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《沖縄久高島へ行く》 2013523-30

 

沖縄には一度行ったことがある。あれは香港勤務を終えて東京に戻った年の夏休み、それまでバリやプーケットなど散々アジアのビーチリゾートを歩き、夏休みはビーチという概念から国内の沖縄に目を向けたのだが。当時(1996年)、もし同じお金を出して旅行へ行くなら、アジアのリゾートの方が格段にレベルが高かった。格安ツアーに乗った我々家族の旅は「がっかり」の印象が強い。

 

当時の日本に本当のリゾート地は一握りしかなかったと思う。香港→沖縄行きの日本航空は週2便しかなく、「何で沖縄なんか行く必要があるの」という香港人が大半だった。ところが2000年代に入り、日本ではNHKの朝ドラ、ちゅらさんなどがヒット。沖縄出身のアーチストも人気を高め、沖縄ブームが起こった。沖縄移住者が増加。

 

そしてそのブームが去った頃、LCCが参入し、それまでバカ高かった沖縄線の航空運賃が劇的に安くなった。今回初めて、ジェットスターで成田‐那覇を飛んでみた。今回の主目的はヨーガの合宿に参加すること。A師の合宿が神の島、久高で開かれると聞き、どうしても行ってみたくなる。

 

523日(木)

1.     那覇までジェットスター

成田空港で国内線に乗るのは初めてである。どこにチェックインカウンターがあるのだろうかと進んでいくと、なぜかジェットスターだけ全く別の所にある。というより、これは後から急ごしらえで作られた特設カウンター。如何にもチープな感じが良い。国内線なのでパスポートはいらなかったが、カウンターで身分証の提示を求められる。海外では国内線でも当たり前だが、日本では珍しい。荷物を預けるとタグだけ付けて、あとは自分で後ろのX線へ運ぶ。何ともチープ、でよい。私は非常に軽いヨーガマットも預けたが、潰れてしまった。


 

待合室には人が大勢いた。札幌行のスカイマークが遅れているらしい。皆ぶつぶつ言っている。安い飛行機にはそれなりのリスクがあるものだが、このスカイマークはリスクが高すぎるらしい。我々の方が先に搭乗になる。


 

機内はいたってシンプル、CAも外資系の雰囲気できびきびしていた。これはこれでよい。私のチケットは3か月前に予約して、片道5890円だった。これに変更可能などをセットして+1000円だと理解していたが、その中には500円のクーポンが付いており、コーヒーとビスケットが買えた。何だか料金のわりに得した気分になる。乗客は欧米人なども多く、LCCが浸透してきている様子が伺える。那覇まで約3時間、本を読んでいたら、到着した。


 

 

ランチ

 

 

11時半にT弟と食事の約束をしていた。ここの最上階には日本食レストランがある。見晴らしもよい。厦門に住む日本人の数はそれほど多くはない。観光客も日本食を食べる機会は少ない。結果としてここも中国人向けに作られている。個室に入ると寛げた。松花堂弁当などを頂いていると、ここが厦門かと思ってしまう。味は日本的、量は中国的、朝ごはんを食べ過ぎてしまい、散歩もしていないので残念ながら残してしまうほど。


 

中国人従業員の教育に話が及ぶ。『日本的なサービスを教えることは本当に難しい。何しろ本人たちが体験したことがないことをやれ、というのだから、いきなりは出来ない』『顧客からのクレーム対応に日中の違いが極端に出る。中国人従業員は日本人が何を、なぜ怒っているのか理解できないことが多い』など。

 

遅れてホテルの営業担当の日本人女性も食事に加わった。彼女は以前T弟と一緒に働いたことがあり、誘われて厦門にやってきた。同じ中国でも、都市によってかなり違うので戸惑うことが多いようだ。厦門は住みやすい場所だが、日本人が好む娯楽は少ないので、少々退屈とか。


 

そんな話をしていると飛行場へ向かう時間がやってきた。そそくさとチェックアウトし、タクシーで空港へ。何と20分で到着。速い。空港でチェックインすると、『あなたの座席予約はない』と言われる。ホテルでWebチェックインしようとしたところ、できなかったのだ、この空港は。乗客が少なく、機体を小さくしたのかもしれない。何とか乗せてもらえることに。

 

搭乗ゲートに並んでいると、係員が私の後ろの中国人男性に『荷物が多すぎるから機内へ持ち込めない。預けろ』とかなり無礼な態度で言う。まるで警官が泥棒に向かうようだ。言われた男性は言い返そうとしたがその剣幕に押され、すごすごと行ってしまった。中国にはまだサービスはないのだ、いやサービスしようとすると、皆がどんどん求めてしまうので歯止めが重要なのかもしれない。いずれにしても、今回の旅では、お金の論理を考え直す機会を得た。


 

 

510日(金) ゆっくり休む

 

 

翌朝、体が少し重かった。確かに3月下旬の関西に始まり、4月のマニラ、広西、インドネシア、そして今回の旅まで、あまりにも旅が続き、その間に香港でお茶会を開いたり、セミナーをしたり。疲れるのも当然かもしれない。

 

そういう意味で、今回突如日航ホテルに宿泊したのは何らかのお導きかもしれない。よいホテルでゆったり休む、そんな時間が必要だということだろう。この部屋には何と茶道具まで完備しており、朝からシャワーを浴び、ゆったりとした気分で張さんの鉄観音茶を頂く。これはこれで極楽気分だ。


 

それから朝食へ。ビュッフェのメニューは飛び切り多い。このホテルは完全に中国人を意識してサービスを組み立てている。日本の経営に有りがちな、日本的な部分を多く残さず、現地のニーズに合わせているところが良い。昨晩簡単に済ませているので、お粥から麺、パンまで、卵から点心まで、たらふく食べてしまった。


 

そして普通なら腹ごなしに、散歩に出たりするが、部屋へ戻り、ダラッとする。今日は半日、快適な部屋の中で過ごすことにした。勿論ネットは繋がるのだが、敢えてそれも止め、完全オフの体制となる。うつらうつらしていたら、何もしないのに意外や時間は過ぎてしまった。疲れが取れたのかどうかわからないが、このような時間は必要なのだろう。窓から外を眺めると、国際会議場周辺がよく見えた。


 

 

日航ホテル

 

 

日航ホテルがこんなところにあるのか、と思うほど、不思議なところにあった。周囲には旧式の住宅が並び、海沿いには国際会議場、そして高級マンションが並ぶ、アンバランスな位置にあった。勿論日航はマネージメントをしているだけで資本参加はしていないだろう。ただ開業1年、建物も客室もきれいに整っていた。ロビーに入っただけで気持ち良い。これは80年代に中国で外資系ホテルに入った時感じたものにすごく似ていた。そこだけ異質な空間が出来上がっているのだ。


 

T弟は何とそこの支配人だった。コーヒーを飲みながらゆっくり話を聞いた。ホテルを新しく立ち上げ、従業員を訓練し、しかも集客に努める、これは並大抵のことではない。ましてや中国では。ただ彼には天津や大連での豊富な経験があり、しかも前任地はジャカルタというエキスパートであったので、それほど困難ではなかったのかもしれない。

 

それでも従業員の質向上など課題は多い。話している間にもちょっと問題があると携帯が鳴る。中国では全て指示は老板が出さなければならない。きっと文句を上げたらきりがないだろうが、何とか1年でまとめただけでも手腕が感じられた。

 

夜は海岸へ行って見たが、特にライトアップなども多くはなく、美しい夜景とは言えなかった。むしろ背後のマンション群のほうがよほど、美しい夜景であり、このあたりでも厦門旧市内と変わらないような値段がついているのも頷ける。


 

夕飯は軽く食べようと思ったが、適当な場所がなく、ホテルに戻るとベーカリーのパンが半額になっていたので、それを食べて寝てしまった。食事より、睡眠。実はかなり疲労がたまっていたようだ。


 

 

5. 厦門3   なぜか日航ホテルへ

 

そして昼前にバスに乗り、港へ。私の12日、ミニ台湾ツアーは終わりを告げた。同じフェリーで厦門へ戻る。またあっという間に着いてしまい、バスに乗り、華僑大廈へ。ここに預けた荷物を取る。本当はもう1泊ここに泊まることを想定して荷物を預けたのだが、急遽新しくできた日航ホテルへ行くことになったからだ。


 

実は昨晩金門島でネットをいじっていると、Facebookに繋がる。ここは大陸ではなく、台湾なのだから、繋がって当たり前だが、つい嬉しくなり、『今金門島にいます』などとアップしてしまう。すると銀行時代の後輩T君が『もし明日厦門に行くなら弟の所に寄ってください』と書き込みがなされた。そして今朝、T弟の携帯番号をゲットして金門から電話してみた。兄から何も聞いていなかった彼だが、快く夕方会うことを約束してくれた。ホテルの場所が華僑大廈から離れていたこともあり、1晩の宿泊もお願いしたと言うわけだ。こういうご縁は、大切にしていこうと思う。

 

華僑大廈付近からバスに乗る。ホテルのある国際会議場はこの場所から相当にはなれているようで、行けども行けども到着しない。だが代わりに最近急速に発展している厦門市郊外を見ることができた。マンションが立ち並び、ショッピングモールがあり、旧市街地だけでは分からない厦門がそこにあった。もしタクシーに乗ったらここまで詳細には見られなかっただろう。しかも1元で。


 

 

59日(木)  台湾からの投資

 

 

翌朝は早く起きたがダラダラ。朝食に行くと、人が多くて食べる場所がない。本当にこのホテルは流行っている。何故だろうか?ちょうどオーナーの女性がいたので、聞いてみた。彼女も元は台北で銀行員をしていたとかで、私と共通点があり、親しくなる。


 

『このホテルに投資したのは僅か2年前。台北での生活があまりに慌ただしくて嫌になってしまい、ゆったりとした時間が流れるこの島にやってきた。ホテルに投資したのは、これからは台湾人、特に若者が多くこの島を訪れると予感したから。その為には民宿ではなく、安くてWIFIやテレビが整っているホテルのニーズが強くあると感じた。結果としてその予想は当たり、現在満室が続いている。みんなネットで予約してくれるので、コストもあまり掛からない』とか。

 

この街を歩いていると、本当に古き良き台湾が見られる。大きな古い木、お神輿を要する神社、そして古い古い商店など。現在台湾全体が『ディスカバー台湾』といった雰囲気であり、日本時代が回顧されることも多い。それはある意味では『中国大陸からのプレッシャーへの反発』ではないだろうか。若者が牽引する旅、いいではないか。










 

少し外れを歩くと、福建省政府の立派な建物があり、学校の中に中山堂が見えたりする。まさに虚と実、金門島は昔の台湾であり、また中台の接点として、その微妙な位置を保っている場所である。





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