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15. 埔里の民宿に泊まる
その後石さんは話し続けた。いつ切り上げたらよいのか、そしてその民宿へはどうやって行くのか、気に掛かる。すると石さんの向こうに一人の男性が座った。そして何をするでもなく、手持無沙汰にしている。おかしい?ようやく石さんは「民宿行くか」と聞く。ハイ、と答えるとその男性が私のリュックを掴んで立ち上がった。あれ、何と民宿から迎えが来ていたのだ。バンに乗り名残惜しいが石さんとお別れする。


若者は民宿を手伝っているという。本業を聞くと「昨年地元の国立大学の大学院を卒業した。専攻は中国史。」ということで俄然話が弾む。しかしなぜ院卒で実家の手伝い?「実は台湾の田舎では就職先がない。昨年警察官の試験に落ちたし。」え、大学院を出て警察官?「そう、警察官は残業もあり手当がいいんだ」え、でも「勿論普通の公務員はもっといいが、今や1000人受けて受かるのは10人程度。警察官なら100人で7人だ。」そうなのか、そんなに厳しいのか。


と言う会話の間にも、車は埔里市内から山へ向けて上っていく。民宿が山の上のあるのか、それと途轍もなく不便な場所にあるのか。考え始めたころ、車が如何にも別荘に入り口と言う雰囲気の中へ入る。目に入ってきたのはまさに別荘。こんな立派な所に泊まるのか。料金すら聞いていない。


3つある建物のうち、母屋と思われるところへ案内される。おしゃれな喫茶コーナーがあり、向こうは崖。山から下が一望できる。部屋はここから階段を降りる。中に入るとおしゃれな部屋、そう女性が好みそうなペンション風。窓からは同じく風景が一望できる。何と贅沢な。


するとさっきの若者が「蛍見に行くか」と聞く。蛍は鹿谷で十分見たのだが、面白そうなので着いていく。他に台湾人とシンガポール人の団体が一緒。大勢でまだ陽も落ち切らないうちに出発。蛍見学の場所には既に警官まで出ており、先日とは打って変わった様子。蛍がチラチラ見えたが、それで十分。


「食事はどうする」と聞かれたので何でもよいと答える。何と彼と妹が一緒に食事をしてくれた。しかも場所はイタリアンレストラン。ちょっと隠れ家風に、さり気無くあるそのレストランはおしゃれ。味もまあまあで、面白い。




実はあの民宿は8年前に彼らの両親が購入、台南から引っ越してきたのだという。地元の人間ではなかったのだ。そしてなぜかお父さんは引退し?妹が責任者であるという。それで飾りが女性らしいのか?

 
14. 和果森林
車で15分ほど行くと陳さんの店である和果森林が見てきた。何だかコテージ風で面白い。2階に上がると人で溢れていた。確かにここで昼ごはんは食えない。まるで観光地の土産物売り場の様相。何だここは。




見ると紅茶作り体験コーナーあり、紅茶試飲があり、観光バスで乗り付けてくる。特に今日は土曜日で親子連れが多い。私はベランダの一番端に座り、忙しい中陳さんの説明を受けた。「ここの紅茶は100前の老樹から作られている」驚きである。しかも「その老樹は日本人が植えたのである」え、なに?日本統治時代であることは分かるが、日本には紅茶鎖倍は殆どなくそのノウハウはないのでは。


陳さんは「私の義父を紹介しよう」と言って、老人がやって来る。石さん、83歳。日本語は全く話さないが国語はペラペラ。この世代の方としては珍しい。石さんの話は衝撃的。「自分は林口の茶葉伝習所で日本人より茶作りを習った」一体何年前の話だ。よく聞くと1949年頃である。伝習所と言うと何だか江戸時代の雰囲気がある。しかも日本人技師は日本統治終了後も残されており、台湾人に教えていたというのだ。


「日本の先生たちの技術、知識レベルは高かった。例えば紅茶にはミルクを淹れない方が良いと言うのは最近言われていることが、私は伝習所で既に習っている。日本人はきちんと研究していた。」「あの頃台湾人は金がなかったけど、伝習所は無料だった。有難かったな。」と石さん。そして1年で卒業すると地元に戻り茶工場に就職した。


その茶園は終戦前持木さんと言う方が所有しており、終戦で台湾政府に接収された。「持木さんは一銭ももらわずに帰って行った」と言う。石さんはそこの主任としてお茶作りに務めたが、台湾紅茶の名声は低く、戦後長い間、苦難の道を歩く。「多くの農家が茶樹をつぶしてビンロウ樹を植えたよ。そっちの方が管理は楽だし、儲かったからね。」「でもうちは違った。必ずここの紅茶は復活すると信じて、老樹を守ってきたんだ。」


そして転機は1999年の921大地震。埔里一帯は壊滅的な被害を受ける。「市長が町おこしの一環でここの紅茶の注目した」ことにより、宣伝が始まり、震災という悲劇と相俟って、日月潭紅茶として見事に復活。和果森林はその象徴として、評判を取り、現在のようなブームが起こった。


石さんは3時間余りも疲れた様子もなく語り続けた。こちらが気を使って「そろそろ夕方ですが、この辺に宿はないでしょうか」と聞くと奥から名刺を取り出し、「民宿に泊まるか」と聞く。


 
寺子屋チャイナビジネス版にご参加の皆様へ


第2回寺子屋チャイナを以下の日程で開催いたします。
出席の方は「出席」とのご連絡を頂きたく、
お願いします。もし12名を超えた場合はウエイティングと
なりますので、早めにご連絡をお願いします。


terakoyachina@gmail.com


テーマ:『中国の人事労務管理について』
責任者:Oさん(元コンサル会社勤務、現証券アナリスト)
開催日:7月28日(金)19:30~
場所: 恵比寿
定員: 12名
会費: 2,000円

尚寺子屋チャイナのご案内は以下のブログで見ることが出来ます。


http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/


ナビゲーター 須賀

 
ご縁を頂いている皆様へ


ご無沙汰しております。第3回恵比寿茶話会を開催します。


この会は中国茶を通じて『茶縁』を広げる目的で開催するものです。
大変気楽な会ですので、お茶好きの方は勿論友達の輪を広げたい方も
是非ご参加ください。


現在台湾に滞在中。今回も貴重なお茶を分けて頂きました。
また台湾茶の歴史を訪ねる旅、凄い展開となっており、
そのご報告も行います。


http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/category/651/blogid/54


・日時   6月25日(土)午後2時より5時まで
 (早めに帰る、遅めに来るなど時間は自由) 
 コアタイム 3時から4時(この時間帯に自己紹介がありますのでお集まり下さい)
 今回は『台湾茶の歴史』についてお話します。

・場所   恵比寿駅 徒歩7分
・費用   2,000円(お茶のお土産、お菓子代込み)
・参加人数 12名まで(7名以上で開催します)


ご参加可能な方は早めにご連絡ください。お待ちしております。
terakoyachina@gmail.com

 

4月23日(土)
13. 埔里へ行く
翌朝Uさんは7時前に茶作り小屋の整備の仕事で出掛けてしまった。取り敢えず今日は日月潭方面に向かう。それは台北の黄さんが「魚池へ行け」と言っていたからだが、正直その魚池がどの辺なのか分からない。何となく日月潭あたりという情報のみ。


日月潭に行くには一端台中まで戻り、そこから出直すのが良いとのこと。ところがその台中行きのバスが、何と10時半までないのである。仕方なく、ブラブラしながらバス停を確認。ちょうどのその前でビニールを張った小さなお店が出ていたので覗く。割包という食べ物が目に入る。食べてみる。マントウを割いて中に豚の角煮他を入れている。なかなかイケル。


若い女性が一人でやっていたので聞いてみると半年前まで台中で銀行に勤めていたが、結婚により旦那の実家がある鹿谷に越してきたという。ところが旦那は依然台中で仕事をしており、3日に一度しか戻らない。日本なら勿論彼女も台中で銀行勤めを続けただろう。ところが「台湾の田舎はそうはいかない。結婚というものは妻が旦那の実家に入るもの。」と言い、その寂しさからお店を始めたらしい。何とも昔風な話であるが、それが鹿谷にはよく似合う。


バスには数人しか乗っておらず、危うく私の待つ停留所を通り過ぎようとした。それ程人が乗らないと言うこと。バスはあっと言う間に山を下り、1時間で台中の高速鉄道駅に到着。ここで知り合いから紹介された日月潭の紅茶屋さんに電話を入れる。すると「日月潭ではなく、埔里行でよい。しかも終点ではなく、交流場で降りろ。」と言う。分からないので切符販売所で聞くと「確かにある」との答え。運転手も頷いたのでバスに乗る。


40分ほどして、バスは高速道路を下りた。恐らくここが交流場であろうと運転手に行きと「そうだ」と言うので降り、電話で迎えを頼む。ところが待てど暮らせどやってこない。電話があり「どこにいるんだ」と聞かれたが返事のしようがない。懸命に周りの風景を伝えたがピンとこない。最後は近くに家の住居表示を伝え、何とか迎えが来た。


陳さんは非常に元気な人で、若く見える。食事を取っていないと言うと「餃子がウマいから食え」と買ってくれる。そしてなぜか車の助手席で食え、とも言う。箱に10個の蒸し餃子。陳さんが覗き込むようにウマいかと聞く。何と陳さんは「僕は肉を食べないからこれがウマいかどうかは知らない。でもみんながウマいと言うから勧めた。」と実に正直に話す。確かにこの餃子は肉汁も含めて実にウマかった。


 

 
12. 特等茶の店
凍頂山からの帰りは、Uさんのバイクで楽々帰還。そのまま観光案内所に向かう。鹿谷での活動はあまりないので、次を考え始める。どこへ行くべきか、どうやって行くのか。観光案内所で時刻表付き地図を貰えば考えも涌くと思ったが、既に案内本はなくなっていた。


そこへ向こうからUさんに声が掛かる。茶を飲んで行けと言う。聞けば、観光関係の会社の人らしい。Uさんはどこにでも顔が効く。春茶はまだ出来ていないようで、冬茶が登場。最近の観光業は中国大陸頼み。ここ鹿谷にもやって来るが、金持ちのお茶好きが『来年の凍頂烏龍茶を全部予約する』といった話が横行し、大陸恐怖症になっている者もいると言う。札束で横っ面を張り倒すようなやり方は好まれるものではない。


午後は茶業文化館へ。ここには鹿谷のお茶の歴史などが展示されていて面白い。入るとまず目に飛び込むのが昨日お目に掛かった林光演さんの写真と説明書き。そうか、こんなに偉い人だったのかと再認識。


そして雨が降り、することもなく、Uさん行きつけの茶荘へ。玉春茶坊と言うそのお店、凍頂茶王と書かれた入り口には、特等賞の看板がずらりと並ぶ。品評会で高い評価を得ているようだ。中に入るとお茶の香りがぷーんとする。


林さん親子が経営している。息子は品評会用の茶作りの真っ最中。茶葉3gを正確に測り、浸す時間もきちんと計る。茶碗に入れて、レンゲですくって飲む。色、香り、味と試していく。とても忙しい時に来てしまったようだ。それでも一緒になって、品茶を行い、味を確かめたりした。それも真剣そのもの。商売上では品評会で評価が得られるかどうかが、鍵だと言う。顧客も入賞したお茶を求めるのだから、仕方がないのだろう。


お父さんは学校の先生もしていた人格者。息子が後を継ぐと言うので手伝っている。雨が止まない中、2時間もここでお茶を頂く。冬茶を濃く焙煎したお茶はなかなか美味しい。ここでは阿里山、杉林渓など、各地からお茶を集めて、加工する。店にいる間にも春茶の原料が運び込まれる。何だかお茶作りの関わっているようで、気分が出る。


そしてお母さんから夕食を食べていくように言われる。Uさんも家族の一員のように食べていく。非常に溶け込んだ様子が嬉しい。一番忙しい時でもこのようにして貰えるのは日頃の彼の成果であろう。

 
台湾中部埔里に来ています。前回宿泊した民宿「松濤園」にお世話になっています。
この場所が気に入り、1か月前に来たばかりでまた来てしまいました。

埔里は夏は涼しく、冬は暖かい、過ごし易い気候、高原の爽やかな雰囲気は軽井沢のよう。



日本の民宿とはイメージが異なり、別荘を利用した高原のペンションです。家族経営で親しみやすく、清潔感もあり、何よりも爽やかな空気が心を和ませます。



ここのご主人梁さんはお茶好きでもあり、私の名ガイド役として、色々な場所に連れて行ってもらっています。



特に朝ごはんは美味しいですよ。




豊かな景色ときれいな空気、一度泊まってみると面白いと思います。


「松濤園」
電話:886-49-2911291 携帯電話:886-921-126871、886-921952557
E-mail:pine.puli@msa.hinet.net
http://songtao.nantou.com.tw/

 
4月22日(金)
11. 凍頂山を登る
翌朝は早く目覚めた。昨晩の蛍の興奮であろうか、または教会に戻ってから聞いたU君の台湾茶への道の話のせいであろうか。本日は当初U君が茶作りの入る可能性があって、同行するつもりだったが、延期となりすることはない。


先ずは朝飯。小雨の中、バイクに跨り、U君行きつけの食堂へ。ここでチキンバーガーと豆乳を取る。このチキンバーガーがまたなかなかイケていた。店の夫婦はU君に「帰ってきたのか」と喜ばしそうに声を掛けていた。U君は地元に受け入れられている。


そして雨も上がったので、凍頂山を登ってみることにした。バイクで行けばすぐだと言われたが、折角なので歩いて登る。標高は800mないとのことで、高を括っていたが、以外ときつい上りもある。陽も高くなり、暑さがじわじわやって来た。周囲はビンロウ樹が高く聳えており、茶畑は見えない。歩くこと40分、ようやく頂上付近に出る。村があり、茶畑が見える。それにしても広くはない。凍頂烏龍茶は大いに出回っているのに、一体茶葉はどこから来るのだろうか。Uさんがバイクで迎えに来た。


老樹はあるのだろうかとの私に質問にUさんはいとも簡単に「その辺で聞いてみましょう」という。すぐにバイクを走らせ、ある農家のビニールハウスを覗く。おじさんが作業中、そこへ声を掛け、何と案内を乞う。おじさんもすぐに対応してくれ、歩いて茶畑の中へ。「ここだ」と言われたその場所には、読めなくなった看板があり、切り株のある老樹が根を張っていた。しかし言われなければこれが100年前の木とは思わない。




そして向こうを眺めると、ちょうど茶摘みが行われていた。興味深くそちらに向かう。おじさんがお婆さんに声を掛ける。何と80歳で茶を摘んでいる。しかもその手のスピードの速いこと。少し習ったぐらいではとても出来ない。と思っているとおじさんもやり始めた。これまた手馴れている。「この辺の人間は子供の頃、好きでも嫌いでも茶摘みをやったもんだ」と懐かしそうにしている。




実はこのおじさん、農家が嫌で都市の銀行に勤めていたらしい。ところが数年前、都市生活に疲れて、地元に戻り農家に復帰した。そう思うと、先程の茶摘みはとても感慨深いものがある。人間は収入を求めて都会へ出るが、いつか自然に帰りたくなるもの。是非写真に納めたいとカメラを向けるとなぜか電池切れとなり、貴重な写真を撮りそこなった。

 
寺子屋チャイナビジネス版にご参加の皆様へ


次回第1回寺子屋チャイナビジネス版は以下の通り開催予定です。


テーマ:『中国のブランディングについて』(知財・商標関連)
責任者:Tさん(特許事務所勤務)
開催日:5月31日(火)19:30~
場所: 恵比寿
    フォートラン ランゲージ システムズ
    東京都渋谷区広尾1-6-1 ホメックスE
    Tel: 03-5464-0345 恵比寿駅より徒歩7分
    (地下鉄日比谷線でお越しの場合は
    JR恵比寿駅寄りの出口をご利用ください )
    西口ロータリーの交番を右に曲がり、
    駒沢通りを渋谷橋交差点までおよそ300メートル歩き、
    渋谷橋交差点を渡って、明治通りを広尾に向かって歩きます。
    郵便局、ラーメン屋さん、フレンチレストランの前を通り、
    宝石やさん、小さい駐車場のある角を左に曲がり、
    右側に3階建ての建物が見える一般住宅がフォートランです。


定員: 現在11名
会費: 2,000円


尚希望者はメーリングリストに登録します。討論内容などはこちらで配信されます。ご連絡ください。


ナビゲーター 須賀

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