(7) 帰路
翌日は朝早く出発した。それは私が青海省へ行くために、飛行機の時間に間に合うように皆さんが協力してくれたせいである。朝7時出発、これはこの地区では驚異的に早い。周囲は真っ暗。それでも漢族観光客は我々より先に出発して行った。彼らの観光は一日いくつ回るかが勝負。すごい。
今日の行程はウルムチ市に戻るだけ。その距離、680㎞。予想時間は10時間。これは長い。朝飯もない。どうなるんだろうか。兎に角先ずは寝る。皆ひたすら寝る。運転手だけが可哀そうに懸命に車を走らせる。
途中朝日が昇る。良い風景だ、西の大地に朝日が昇る。殆ど対向車のない道路をバスはひた走る。2時間半ほどして、最初のトイレ休憩。ガソリンスタンドの後方には4000m級の山がそびえる。今日は天気も良く、実にクリアーである。
またバスに揺られて2時間、高速道路を降りる。昼飯かと期待したが、なかなかレストランに入らない。どうやら当地の名物、大盤鶏という料理のいい店を探しているようだ。この辺のこだわりは凄い。ラマダン中でもあり、中には店を閉めている所もある。ようやくバスが止まり、店に入る。かなり繁盛しているようで、席が外まではみ出している。
その大盤鶏は鶏を一羽潰して、ジャガイモなどの野菜と唐辛子などを煮込んだ物だったが、実に満足できる味だった。食べている時は大粒の汗が出るほど辛いが、これは癖になる。更には残った汁の上から太い麺を掛け、混ぜて食べる。もう堪らない。こんな料理が日本で出せるのであろうか。新疆で食べるから美味しいのであろう。
今月はラマダンのため、午前中しか営業しない、と張り紙があったが、午後2時を過ぎても大繁盛であった。新疆時間ではまだお昼だったか。ここの食事ではビールが進む。久しぶりに昼から酒を飲み、そして大量の汗をかく。バスに乗り込むとすぐに寝る。
次にトイレ休憩があった時、持ち込んでいたスイカが切られた。J氏は器用にナイフを使い、鮮やかに切った。このスイカは酒を飲んだ後で、甘くて美味かった。こんな豪快な食べ方も久しぶりだ。
そして運転手の努力もあり、午後5時にはウイグル市内に入り、空港で降ろしてもらった。私の新疆北路は終了した。
完
工場のあまりの規模に圧倒され、早く伊寧市に戻りたいと思ったが、前の車が先導してどこかへ行く。確か前には女性が乗っていたような、あれは誰だ。
街中へ行く。ある家の前に車が停まる。何でもモデルハウスだと言う。何のモデルハウスだろう。きれいな庭にきれいな家、貧困の村を救う政府の政策だろうか。説明を聞き損ねたので詳細は分からない。
彼女の正体が分かった。何とこの県政府のトップ常務委員さんだった。まだ30歳代ではないだろうか。ウイグル族出身の彼女は苦労して天津の南開大学に進み、地元に戻ってからは、党学校の教師をしていたらしい。それが先日抜擢されてこの県に赴任してきたとか。新しい力が必要なのであろう。
食事の場所として連れて行ってくれたのは、閑静な庭園を持つ、リゾート風宿舎。池などが配されたその庭を歩いて行くと、大きな屋根の下に桟敷がある。絨毯も敷かれている。この自然空間の中でご飯を食べる、と想像しただけで嬉しくなるような場所であった。更にその桟敷には先客が3人いた。県のお役人だろうか、などと思っていると、常務委員が「彼らはウイグル伝統音楽の奏者です」と紹介。確かに脇には楽器らしきものが置かれていた。
話の中に「十二ムカム」という言葉が出て来た。1547年、音楽と詩歌をこよなく愛するアマンニサと言うウイグル女性が新疆ヤルカンド(現在のカシュガル地区莎車県辺り)にあったヤルカンドハン国の王妃になり、多くの楽師やムカム音楽家を集め、大規模な整理作業を行い、その規範化を実現。歌詞の中にあった難解な外来語や古ウイグル語の単語、さらには古い宮廷詩的修辞などを取り、完全且つ厳密な構造体系を持ち、口語的で分かりやすい全く新しいムカムを誕生させた。
19世紀にはムカムはしだいに12曲の組曲に編成され、一曲ごとの組曲の演奏には約2時間を要した。この洗練されたムカムが『十二ムカム』である。従来は師匠から弟子への口承のみであったが、新中国ではそれを録音するなど保存に努めている。
その演奏は見事であった。日本人と言うことで、すばるや赤い絆など、日本の曲も披露された。やはりプロである。「日本にはもったいない、という精神があると聞いた。コーランの教えにも同じ物がある。相通じる」そして我々の希望を聞き入れ、食事の量を少量にしてくれた常務委員さんの心遣い、とても嬉しくなってしまった。爽やかな風が吹き抜ける桟敷の上で強かに酔ってしまった。
午後は伊寧郊外に行く。どこへ行くのだろうか。昨晩もご一緒したS氏の友人を拾い、北西へ車は進む。40分ぐらいすると田舎町が見えた。そしてそこから更に農村部へ。舗装されていない道路をデコボコ進む。
しかしこんな田舎に何の用があるのだろうかと訝り始めたその時、目の前に巨大な門が見えてきた。あれは一体何であろうか。周囲は高原のようになっており、何もない中、その場所の一群だけが、異様な感じで建物が建てられていた。
門を潜ると、左右に平屋だが相当大きな建物がある。正面には更に柱の太い、大きな建物が。ここは何なんであろうか。まるで北京の天安門広場を意識したような造りである。よく見ると看板があり、企業集団と書かれている。この地方の街にこのような巨大な設備を持った工場があるのだろうか。よくよく見ると向こうの方に工場が建設中であることが分かる。正面の建物はオフィスなのだろうか。
中に入るとコンパニオンがマイクを持って、案内に立つ。1階の広いスペースが会社紹介となっていた。皆必死にこの集団が何であるかを確認に走る。この工場が完成すると16,000人の雇用が生まれると言う。当然この村だけでは賄いきれいない。両脇の建物はそのための従業員宿舎。その規模は壮大で信じられない。
ようやく化学プラントであることは分かったが、創業者の名前を聞いてもピンとこない。これは調べないと分からない、と思い、後日検索してみたが、やはりよく分からない。新疆には資源目当ての漢族の投資が次々に投入されているとは聞いていたが、これだけ規模の大きな、何百億元という単位の投資を目の当たりにすると、政府の意図が分かるような気がする。
この工場群の周囲をバスで1周する。途轍もなく広い。更には先ほど入った巨大な建物の裏にもう一つ迎賓館のような建物が見えた。集団総裁の執務室だと言う。一体どんな人間なんだ、こんな所にこんなものを作るのは。基本的には内モンゴルで成功した漢族の投資とのことであったが、その実態は最後まで謎であった。
建設中の工場を眺めながら、銀行時代のプロジェクトファイナンスを思い出す。タイや台湾、韓国などで10年以上前、こんなプロジェクト予定地を視察、数字を弾いて融資するかどうか決めていた若き日の自分を思い出す。あの頃は物事を単純に考えていたな、今ではとてもこのようなプロジェクトに巨額な融資は出来ないな、と感じてしまう。規模が大きければ良いと言う論理と、それを恐れてしまう今の自分、どちらが正しいのだろうか。
かなり暑さを感じる昼前。ウイグル族のやっている画廊を訪問。ここは観光スポットにもなっているようで、漢族の観光客も出たり入ったりしていた。ここでは特殊な絵が作られていると言う。
当地の風景を描いた絵が部屋の壁中に飾られていた。がよく見るとギャラリーに飾られている絵は全て砂で作られていた。タリム盆地の砂だと言う。砂漠の砂を使うあたりはウイグルらしい。この絵は一人の人が作るのではなく、共同作業で製作していくらしい。しかし中には障碍者が作った絵もあり、名前が書かれていた。色々な形態があるのだろうか。
N先生は気に入った絵があるようだが、大き過ぎて荷物として持ち帰るのは辛いらしい。郵送もすると言われるが、妥協して小さな絵を購入。これはよい記念になるのではないだろうか。
それから昨晩行ったレストランにまた行き、今度は屋内で食事をした。ラマダンのため、流石に昼、外で食べさせるのは憚れるのだろう。この日はデザートにアイスクリームが出て来たが、これは非常に濃厚で美味しかった。
バスの駐車している場所まで馬車に乗ることにした。ゆっくりゆっくり進む馬を後ろから眺めていると妙に落ち着く。馬車が日陰には行った時、爽やかな風が通り抜けた。ウイグルを感じた。
(3) ウイグル系市場の豪快な朝食
翌朝、ホテルの朝ごはんも味気ないというN先生の主張が通り、S氏友人の案内で、ウイグル系市場へ向かう。途中歩いた道が北京の胡同のような雰囲気で、何となく好感が持てる。四合院と同じような作りで、中に何家族か暮らしているらしい。やはり古い街なのであろう。
市場の店先には羊が沢山吊るされていたが、人影はまばらでひっそりとしていた。既にひと仕事終わったのだろうか。我々は一軒の店に案内される。店の入り口では大きなドラム缶鍋?に羊の肉と骨がぶち込まれ、豪快に料理されていた。湯がいた骨付き肉は端に出され、そこにナンが並べられる。このエキスをナンに吸わせるのだろう。
そして我々がありついたのが、その骨付き肉。ニンジンなどの野菜も一緒に煮込まれており、大盛りで登場した。この肉は柔らかい。そして臭みなどは全くなく、むしろ甘い。また羊でだしを取ったスープも一口飲んで幸せが感じられる絶品。コクがあるがあっさりしている。これは朝からトンデモナイ物に出会った。
ミルクティーも丼で出て来た。煮出した茶にミルクパウダーを入れ、塩を混ぜる。これは豪快な作り方だ。ヤギの乳があればそれを入れるらしい。味は少ししょっぱいが、味わいがある。
爽やかな朝に爽やかない朝食、これぞウイグル、と言える料理ではなかろうか。肉汁の沁み込んだナンを食べながら、幸せを噛み締めた。
ここでもS氏の友人のウイグル人が登場し、我々をレストランに案内してくれた。流石に中国の西の端、まだまだ空は明るい。ラマダン中でもあり、どうかと思ったが、外国人と言うことで、店の外の木の下にある気持ちの良い桟敷に落ち着くことが出来た。但し喫煙は厳しく制限された。外を歩くウイグル人への配慮であろう。
店の外にはカバブーを焼くブースや茶を入れる薬缶が並べられた場所がある。まだ稼働はしていなかったが。我々の目の前には早々にリンゴとプラムが運ばれてくる。これまでのスイカとハミウリの組み合わせから変わった。飲み物はヨーグルト。嬉しい美味しさである。
気持ち良い夕暮れの風が吹く中、外で食べる食事は実に美味しい。カバブーも殊の外柔らかく美味しく感じる。店内でトイレを借りると、この店がとても立派な店であることが分かる。ちょうど日が落ち、沢山のウイグル人が食事を始めたが、食の豊かさが見えていた。
レストランを出てイリ川の橋を渡る。この大河は濁流のように勢いがあると聞いていたが、真っ暗で何も見えない。ただ川の音がするのみ。橋の袂には検問があり、バスはそれを避けて、遠くに駐車する。ここは市内に入る要所であろう。若干緊張感がある。
ホテルに戻り、コーラでも買おうと外へ出るとN先生やJ氏がちょうど、ホテル前の屋台に繰り出すところに出くわし、付き合う。夕方は何もなかった道端に多くの店が出て、いすやテーブルが出され、大勢の人がビールを飲み、カバブーを咥え、夏の夜を謳歌している。
よく見ると店では子供たちが良く働いている。中学生ぐらいのおにいちゃんは既に一人前にカバブーを焼き、小学生ぐらいの女の子は注文を取る。もっと小さい子は片づけをし、皿を洗う。おじいさんの白い帽子は回教徒か。貧しい暮らしなのかもしれないが、それが何故かとても羨ましく見えてしまうのは私だけなのだろうか。
(1) 外国人が泊まれないホテル
とうとう西の端、伊寧市に到着した。今回の旅は僅か170㎞だったが、時間的には相当に掛かった。道が悪いと言うのは大変なことだ。まだ陽のあるうちに着いたのが救いだった。
本当に救いだった。ホテルには当地の旅行社の人間が来てアレンジをしていたが、我々を見て驚いた顔をした。何故だ。J氏、S氏と旅行社の人間は協議に入った。何か問題が発生したのは確かだ。聞けば、予約したホテルは外国人を泊めることが出来ないと言う。何と時代錯誤な、20年前の中国がそこにあった。
勿論日本人だけではなく、外国人は指定されたホテルに泊まらなければならないらしい。この制度は今年始まったのではなく、3年前からあるそうだ。こちらが予約した際、人数しか言わず、外国人がいることが分からなかったのが原因らしい。それにしても、夏のベストシーズンに、少なくとも我々日本人4人分の部屋がこの時間に確保できるのか、ちょっと心配になる。
30分ぐらい待っていると、J氏が済まなそうにやって来て、「4つ星ホテルの部屋は全て満員で、三ツ星になりました」と言う。こちらは泊まれるかどうかの問題であり、部屋があればそれでよかった。しかしこの辺境の地、それほどに漢民族は少数民族を恐れ、外国勢力との結びつきを恐れているのだろうか。花城賓館という実に昔懐かしい中国のホテルにチェックインした。
特に期待はしていなかったが、残念ながらネットは繋がらなかった。それは設備がなかったからではなく、普通なら線を繋ぐだけで良い所を、複雑な番号を入力しないと繋がらない仕組みになっていたからだ。中国でもこんな番号は見たことが無い。係員を呼んだが、私のPCを見て、日本語は読めないからお手上げ、と言って帰ってしまった。この暗号は何を意味するのか。確か他の国でも情報統制がある場合はこのシステムだったような。そして現在のWindows7というソフトには以前のようにこの暗号を入れる仕組みが見出せない。どうなっているのか??
(5)サリム湖 馬オジサン
天山山脈の山中にあるサリム湖は標高2000m、新疆で最も高い所にある湖。サリムとはモンゴル語で「屋根の上の湖」という意味らしい。湖は青く澄みきっており、いかにも高地の湖らしい。周辺は牧草地帯、いくつものゲルが見られ、遊牧民が羊を追っていた。
湖の風景も美しい。水も透き通っている。ここには汚染というものが感じられない。バスが止まったので降りる。そこにはモンゴル族と思われるオジサンがただ一人、馬を引いて待っていた。好奇心旺盛のN先生、早速馬に乗る。1周2元とか。こんなので商売になるのだろうか。
オジサンに聞いてみると、昔は多くの観光客が馬に乗り、一日で500元稼いだこともあったそうだ。2元なら、250人が乗った計算になる。最近は商売にも陰りが見えているらしい。実はこの場所は多くのバスが停まる場所ではない。オジサンは賭けに出ていたのだ。競争を排除し、少なくても客を独占する。
N先生とオジサン、意気投合してタバコを分け合う。タバコを吸うオジサンの後姿が実に哀愁を帯びていて、何とも言えない雰囲気がある。この美しいサリム湖とオジサン、そして馬、何とも言えない味わいがある。しかしもう少し経つと道が良くなり、オジサンはいなくなり、この風景も失われてしまうだろうか。寂しさを感じる。
綺麗な湖を後にして、そして我々は苦難にあった。山越えの道が相当に悪いのだ。昔はもっと悪かったといい、現在改修中の場所が多い。それはそれでデコボコなのだ。1時間ぐらい揺られただろうか。平らな道に出た時には腰が相当にいかれていた。
今日の目的地、伊寧に向かう。ただ博楽に戻り、また高速に乗るのはつまらないと言うことで、北側を通りサリム湖へ向かう。ここには高速はない。運転手は何となく嫌がっていた。何故か。
昼ごはんは地元の人が教えてくれた麺を食べる。道沿いになかなか味のあるお店。外国人が来ることなど、滅多にないようで、夫婦が大慌てて支度にかかる。涼皮と書かれている。涼皮とは小麦で作る春雨の太いの、というイメージか。上に肉片を乗せ、熱々の涼皮が登場した。スープはコクがあり美味い。付け合せの漬物が絶品。炭火で焼いたナンも焦げ目があって美味しい。やはり地元の人が連れて行く店だけのことはある。
天気が急速に悪化してきた。突然の変化はまるで山の気候。この辺りは4000m級の山が近い。大粒の雨が降り出した。私はトイレに行きたくなり外へ。そこへ凄い突風が吹き、危うく吹き飛ばされるところであった。このあたり、遮るものは何もない。慌てて店に飛び込み、しばらく茶など啜っていると、嘘のように収まり、そして晴れて来た。通り雨にしては激し過ぎる。新疆の気候の恐ろしさを垣間見た。
店を出てバスに乗るが、直ぐにガソリンスタンドへ。そこでは素晴らしく晴れた山並みの景色が見える。驚くほどの変化。その辺に停まっている大型バスは軒並み後ろを開けてオーバーヒートに備えている。雨が降った様子は全くない。我々は幻を見たのだろうか。
(3) アラシャン口岸
我々は何故博楽にやって来たのか、正直ここに見るべきものはない。それは今回の調査の主眼である辺境調査、ようは国境へのアクセスの為である。カザフスタンと国境を接するアラシャン口岸は博楽から40㎞の距離。朝からそこを目指して出発する。同行する地元の人も別の車で先導してくれる。
バスは順調に進み、国境近くの検問所にやって来た。流石中国の国境、かなり厳しい検問だなと待っていたが、我々の車だけが一向に通過できない。他の車が去るのを眺めながら嫌な予感が走る。
それから少しして、ようやくバスが動き始めた。よかった、関門を越えたと思ったとたん、道に脇に駐車していた車から若者が手を振り、バスを止めた。バスに乗り込で来た険しい表情の若者は誰であろうか。ウイグル人であるらしく、J氏、S氏とウイグル語で話していたい。途中で急に両者の声が和んだ。何と財経大の卒業生だと言うのだ。
では、これから先は何とかなるのだろうか。そう簡単に事は運ばなかった。我々のバスは若者の先導で、公安に誘導され、そこで「口岸付近を1周すること、駅前広場と土産物売り場への立ち寄り、写真撮影」が許可されただけであった。調査どころではない。というか、こんなに厳しいのに、辺境貿易が正常に行われている訳がない。
土産物売り場にはロシア製品と思われるチョコレートや工芸品、衣服などが置かれていた。売り子の英語は片言。基本は中国語を話したが、お客は殆どいなかった。駅も表示を見るとカザフからの国際列車が一日1-2本通過しているようだが、人気は全くなかった。貨車が中心であろうか。街を1周したが、普通の街と変わりはなかった。ただ人が殆どいなかっただけ。我々は記念写真を撮り、早々に引き揚げた。
最近カシュガルやホータンで、テロ事件が発生していた。この件と関係があるのだろうか。説明は一切ない。兎に角過敏になっていることだけが分かる。この結果、明日行くはずだったもう一つの国境、コルゴスへの訪問も断念した。新疆の厳しいさを見た。
皆ガッカリしながらバスに乗る。近くになった皮革工場にはアポが入っており、案内してもらえた。しかしどのようにしてこの場所を確保できたのかなどの疑問には曖昧な答えのみ。やはり国境には複雑な事情がありそうだ。