(12)列車の旅
TAMの粋なアレンジで初めてミャンマーで鉄道に乗る。ミャンマーの鉄道は非常に時間がかかると聞いていたが、果たしてどうなのだろうか。駅へ行くと、実にこじんまりした駅舎が見える。そこへ頭に荷物を載せた乗客がどんどん集まって来ていた。
実は我々は先程の市場へ行く前に一度駅に寄り、チケットを購入していた。1時間も前に何故行くのか不思議だったが、列車が出発した時に分かった。何と外国人が2人、ベンチに向かって我々の列車を恨めしそうに眺めていたのだ。TAMによると、鉄道チケットは30分前には発売停止、身分証のチェックなどもある。あの外国人は自国の感覚で20分前に来て乗れなかったようだ。それがミャンマーの鉄道。
駅のホームでは様々な人々が待っていた。老人から子供まで、そして大量の荷物が積みこまれていた。ここニャウンシュエが始発駅で、ヤンゴンまでは何と30時間掛かるという。それは列車が動き出して直ぐに分かった。とにかくゆっくり走るのだ。歩いている人の写真がバッチリ取れるほどゆっくり走るのだ。
車内の1等車は古いがなかなか快適。2等車は相当年季が入っていた。1等の乗客はあまりいないので、ゆったりとした旅となる。田園風景が広がる。牛が歩いている。速度がゆっくりということは車窓から外がゆっくり眺められる。ビジネスマンには耐えられないだろうが、悪くはない。
途中ヘーホー駅で停車。ここは空港のある場所の近く。乗り込んでくる乗客は少なく、直ぐに発車するのかと思いきや、一向に発車の気配がない。降りてホームを見ると、何と芋等の野菜を懸命に積み込んでいる。この列車が遅い理由はこれだった。これは貨物列車なのだ。そういえば乗客も大抵は大きな荷物を抱えており、その中身は野菜だったりする。ヤンゴンまで売りに行くのだろうか。
30分ほど停車してからゆっくりと出発。そして次のアンバンという駅で下車するまで僅か2駅を2時間以上掛かって進んだ。最後の方は流石に疲れてしまい、優雅な列車の旅とはとても言えない。TAMが2駅の旅を選んだのはそこを知り抜いていたから。流石名ガイド。
6月24日(日) (11)爽快な水シャワー
昨晩も夕食が早く、そして眠気が早く襲い、直ぐに寝てしまった。昨日のマッサージの影響もあったかもしれない。いい睡眠だった。そして朝起きると直ぐにシャワーを浴びる。ところが、お湯がなかなか出ない。朝からシャワーを浴びる習慣などないのかもしれない。仕方なく、水で浴びる。
シャン州はヤンゴンとは違い、比較的涼しい。その中で朝のシャワーは寒いかと思ったが、意外と暖かい。そして気持ち良い。無理してお湯を浴びる必要はなかった。気分よく朝食へ向かう。
朝食は食パンにオムレツ、そしてTAMから回ってきたかき揚げ?と赤米。コーヒー、ジュース、フルーツと多彩。何だか変な取り合わせに思えたが、朝から腹一杯食う。昨晩の食事が早いと、全てが良い感じで回ることを知る。
そしてチェックアウト。今日は駅へ向かう。時間があるので市場見学。ここの市場は威勢の良い魚売りのお姉さんなどもおり、なかなか面白い。顔にタナカを塗った女性たちが懸命に売っている姿に好感が持てる。ヤンゴンとはすべてが違う。
(10)マッサージと優雅でライトな夕食
ボートトリップを終わり、陸に上がる。直ぐそこには倉庫があり、先程見たトマトが溢れていた。また青く細長いナスも印象的。湖で取れた野菜がここで陸揚げされ、選別されて、市場へ運ばれていく。
歩いていると何だかいい匂いがした。見ると何とホットケーキを焼いている。8つもフライパンが並び、どんどん焼かれていく。TAMが2つ買ってくれ、食べたが、なかなか美味しい。甘みは蜂蜜か。これはどこの文化の輸入品だろうか。まさかケーキもミャンマー発ではないだろう。
TAMは疲れたのでマッサージへ行くという。私も着いて行く。普通の民家のような所に「マッサージ」の表示があった。中へ入ると非常にシンプル。床に寝ていると、マッサージが始まる。最初はおばさんが、オイルのような物を付けて、背中を揉む。少ししたら男性が出て来て、首や背中を強く揉む。これはかなり効く。
このマッサージはミャンマーのこの地方で古くから伝わる手法だというが、薬草のようなものを塗り、体になじませる。意外と強烈なのか、少し疲れを覚える。小屋の中には「マッサージの後はシャワーに入らないで」との注意書きが英語と日本語で張られていた。マッサージ後、体がほてり、毒素を排出するが、シャワーはそれを妨げるというのが理由。確かにマッサージ後は体が何となく火照り、眠気が出る。
帰り道で、串焼きの屋台が出ていた。何となく食べたいなと思うと、すかさずTAMが「食べよう」という。そして肉や野菜を注文すると、橋を渡って立派なホテルへ向かう。これは何だ。何と、注文した料理はこのホテルの前庭で食べることができることになっていた。屋台の串焼きをホテルのテーブルで食べる、信じられない環境だ。
まだ時間的には夕陽が差す。こんな時間に実に優雅な夕飯を食べることになる。そして料金は屋台並み、有り得ない気分だ。こんなことがあるから、ミャンマーの旅は楽しいし、止められない。
(9)ボートで寄り道
水上レストランで昼食を取った。最近は観光用の立派なレストランがいくつかできている。店内はきれいでトイレもきれい。シャン州も観光用施設は進化してきている。ここで食べたのは何故かピザ。TAMが食べようというので食べたが、そういえば昨日もワイナリーでパスタ。シャン州で2日続けてイタリアンか。これも珍しいが、一つの変化。
そして8年前にも行った手造り繊維工場へ。水上に浮かぶ家屋は少し綺麗になっていたが、雰囲気は変わらない。相変わらず、相当古い機織り機で皆が懸命に織る。若い女性も年寄りも隔てなく仕事をしている。ここには定年はない。生きている限り、体が動く限り、働き、そして死んでいく、と聞き、人間の営みを感じる。生きがいとか遣り甲斐とか、考えれば考えるほど混乱してしまい、自分を見失う。シンプルライフ。
実は昨日はTTMの誕生日。何かプレゼントを買わねばと思い、TAMに選んでもらう。こういう物を選ぶのは全く自信が無いので助かる。結果、何にでも使えそうな布に決まる。SSにお土産が無いと僻むので、そちら用も購入。全てが手作りで価格は安い。有難いが、あの労働を見てしまうと、うーん。
ボートは真っ直ぐに帰らずに、寄り道する。今度はボートを作っている所で降りる。むくつけき男たちが、せっせと鉋を削っている。だが、一人が私に気が付き、船の模型を持ち出し、買えと迫る。ミャンマーではあまり強要されることが無いので驚く。断ると興味が無くなったとばかりに無視して作業に戻る。こんな所もあるのか。
ボートは元来た水の道を戻る。湖で生活する、大変なことも多いだろうが、何となく風情があり、好ましい。
(8)インティエンの食べ物
そろそろボートへ戻るのかと思っていると、川の上流へ。そこは小さなダムになっていたが、その周辺では本当に昔ながらの生活が営まれていた。川で洗濯し、体を洗い、そして水を汲む。
我々が歩いていると、年配の女性が前に鍋を置いて座っていた。TAMが彼女に声を掛けると、彼女は立ち上がり、鍋に砂を敷き始めた。いぅたい何が始まるのかと見ていると、何とその砂鍋で大き目の煎餅を焼き始める。
そしてもっと驚いたことは、彼女は年配の女性ではなく、若い女性であり、その懐には赤ちゃんを抱えていた。彼女はここに座って煎餅を焼いてどれだけの収入になるのだろうか。赤ちゃんは生きていけるのだろうか、と余計な心配をしてしまった。何故かあの姿を見ると今でも涙が出そうで困る。TAMは一瞬にして彼女の状況を見抜き、さり気無く支援をしたのだと思う。その煎餅にはほんの少し砂が付いていたが、添加物などはまるでなく、実に実に自然な味がした。
更にボート近くへ戻ると、そこにはまるで日本のたこ焼きのような物が作られていた。食べてみるとタコは入っていなかったが、たこ焼きの外側に違いない。結構おいしいので幾つも抓まんでしまった。シャン州にはこのように日本の原型ではないかと思われる食べ物が沢山ある。いつの間にか市場は終わっていた。片付けのしている子供たち、その向こうには日本人の援助で出来たという学校がひっそりと建っていた。
(7)インティエン遺跡を行く
かなり長い間ボートに乗り、ようやく湖が川となり、幅が狭くなり、家々が見え始める。人々の生活も丸見えだ。お寺もあり、村になってくる。そして到着地には既にボートが沢山停泊していた。多くの観光客が来るところらしいが、私は何も聞かされていない。私は全てをTAMのアレンジに委ねている。
先ずは市場へ行く。シャン州で開かれる5日に一度の市、今日はここで開かれているらしい。いつもの市場の風景がある。茶葉も売られている。ここで入手した緑茶茶葉は意外とおいしかった。
そしてお寺へ行く。少し回廊を上り、外へ出ると、何とそこには古いパゴダが沢山ある。比較的最近発見され、今少しずつ整備され始めたインティエンの遺跡だという。確かに長い間全く放置されているパゴダも多く、何となく可哀そうにも見えるが、200-300年前のパゴダが多いとのことだが、古びた様子がなかなか良い。
上に上ると今度は新しく修復された黄金のパゴダと古いパゴダが混在する。修復費用を負担する人が出るとそのパゴダが綺麗になるのだそうだ。そして寄付した者の名前がどこかに刻まれる。私も寄付して名前を刻もうかなどとも思ったが、以前TTMにビンダヤの洞窟寺院で戒められたのを思い出し止める。
寺院内では昼食が始まっており、お坊さんたちが片肌脱いで、豪快に食事をしていた。ちょっと迫力があった。男たちはお坊さんの給仕をしている。この仕草がどうにいっており、仏教国を感じさせる。女性は手出しが出来ない。
ゆるゆると下へ降りる。一体どれだけのパゴダが作られたのか、と思うほど、大量のパゴダだ。この地は今では発展から取り残されているが、ある時代には都であったのだろう。そうでなければ、これほどのパゴダは出来ない。
6月23日(土) (6)ボートトリップ
ミャンマーの田舎に来ると夜早く寝て、朝早く起きる。何とも健康的な生活となるが、その理由はネットが繋がらないことだろう。PCに向かう時間が短ければ、それだけよく眠れる、テレビや他の障害物が無ければ、そしてストレスが無ければ、ミャンマーの田舎は眠るのにちょうど良い場所なのである。
朝6時には散歩に出る。昨日行った川沿いは気持ちが良い。実に静かで落ち着いた空間がそこにある。船が浮かび、パゴダが向こうに見える。僧侶達は托鉢に歩く。ミャンマーらしい風景は既にヤンゴンでは消えかけているが、ここシャン州には確実に残っている。
朝食はクレープ。蜂蜜を掛けて食べたら、美味しかった。バナナとマンゴも食べ、満足。シンプルだが、いい朝食だった。新しいホテルは朝食も新しい。TAMは伝統的なシャンの朝食。味噌のような物をもち米に掛けて食べていた。これはこれでよい。
朝食後、インレー湖ボートトリップへ。8年前に一度ボートに乗り、日焼けで凄いことになったが、今日はそれほど暑くなさそう。細長いボートにTAMと2人乗り込む。そして懐かしい水上農園を見る。ちょうどトマトのシーズンなのか、トマトを取っている。湖自体も相変わらず雄大で景気が良い。例のインダー族の片足で舟を漕ぐ伝統も健在。
途中で船が数艘停まっている所があった。良く見ると漁師が取った魚を仲買人に売っている。所謂水上マーケットだった。昨晩から漁に出て、網を掛け、朝魚を売って仕事を終えるそうだ。何とも気の長い話だが、昔からこのような漁が繰り返されているのだろう。湖の素晴らしい風景と妙に馴染んでいた。
(5)ソーボア博物館とネットカフェ
自転車を漕いで、ホテルへ戻る途中、ソーボア博物館に寄る。ソーボアとは昔の藩主であり、ここは藩主の館である。流石に堅固な作りが見えるが、中は殆ど何もない。1960年代までに各地のソーボアは弾圧され、連れ去られた。ここのソーボアもその一人で、その後の消息は分からない。所持品も強奪され、最近少しずつ買い戻すなどして、展示品としているらしい。訪れる人は殆どいない。ミャンマーの負の部分が大きく見える。
ホテルへ戻り、ネットを繋ぐためにネットカフェに向かう。自転車に乗っていると気が付かなかったが、この街もパゴダが多い。そしてかなり立派だ。実に美しい形のパゴダを見て、ウットリ。またかなり古い建物の家が多い。木造建築でしっかりしている。何だか気持ちが良い。
ネットカフェへ行ったが、残念ながら繋がらなかった。WIFIは飛んでおり、お店のPCでは普通にキャッチできるのだが、私のPCには響かない。仕方なく、お店のPCでメールチェックだけして退散。他2軒を当たるも全く同じ状況。外国人が持ち込むPCは繋がらないことが多いという。何故であろうか。既に情報統制の時代は終わっているのに。
TAMにその旨告げると、最後の手段として、この街で最もおしゃれなレストランへ向かう。そこは川沿いにあり、いい感じだ。外国人が多く訪れるようで、値段も高い。ここから夕陽を眺めていると、何だかお茶が飲みたくなる。そしてネット接続にトライしたが、やはり駄目だった。ここでは普通の外国人はネットを問題なく繋いでいるようで、私のPCの問題かもしれない。横にある橋でもWIFIがキャッチできるらしく、何人かがスマホなどを動かしている。
その日の夜は街の小さなレストランでダイエットな夕食を取る。野菜炒めとご飯のみ。それでも十分と感じられるのがミャンマーの良いところ。勿論料金も安い。帰りに空を眺めるとやけに星がきれいだった。やはりミャンマーの田舎は変わっていない。
(4)ワイナリー
更に自転車に乗り、郊外へ。TAMは意外と速く、どんどん進む。こちらは不慣れで一生懸命続く。ミャンマーで自転車レースか。面白い。街は小さいので直ぐに郊外へ出る。そして到着した所は、何とワイナリーだった。
ミャンマーでもワインを作るのか、それが率直な感想。ブドウは出来るので外国からワイン技術を持ち込んだようだ。自転車を入り口に停め、歩いて上がる。これが結構きつい。自転車漕ぎ過ぎだろうか。
小山の上からニャウシェエの街が一望できた。なかなかいい眺めだ。上にはレストランがあり、そこにはミャンマーの正装をしたミャンマー人が4人で昼からワインを飲んでいた。聞けば、本日街である銀行の支店がオープンし、そのセレモニーの帰りだと言う。それにしてもこの田舎でミャンマー人が正装してワインを飲んでいる、この光景は信じられない変化であった。
ワインの試飲をすることに。4種類のワインをグラスに少しずつ入れてくれ、ゆっくり飲む。個人的には赤ワインが飲み易かった。パスタとサラダを注文したが、凄いボリュームでビックリ。味はまあまあ。ミャンマーでイタリアンとは。
実は急に雨が降り出し、かなり強く降った。その中で飲むワインはまた格別な味がした。工場も見学したが、現在製造はしておらず、何も動いていなかった。輸出も検討しているが、これからとか。それでも確実に変化しているミャンマーが感じられる。
(3)尼僧院
TAMが突然行こうと言う。きっと面白いことがあると思い、付いて行く。今日の乗り物は何と自転車。車は料金が高いので使わないのだろう。ミャンマーで初めて自転車に乗る。なかなか快適。車もあまり走っておらず、運転の心配もない。
街中と言っても、都会とは違い、ゆったりとしている。その中の1軒の前に停まる。ここは何だ。何と尼僧院だった。尼僧院と言えば、昨年インドのラダックで10日間泊めてもらったので、あまり抵抗感はない。
http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/category/683/page/11
ちょうどお昼の時間で皆食事が終わり寛いでいた。そこへ突然闖入したのだが、快く受け入れてくれた。そして担当という女性が付き、中を案内してくれ、お茶を出し、我々の相手をしてくれる。この感覚、日本にあればなあ、と思う。日本ではお寺は近づき難い場所になっている。
ミャンマーではまだまだ恵まれない人々、特に女性が多くいる。そういう人々の駆け込める場所、として尼僧院がある。相当小さな子供から成人女性まで数十人が共同生活をしている。日本にもこのような場所があれば、子供を殺す親、虐待する親が少しは減るのではないかと思うが、それはその国の事情だろうか。静寂の中で暫しの時を過ごす。