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径山茶

今回は案内してくれる人もなく、汪さんと二人でゆっくりと寺を見て歩く。径山禅茶と書かれた建物があったので中を覗く。すると製茶設備一式が置かれており、ここで茶が作られることが分かる。これは究極の手作りと言えるのだろう。きっと美味しいに違いない。




どうしてもお茶を飲んでみたかったが、昨年は開いていた茶店が今年は閉店しているという。何とも残念。代わりに?昼食を寺の食堂で取る。これは昨日の寺と全く同じで喜ばしい。今日のメニューは完全な精進料理。豆腐とわかめのスープ、肉もどきの野菜などが並び、代金はお布施として10元程度を入れる仕組み。




おかずを盛るおばちゃんが、もっと食べな、と大盛りにしてくれ、ご飯もお替り自由だと告げる。この山深い寺でゆっくりとした気分で食事を取る、それは一番の美味しさだろう。だがお茶にはあり付けない。

バスの時間には少し間があったが、バスが来ているか見に行くと、おばさんが声を掛けて来た。お茶が飲めるという。付いて行くと近くの簡易宿泊所と食堂を兼ねた店。そこで出た径山茶は実に美味しく、飲み易かった。水のせいかもしれない。料金は1杯20元。この店にある径山茶で一番高い物でも、1斤、800元程度。龍井茶に比べると格安だ。日本茶の源流、と言われればそうかなと思うほど、飲み易い。




この店には毎年日本人が一人で数日泊りに来るという。新茶の時期に何をするでもなく、日がな茶を飲みながら過ごしているらしい。そんな生活、いいな。しかし無情にも帰りのバスが出る。バスを乗り替え杭州市内へ戻る。全てバスだと僅か16元の旅だった。

 

径山寺と茶

径山禅寺は天目山東部凌雲峰一帯、東北峰の径山(770m)にある。南宋の五山の一。唐代の742年に法欽禅師により創建され、宋代には僧侶3,000人という隆盛を極めた。茶を仏に捧げる修行があり、茶樹は開祖法欽禅師が植えたとの説がある。径山茶宴と呼ばれる僧侶により開かれる大茶会があり、日本の茶道の源流であるとも言われている。また天目茶碗の天目はこの山から来ている。




日本茶の祖といわれる栄西も、この余杭に一時期滞在したらしい。この寺が臨済宗の原点と言われる所以であろう。南浦紹明は宋から帰朝の際、ここから茶の臺子(茶道で用いられる棚)などの茶道具一式を持ち帰り、中国の茶の方式を大徳寺に伝えたという。




1235年、静岡出身の聖一国師が入宋し、径山寺などで修行。修行の中に茶栽培、製茶などが含まれており、1241年の帰国後、静岡に茶の種を撒いたのが静岡茶の始まりと言われている。寺から茶園に向かう涼やかな道に記念碑も建てられている。この付近は実に日本的な雰囲気が立ち込めている。







径山茶は銘茶と言われてきたが、清代には径山寺が廃れて顧みられなくなったことから、茶も忘れ去られた。文革で荒れ果てた寺はその後再興され、茶も復刻されたというが、その名声は龍井茶には遥かに及ばない。地元に人に寄れば、「龍井茶が有名になったのも国家指導者が推奨した、所謂国策だった」と。径山茶は国の政策から外れているのだろう。

茶園は山深い斜面にあり、幽玄な景色が見られる。この地の茶摘みは年1回、当然茶のシーズンは終わっており、茶の木も何となく薄ぼんやりとしている。それがまた良い。茶葉を摘み、茶を作り、そして修行とする。とてもいい。


 

11月5日(月) ドムアン空港は安くない

ビエンチャン訪問を終え、バスで国境を越え、ウドンタニへ行った。バスターミナルの直ぐ近くにセントラルのショッピングモールが見える。ビエンチャンの人々がここまで買い物に来るらしい。時間が無いのでトゥクトゥクで空港へ。20分、80バーツ。ウドンタニ空港には無料Wifiエリアもあり、なかなか好ましい。







エアアジアでバンコックへ。10月からエアアジアはスワナンプーンからドムアンへ使用空港が移った。ドムアン空港は以前バンコックに来るたびに使った懐かしの空港。基本的にLCCはドムアンに集結させたわけだが。




国内線で預け荷物もなく、あっと言う間に外へ出た。そこにはタクシーを待つ長蛇の列。昔ドムアンには空港から市内へのバスが走っていたが、今はない。バスはスワナンプーンへのシャトルバスだけだろうか。外の公道へ出れば市内行きの路線バスはあるだろうが、夜も8時で暗く、字も読めないのでタクシーを待つ。因みにバンコック行きの鉄道もあるが、いつ来るか分からないし。




そしてようやく列がカウンターに着き、宿泊先を告げる。4つのタクシー乗り場があるが、各場所に仕切り人がいて、タクシーを指定して客を乗せる。だが、この仕切りが悪い。寧ろ人がいない方がスムーズに乗れる感じだ。




タクシーに乗り込むと運転手が「場所が分からない」というジェスチャーをして聞きまわる。ようやく「分かった」というポーズをして車を動かそうとするが、周囲の車が動かずに進めない。何とか車は空港を出たが30分ぐらいして全然違う場所に向かっていることを知る。「ここじゃなかったのか」と運転手。そして再度名刺を出し、宿泊先を告げると「なんだそうか」と頭を搔きながら、運転する。彼は完全に故意に演技していた。そこからは実にスムーズに宿泊先に着いた。人のよさそうな顔をした人だったのに。

ドムアンからはメタ―+50バーツが原則。この50バーツは遠回り代として支払わなかった。運転手は一瞬怒る振りをしたが、そのまま行ってしまった。これでも支払過ぎたのかもしれない。

格安航空会社が集まるドムアンで、空港を出ると安い交通手段がないとはどういうことだ。懐かしのドムアン空港の思い出は急速に色褪せた。

 

6月1日  3.  径山寺   径山寺へ辿り着く

翌朝、いよいよ今回のメインイベントである径山寺へ向かう。実は以前より龍井茶の茶荘の人々が美味しそうに飲んでいたお茶が気になっていた。聞くと径山茶だという。ある人が「これは龍井茶と同じくらい美味しいが値段は10分の1。これが知れると値段が高騰する恐れがあるので黙って飲んでいる」と言い、とても興味を持った次第。

 

そして昨年杭州で会ったある女性が「径山寺によくお参りに行くので、お寺のお坊さんとも懇意だ」と言っていたので思い出して連絡を取る。ところが杭州まで来てみると何と彼女は出張に出てしまい、アレンジできなくなっていた。唯一の手がかりは一日一本しかないというバス。




 

実はその女性の伯父さんが昨晩会った汪さん。事情を聞いた汪さんは何と私に同行して径山寺へ行ってくれるという。有難いやら申し訳ないやら。ところがところが・・、当日朝8時前にバスの出発場所に行って見たが、そんなバスはないと言われる。仕方なく余杭行きのバスに乗る。2元。1時間ほどバスに揺られ、終点で下車。ところがはやり・・。ここから径山寺行きのバスは午前9時と午後3時しかなく、既に午前の便は行ってしまっていた。




 

仕方なく汪さんと道路へ出て方策を練る。そこへタクシーがやって来たので、乗り込む。100元、40分は掛かった。途中までは平地を行くが、そこから山登りが始まる。かなり奥深い場所へ来た感じだ。帰りは1時20分発のバスがあるというので、タクシーを断り、寺を目指す。




 

タクシーを降りると目の前に「日本茶道の源」と書かれた看板が。おー、何だか分からないが、いい感じだ。周囲の雰囲気も落ち着いていて、日本的に見えてくる。「径山萬寿禅寺」と書かれた山門を潜る。汪さんが線香を買ってくれ、拝殿に捧げる。





 

清河坊で

夕方から西湖付近を散策。ユースホステルから西湖が近くてよかった。靄る湖面に浮かぶ小舟を眺めていると、何だか自分が流されていくよう。流されても湖なのでどこかの岸には辿り着くのだろう。昨年春、「江南の春を楽しむ」という企画でK先生とご一緒した。先生は当地の大学とも交流を深めており、会社を辞めたばかりの私を誘ってくれた。皆で船に乗り、西湖遊覧をしたことが思い出される。先生は今年の春、西湖の春を見ずして亡くなった。初めての一緒の旅が最後の旅になった。人の出会いは儚いものだ。




夜、昨年お会いした汪さんと清河坊で待ち合わせた。清河坊は昔の街を再現した場所で、昔の建物が残り、大道芸あり、似顔絵かきあり、お店もずらりと並んでいて、観光客の人気スポット。







汪さんは30年前に北海道大学に2年留学しただけなのに、きちんとした日本語を話す本当に頭のいい60代で、浙江大学の理科系の教授も務める人物。今回も連絡すると懐かしそうに出て来てくれた。これは嬉しい。

汪さんは私を一軒の茶店に誘う。なかなか雰囲気が良さそう。汪さんは慣れた足取りで2階へ上がる。そして龍井茶を注文しようとした。ところが、突然汪さんの顔色が変わり、店員に何か言い始める。そして茶葉を持ってこさせ、じっくり見てから、この店のオーナーに電話した。一体なにがあったのか。




聞けば3週間前まで、一人68元だった料金が、突然3倍になっていた。そして茶葉は本物ではなかったという。オーナーの指示で本当の茶葉が運ばれてきたが、それでも料金は変わらない。観光料金と言えばそれまでだが、地元の人からすれば怒るだろう。実は汪さんは一時、お茶屋さんもやったという専門家。彼を騙そうとしたことでトラブルとなる。恐らく私がいたので、お茶を飲んだのだが、普通なら席を蹴って退場しただろう。




テーブルには菓子や果物がふんだんに並べられ、店員が茶を淹れてくれたが、何だか全てが嘘っぽくなってしまった。これでよいのだろうか。折角の再会に水を差されたが、こちらとして、このような一面が見られて、勉強になった。


 

梅家烏鎮 再び

昨年4月に友人に連れられて行った梅家烏鎮(http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/4429)。前回は車で連れて行ってもらったため、場所の位置関係がよく分からなかったが、何と法浄禅寺からかなり近い場所にあることが判明。バスで行って見ることにした。




バスはなかなか来なかったが、乗ってからは速かった。元々の梅家烏の鎮があることも分かった。私がこれから行く所は新村、ようするに移転された街だった。元々の鎮はいい雰囲気で降りて見たかったが、先程徐さんに連絡してしまったので、真っ直ぐに向かう。




徐さん、昨年4月にYさんに連れられて梅家烏鎮で会ったばかりか、その翌日街中で2度も偶然会ってしまった奇跡の人(http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/4434)。バス停を降りると鎮は直ぐに分かり、徐さんの家へ直行。




鎮は閑散として人気もない。徐さんは家で待っていてくれた。あの懐かしい庭、早速龍井茶を頂く。爽やかな風、爽やかな味わい、お茶はこうした環境で飲むのが美味しいと改めて実感。


今年は例年になく冬が寒く、茶葉の生育が遅れ、明前茶の産量は多くなかったという。また毎年安徽省から来る茶摘み出稼ぎ者の賃金も相変わらず上昇しており、茶葉の価格は昨年の20%増しとなっていた。勿論いい茶葉はもうないとのこと。徐さんはたまたま友人が来たので、ここに居たが、今はお茶のシーズンではないので、基本的には杭州市内に住んでいるという。




徐さんは忙しいそうだったので、早々に退散し、鎮を一周したが、老人と小さい子供の姿が少し見られただけ。この鎮はお茶のブランドの為だけにあるよう気がして、何となくうーんと思ってしまう。これも中国の農村の一形態だろう。帰りは別ルートのバスに乗り、ホテルに戻る。

 

法浄禅寺

法浄禅寺は天竺山の稽留峰という場所にある。597年にインドの禅師宝掌が道場を建て、唐代に盛んになり、1765年に「法浄寺」と改名された。寺は何回も建て直されたが、現在のものは清代の建築である。




流石にここまで来ると静けさが漂い、小川の流れも清らかに見える。待ち合わせ時間にはまだ間があり、周囲を散策。寺名が書かれた門を潜ると、斜面に本殿が建てられ、両側にも作務処や宿舎が並ぶ。




O先生がやって来た。O先生の友人という男性と3人で、中へ。お寺の執事、といった感じの男性が中へ招じ入れる。彼はお茶に精通しており、寺の事務をこなしながら、お茶の調査、研究、講演などを行っているらしい。早速お茶が淹れられる。龍井の新茶だ。なかなか優雅なお茶だった。


   

 

お茶を飲みながら話すことは取り留めもない。私は茶の歴史を知りたかったが、その話になかなかならず、逆に最近のお茶事情がメインといなる。部屋の棚には高そうな茶器が並ぶ。お寺は質素、などと言うことは中国にはないらしい。お寺の拡大の話も出る。O先生の友人はログハウスを売っているようで、その話で盛り上がる。とうとう歴史の話は出ずじまい。




昼時となり、皆で食堂へ。ここは誰でも入って食べられるという。素食、精進料理だ。野菜と豆腐の煮込みとご飯だが、これが予想外に美味い。かなりの量があったが、全部食べてしまった。お寺の料理は油も少なく、健康的なようで、最近は人気があるという。




その後O先生は授業があり、学校へ。執事と男性は寺の拡張計画のあるという場所へ。私も付いて行く。寺の裏には茶畑があり、毎年早春には茶摘みの儀式も行われるという。元々茶は仏教との関連性が強く、仏様にお茶を上げる、という習慣が長く続いている。この寺ではそのため、僧自らが茶摘み、製茶を行い、一つの修行としている。これはある意味で茶の起源であろう。




戻る途中に草深い中にホテルがあった。あのアマンリゾートだ。こんな所にという場所にさりげなくある所が良い。ただこのホテルが出来て、この付近の地価が上がったとか、お客は殆どいないとか、話は色々とあるようだが。


 

11月1日(木) 第2回バンコック茶会開催

第2回バンコック茶会が開催された。前回は日曜日開催だったが、今回は平日の午前中。16名のご参加があり(男性は二人)、会場はアソークのパーソネルコンサルタントさん(http://personnelconsultant.co.th/)がセミナールームを提供してくれた。場所が便利で有難い。




主催者Mさんが前回同様タイ産の金萱茶、軟枝烏龍茶、パパイヤ茶を淹れて、タイでお茶が採れること、そのお茶が健康にもよく、そして美味しいことを説明。タイのお茶も品質が向上している。




私は「中国茶の基礎知識」を説明し、前回と全く違うラインナップでお茶を淹れた。福建の白牡丹(白茶)、金駿眉(紅茶)、そしてインドのダージリン紅茶を提供し、飲んで頂いた。ダージリンの茶旅も少し披露。どうだっただろうか。




そういえば、ウエルカムティーとして、トルコの緑茶を淹れてみた。「飲みやすい」との感想が多かったが、それもそのはず。このお茶は鹿児島の技術で出来たせん茶だった。が、説明するのを忘れた。最近ボケの傾向が強まり、何と紅茶も雲南紅茶と福建紅茶を取り違える始末。主催者と参加者にはご迷惑を掛けてしまった。

そして今回の目玉は何と和菓子。トライアスロン選手のKさん、実は和菓子屋さんの息子さんでどら焼き、水羊羹、みたらし団子が振舞われた。これには参加者からも「作り方を教えて欲しい」の声が。和菓子と烏龍茶や紅茶のコラボ、どうだっただろうか。

もし皆さんのご要望があれば第3回が開かれるかもしれない。こんな会が定例化するのもよいのではないかと思う。

 

5月31日   2.   龍井の寺   中天竺へ

翌朝は雨も上がり、太陽はでないものの、涼しくてよい。今日は昨年出会った浙江大学のO先生に案内を願い、法浄禅寺を訪ねることになっていた。勿論どうやって行くのか分からないが、タクシーなら問題なく行けると言われ、何故かタクシーを回避し、バスでトライする。

杭州には一般バスと観光用のバスがある。観光用3番に乗ると、昨年訪れた龍井村などを通過する。やはり龍井茶は杭州の一大観光産業だ。このバスに乗っていると何だか気持ちが良い。それは安くて、行きたい所へ行ける、そんな気分を満足させるものだからだ。3元。




そしてある所で乗り換えとなる。だが、時間が大幅に余っている。どうせなら歩いて行って見ようと思ってしまう。それは大いなる間違いだったが。茶畑が広がる道を歩く。段々上りとなる。どこまで行くのだろう、心配になるくらい歩く。




バス停を見るとあと4駅。だが、その4駅は遠かった。とうとう疲れ果て、そしてバスを待つことに。しかしなかなか来ない。そこへ白タクがやって来て、3元で行くという。何と良心的な。思わず乗り込む。ものの2-3分で法浄禅寺に到着する。最初から車に乗れば早いのだ。


 

10月31日(水) 中国人経営のプーアール茶荘

9月に開催したバンコック茶会。その会場はBTSチョンノンシー駅から少し歩いたシーロムプラザにあった。そこへ何回か通ううち、BTS駅のすぐ近くにあるお茶屋が気になり始めた。開いていないことも多く、その存在自体が謎となっていた。




バンコック茶会主催者のMさんはいち早く、この茶荘を訪れ、オーナーと交流していた。そして私にもお声が掛かり、訪れることに。オーナーは中国人だと聞いていたので、通訳のようなものか。

お店はなかなか綺麗で、茶器がかなり置かれていた。お茶はプーアールしかない。何だか面白い、こだわりのありそうな店だ。棚にはプーアール茶の茶餅がずらっと並ぶ。見ると易武の茶が多い。これは本格的かもしれない。




オーナーのポーラさんは中国広西壮族自治区、桂林近くの出身。10年前に一家でバンコックに来て、プーアール茶を商っている。聞けば、中国では地元メディアの記者だったとか。またご主人は画家で、現在は北京在住とか。そういえば中国ではこのような文化人で茶好きが多かったな。




彼女は緑茶やウーロン茶を飲み続け、最後にプーアールに辿りつた。これが一番と他の茶は商わない。毎年雲南省を訪れ、仕入れを行う。茶器にもこだわりを持っている。好きが高じて茶荘を開いてしまったようだ。

肝心のお茶は2007年以降の生産が多いが、原料の茶葉は樹齢100年以上の古樹から摘んだ物が多いという。確かに熟茶2種類、生茶1種類を飲ませてもらったが、カビ臭さはなく、飲みやすい物だった。飲む所はカウンターになっているが、今後は変えていくという。2階には12-3人が座れる茶席もあり、有料で貸してくれるらしい。

お客はタイ人、華人、欧米人、日本人と多岐に渡っている。日本人は生茶が好きで、良く通ってくるし、友人達とも連れ立ってくるという。タイ人は健康志向の人、文化的な人が飲んでいる。タイの茶文化事情の一端が分かるかもしれないと思ったが今回は時間切れ。次回再訪しよう。

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