌朝8時、ライブの疲れがあったが?昨日会えなかった黄さんに電話する。すると「10時半には出掛ける」との答え。取るものも取り敢えず、朝食も取らずすっ飛んで行く。タクシーに乗り10分で到着。


黄さんは1980年代終わりから、台北市茶葉公会の会長を務め、現在は顧問。日本語も英語もできる黄さんは公会にとって貴重な存在であり、対外的な広報、外国人のアテンドなどは公会を代表してやっているようだ。日本をはじめ、諸外国にお茶人脈を持ち、講演をこなしてきたという。



同時に恵美寿というお茶屋さんを経営している。恵美寿はアメリカにも工場を持ち、中華レストランにお茶を供給している。恵美寿の店の名前の由来は先代が恵比須顔だったからだという。何ともユニークである。

黄さんはお茶の歴史の専門家ではない、と言っていたが、一通り台湾茶の歴史を教えてくれた。そして日本統治時代「総督府は茶葉伝習所や試験場を作って、台湾のお茶人材を育成し、また品種改良を行った。これは大変な貢献である。」と熱く語る。私が思っていた台湾茶の歴史にはなぜか日本統治時代がスポット抜けていることに気が付いた。それはなぜだろうか。


そう、当時台湾の輸出品と言えば、米、砂糖、茶であったが、その内日本が必要としたのは米と砂糖。お茶は輸入する必要がなかったため、日本統治時代を研究する人からも敬遠されてきたのだ。

そして黄さんは決定的な言葉を言い放った。「あんた、必ず魚池に行きなさい」。魚池?今まで聞いたことがない地名が飛び出してきた。しかし私の旅は行けと言われれば行くのである。どうやっていくのか、今回行くのかは全くこの時点では分かっていなかった。それでも結局は行ってしまうところに私の旅の面白さがある。

 
6. ライブ
時間も8時となった。Yさんのもとを離れ、次なる目的地へ。先程劇的な再会をしたBさんよりライブの前のメンバー夕食会へのお誘いだ。本来は遠慮すべきところであるが、そこに青木さんもやって来ると聞き、仲間に入れてもらったのだ。

青木由香さん(http://www.aokiyuka.com/)、台湾在住9年、お茶にも関係した仕事をしているとのことで、紹介を受けていた。台湾に関する著書もあり、ユニークなキャラだと聞いていた。青木さんはメンバーのためにライブハウス近くの個性的なお店を予約して待っていた。さすが。


ところがメンバー以外にも数人、参加者がおり、また初対面でお茶の話を聞くなど出来る状況ではなかった。BバンドのメンバーはBさん以外の3名は若い台湾人であり、おとなしい感じであったが、皆今日の日を楽しみにしていたようで、とてもアットホームな雰囲気に包まれていた。これもBさんの人柄か。特に24歳の裕君は全盲のピアニスト、東京でのリサイタルも控えているとのことで、少し驚く。


そして食事が終わり、いよいよライブへ。ライブハウス前にはファンや知り合いは待っており、久々の再会を祝していた。Bさんの台湾生活が充実していたことを物語っている。青木さんの携帯が鳴る。何か話していたが、当然こちらを振り向き、「Yさんのお茶屋に居たの?」と聞く。その電話はYさんの所で日本語を話していた女性Lさんからであった。そして何と何と、その彼女こそが青木さんが最近立ち上げた会社の会長だと言うではないか?もうこの程度では驚かないが、やはり驚いた。青木さんとも何らかのご縁が繋がった。


いよいよライブハウスへ。こじんまりした会場で、Bバンドの演奏は始まった。Bさんとリーダーのトークが間に入り、会場は沸いていた。Bさんから中国語で「今回の震災に対する台湾人の支援に感謝する」との言葉を聞き、久しぶりに感謝を表す意味を感じた。支援も感謝も突然生まれる物ではなく、このような親密な空間でお互いが分かりあう中で生じる物ではないか。



Bさんの歌声がハウスに響く。力強い歌、色々な思いが詰まっていた。子供たちを思って作った曲も含まれており、思わず涙しそうになってしまった。感激の再会の余韻は残っていた。彼は全てを敢えて日本語で歌っている。歌詞が分からなくても、台湾の人々に十分に伝わっている様子が分かる。実に不思議な情景だった。




演奏が終了し、Bさんが一人一人の観客と固い握手を交わす。しみじみと「今日会えてよかった」と言葉を交わした。これも一つの茶縁なのだろうか。Bさんの今後の活動に注目して行こう。

 
5. 幽玄なお茶屋さん
あまりの驚きに体勢を立て直すために一度ゲストハウスに引き上げる。MRTに乗ると、なぜかお腹がグルグルなる。余程驚いたのだろうか。トイレを探すと駅の外側だった。日本にはないパターン。駅員さんは非常に親切にドアを開けてくれた。何だか子供の頃に、こんなことがあったな、と思い出す。台湾はいつも懐かしい雰囲気を持っている。


夕方連絡があり、約束の場所に台湾人Jさんを訪ねた。これもBさん同様人のご紹介であり、初対面であった。コーヒーショップの前で待ち合わせたが、そこには入らず、少し歩く。どこへ行くのだろうか。何と到着したところは駐車場。台北も街中に駐車はかなり難しい。初めて会う人間と車で会うのは避けなければならない。

これからお茶屋さんに連れて行ってくれるという。車の中でJさんの話を聞く。日本在住10年で日本人のように日本語を話す。かなりの人脈を持っていそうで楽しみ。そして話が盛り上がった頃、ある民家の前で車が止まった。階段を5階まで上がる。こんな所にお茶屋さんがあるのか。


中に入ると普通の家。日本語で「こんばんは」と笑顔で女性に言われる。奥に畳が敷かれており、そこに年齢不詳のYさんがさらりと座っていた。早速お茶を頂く。昔の包種茶は現在の物とはかなり違うのか、と質問するとYさんはおもむろに「じゃあ、昔の包種茶、飲んでみる」と言いながら、お茶を淹れてくれる。




飲めば分かる。確かに現在緑茶に近い包種茶とは異なり、発酵度が高く、香りは立たないが、味わいはある。何だか不思議な気分になる。数十年前の包種茶をマンションの一部屋で飲んでいる。思わず畳に寝転がりたくなる。この家には他に貴重なお茶が沢山所蔵されているようだ。


夕食として餃子とスープをご馳走になった。このシンプルな食事が実にこの場に合っていた。食後に部屋から屋上に出た。そこにはYさんの思いが込められていた。様々な植物が置かれていたのだ。「自分の家が一番リラックスできる空間。緑がない場所ではリラックスは出来ない。当たり前だよね。」若く見えたYさんが一瞬仙人のように見えた。

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