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(8) ゴーストタウン

そのままホテルへ戻ろうかと思ったが、まだ時間もあるし、ということで、気になっていた駅へ行く。駅、ここは青蔵鉄道の起点、一応話題の場所かなと思ってみる。バスで行こうとしたが、よく分からないのでタクシーに乗る。


聞けば、青蔵鉄道の駅は昨年新駅に移ったとか。西寧の市内ではかなり西の方に新しい駅があった。その途中、旧市街から離れると、そこには巨大なマンション群が。新市街地を造成したらしい。運転手によれば、「3年前開発が始まった時は1㎡1,000元だったが、今は6,000元と言われている。基本的に売り出された所は全て売れているはず」と。


それにしても何棟ものマンションがあるのに、人が歩いている気配もない。運転手曰く、「ガスに問題があるとかで、誰もまだ入居していない。今はちょうどいいが、冬にガスが無ければ死んでしまう」と。確かにガスが通っていなければ生活は出来ない。しかしこの巨大なマンション群に誰も住んでいない、しかも今後いつ入居するか分からない、というのは如何にも中国らしい。


帰りはバスに乗ってみたが、いくつもある新区のバス停は全て素通りだった。当たり前か、誰も住んでいないのだから。それにしても、もしこれが不良債権だったら・・・。ちょっと怖くなるゴーストタウンであった。


因みに駅はプレハブの出来合い。取り敢えず新区に合わせて移したのかもしれないが、それは誤算だったかも。ただこの季節、どこへ行く切符もなかなか手に入らないらしい。駅前には乗客以上に多くの人々が切符を買うために並んでいた。そうか、切符を買うために暴動にでもなったら大変なので、人が少ないこの場所に移したのかもしれない。

 
8月22日(月)
(7) 博物館では骨董市が

翌朝も早く起きた。陳さんから朝ごはんの場所も聞いていたが、やはり昨晩の食べ過ぎが効いて、何も食べられない。取り敢えず散歩へ。隣の公園では数人のおじさんが鳥かご持参で集まっていた。皆自慢の鳥を連れているらしく、朝から元気よく批評会をしている。




清真と書かれたレストランの前には長い行列が出来ている。名物の麺でも売っているのだろう。皆立ち食いしているから、余程美味いのだろう。それでも私は近づく気にもなれない。市内は至る所で開発や改修の工事が進められている。6階建てのビルがあり、1階にケンタッキーが見えた。そうだ、ケンタッキーで粥を食べてみようと、中へ入ると従業員が数人こちらを見て、あれ、という顔をした。何か悪い事でもしたかと思っているとマネージャーがやって来て、「今は営業していない」と言う。何故だろうか。


反対側に道を見ると、どこから店の従業員が皆整列し、訓示が行われている。その後突然皆が踊り出す。いや、踊りではなく、朝の体操らしい。中国ではよく見られる光景ではあるが、皆で体操するというのは、日本からでも取り入れたのだろうか。何となく、天下の公道でするようなことではない気がするのだが。これも宣伝?


陳さんから「折角だから博物館へ行け」と言われていたので、博物館を目指す。地図はあるのでその通り行ったつもりだったが、通り過ぎてしまう。図書館はあったが月曜日で休み。何やらいやな予感。ちょうど陳さんから電話があり、再度博物館の場所を聞いて辿りつく。


この博物館、実に立派。しかも前の広場がやけに大きい。これは北京の天安門広場や歴史博物館をイメージして作られたものかもしれない。しかし、入ろうとすると、警備員が「今日は休館日」と冷たく告げる。実は扉は空いていたのだが、何と中では骨董市が開かれていた。骨董市に貸し出したのなら、博物館も開けて欲しい所。しかしやむを得ない。

 
(6) 別れは難しい

夕方5時には西寧に戻った。陳さんは車の都合からか、ホテルへ行かずにそのまま夕飯を食べようという。左程お腹は空いていないが、従う。彼が連れて行ったのは火鍋屋。結構大きな店だが、既にお客で満員だ。まだ陽のある時間に、これだけの客が来るとは。勿論日曜日と言う理由もあるだろうが、驚きである。




ようやく一番端に席を確保し、火鍋を頼む。周囲を見渡すと、地元に住む漢族の家族、カップルなどが多い。ビールを飲む人もいるが、いきなり白酒がテーブルの上に載っている所もある。真夏に火鍋、と言うだけでも驚きであるが、これは一体なんであろうか。


気が付くと我々のテーブルにも牛肉、羊肉、きのこ、野菜が所狭しと並べられた。とても食べ切れない。これが昨今の中国である。取り敢えずたくさん頼むのが、礼儀。たれは自分で好きな物を選ぶ。味は中々であったが、何しろ量が多い。まだ昼ごはんから4時間しか経っていないのが残念。最後は陳さんが「寮のおばさんに上げる」と言って打包した。あー良かった。


陳さんは明日朝北京からビックボスがやって来るらしく、済まなそうに明日は付き合えない、という。当方からすれば、既に十分対応してもらい、これ以上彼に付き合わせるのは悪い。食後何をしようかと誘う彼に「今日は原稿書きがあるのでホテルに帰る」と告げ、お別れした。こういう時、日本人なら相手の事情を考えて行動するが、中国人は先ずは自分が十分に誠意を尽くすので、なかなか別れられない。これが恋人なら、と思うだけでも大変なことである。

 
(5) 陳さん

今回案内役を買って出てくれたのは陳さん。彼は私の元部下だった中国人の現在の部下。ある意味業務命令でアテンドしていた。しかしそこは中国、今日は日曜日だが、嫌な顔一つせずに、いや寧ろ楽しんで案内してくれている。これは嬉しい。


彼と一緒に車に乗っていると実に様々な質問が出て来る。「自分たちは日本のアニメやドラマを見て育った世代」として、日本には特別な親近感があるという。ただ自分たちの描いている日本は、経済的にも科学的にも、強い国であるが、昨今の報道を見る限り、それが幻想になりつつあるとのこと。私は何も言い返すことが出来ない。


しかし日本経済だけが心配なのではなく、中国経済も厳しい局面が近づいているという。彼は金融機関職員だが、北京からここ青海に派遣された理由を詳しくは語らないが、不良債権の処理のようだ。これは10年前の私と私の部下が経験したあの状況だ。10年経って後輩がこれに苦しむことになる。金融業は因果な商売なのだろうか。


彼はこの地にあっても、世界の様々な情報に耳を傾けている。本当は海外勤務を希望していたが、残念ながら事情でその道から外れ、国内業務をやっている。日本で仕事をしたかったかと聞くと力なく首を振る。やはり日本は憧れの国であり、現実に行く場所ではないらしい。

 
(4) 青海湖

そして車は山道へ。両側に建物など何もない高原が続く。ゆっくりゆっくり上って行く。途中で馬の放牧に出会う。何とも言えないのどかな風景。と思っていると運転手が突然一眼レフを構えて車を降りていく。聞けば、彼は写真が趣味で、運転しながらいい風景を撮影しているらしい。彼によれば、この馬の放牧風景はこれまでに見たものの中でもとりわけ美しく、写真を撮りたいという。私も撮影に挑戦したが全く上手く撮れない。これはカメラのせいだけではなさそうだ。






そうこうしている内に、随分高い所まで登ったな、と感じたころ、突然看板が見える。海抜3820m、え、私は知らない内に富士山より高い所へ来ていた。ここでは皆が車から降り、写真撮影などしている。私は高所恐怖症、3820mを見て、急に眩暈が・・。これだけ高い所に来たのは初めてかもしれない。


とてもきれいな山並み、高原、雲、続く。ここはいい。広々として、雲が流れ、山が流れ、そして、羊が。途中急に雨が降り出す。山の気候は変わりやすい。天気は悪いが、何だか救われる思いがする。特に低く垂れこめる雲の形が素晴らしい。この風景も表現が難しい。


1時間近く走って、ようやく青海湖が見えてきた。湖というより海だと思えるほど大きい。そして平たい。湖が近づくと、少数民族が盛んに旗を振り、こちらへ来いと合図する。湖へ続く道を確保し、彼らは独自の場所へ案内するらしい。駱駝などン観光客を乗せて日銭を稼いでいる。


時間は昼を過ぎていた。昼ごはんは湖畔のレストランで。何軒かが並んでいる中の一軒に入る。陳さんは以前もここに来ているようだ。しかし兎に角混んでいる。ひっきりなしに観光客が入ってくる。我々は何とか席を確保したが、注文を聞きに着てくる気配もない。陳さん自ら立ち上がり、オーナーを探しに行く。オーナーは漢族のようで、話がついて、オーダーが通る。


出て来たのは青海湖で取れた魚の甘酢あんかけ。結構大きな魚だ。野菜炒めなどは普通の物。そして白いご飯を魚の汁にかけて食べようと注文したが、なかなか出てこない。催促してようやく出て来たご飯を一口食べて「あれ、」。このご飯、芯がある。どこかで食べたような気がするが、決して美味しいものではない。陳さんは「僕は結構好きだけどね。ここは標高が高く、沸点が低いため、ちゃんと炊くことが出来ない」という。そうだ、それだ。どこで食べたかは忘れたが、何となく懐かしい味がした。


食後、湖面を眺める。湖の直ぐ近くまで車を寄せて、観光客が波打ち際で写真を撮っている。本当に海のようだ。駱駝が「美しい青海」と書かれた看板の前にどん、と構えてお客を待っている。しかしこんな所で駱駝に乗る人間などいるのだろうか。いや、中国人のこと、お調子者は必ずいるということか。


帰りに道路で異様な集団と遭遇。先程タール寺でも若手の僧が行っていたが、五体投地をしている。寺の中でするのは何となく運動という感じであるが、こちらは厳しさがひしひしと伝わってくる。剣でいえば、木刀と真剣の違いか。4人の集団だが、一番前は何と女性。エプロンのような前掛けを掛け?肘をかばい、完全防備で臨んでいる。彼らは一体どこまで行くのだろうか。ラサまでだろうか。この標高の高い大地を一歩一歩、いや一体一体、進めていくことの苦難は想像だに出来ない。凄いとか何とかいう次元ではない。25年前ラサでの大昭寺で見た、あの五体投地、宗教とは何かを再度考えさせられる。


 

 
(3) タール寺

車を飛ばして、タール寺へ向かう。先月インドのラダックへ行き、チベット仏教に関心を持った者としては、ぜひ訪れたい場所。タール寺は西寧郊外にあり、車で30分ほど掛かった。ここは西寧最大の観光地らしく、朝から大勢の観光客が訪れており、チケット売り場には長蛇の列。仏塔や建物は見慣れた風景であるが、やはりラダックの静寂はここにはない。というか、漢族の観光客には聖なる場所ではないということか。




それにしても壮大な寺院である。山の斜面には僧院が並んでおり、多くの僧侶がここに滞在し、修行している様子が伺われる。本日は日曜日であり、坊さんたちも外に出て来ている。その袈裟姿は懐かしい。


1560年創建という古いお寺ではあるが、近年改修されたと思われる場所も多く、これは文革の影響なのか、チベット問題と繋がりがあるのか、皆目わからない。ただいくつもの建物を見学でき、そしてどこへ行っても人だらけ、ゆっくり見学する雰囲気もなく、人に押されて通り過ぎて行く。これが今の中国なのだ、宗教も静寂も何もない、ただの見世物なのだ、とがっかりすること仕切り。ラダックを思い出そうとしたが、完全に失敗に終わる。


ただ一か所だけ、若い僧侶が数十人で五体投地をしている場所があった。25年前にチベットのラサの聖地、大昭寺の門前で大勢のチベット人が真っ黒になりながら、一日中これを繰り返していたのを鮮明に思い出す。一体何のためにこれを行っているのか。寺の中であれば修行と割り切れるが、信仰とはすごい力がある。これを見せられると漢族は恐怖を感じるのではないだろうか。

 

 
8月21日(日) (2) 大音響で目覚める

翌朝は早く目覚めた。というより昨晩フロントのお姐さんが言っていた通り、外の大音響で叩き起こされた。部屋は道路に面していたが、反対側は川。その川と建物の間に細長い公園がある。そこでは太極拳など、朝早くから老人を中心に活動が行われていたが、近年流行りのおばさんダンス??も行われる。この音楽がでかい。周囲お構いなしだ。




散歩がてら覗いてみると、実に元気の良い女性達が朝から汗をかいて踊っていた。本当に健康そう。どこの国でも女性は強い。それにしても西寧の朝は爽やか、というより、涼しい。昨日までの暑さが嘘のよう。ここは標高2200m、高原の避暑地に来た気分。

陳さんがやって来た。朝ごはんを食べることに。彼も北京の出身であり、ここには数か月の滞在。その中で気に入った朝食は牛肉麺。専門店へ向かう。如何にも昔中国を旅した時に行ったような大衆麺屋。懐かしい。値段も安いし、会計も注文を紙に書いて先に払う。羊肉もあるようだが、彼は牛を選択。ここ西寧の人口は8割が漢族だが、白い帽子を被った回族も多く住んでいる。回族は羊を食べるのだろう。


熱々の麺が運ばれる。ちょっと涼しいこの気候にマッチしている。麺はやや太めながらこしがあり、スープにはコクがある。パラパラと載っているネギが良い。うーん、朝から満足。


 

 
2.西寧
(1)ネットの接続には身分証

西寧の空港に到着したのは、午後10時を過ぎていた。今回は昔北京で働いていた時の部下が西寧のアレンジをしてくれた。彼の部下が西寧に常駐しているのだそうだ。その陳さんが空港に出迎えてくれた。こんな遅い時間に申し訳ない。


陳さんの車でホテルへ。陳さんが恐縮して言う。「実は今西寧ではホテルの部屋を押さえるのが大変である。今日も何軒かを回ったが、一つも部屋が取れなかった」と。そんなに大変な状況なのか、西寧は。


西寧の観光シーズは6-9月、それ以外は殆ど人が来ないため、ホテルは多くない。投資ラッシュと聞いていたが、ホテル投資はないようだ。


20分ぐらい走って到着した所は市内中心部。夜も遅く既にひっそりしていた。南川という川の横のこじんまりしたホテルに入る。陳さんが予約した旨告げたが、「来ないと思っていい部屋は全て埋まってしまった」と言われる。それでも何とか2階の一部屋があてがわれ、陳さんは帰って行った。


しかしここでまたネット問題が発生。無線なのになぜか2階は繋がらないらしい。1階のうるさい部屋なら空いているが、どうかと言われ、即座に部屋を変更。何がうるさいのか分からなかったかが、確かに夜中でも車が通り、少し気になる。


そしてネットを繋ごうとすると、「身分証番号がいる」との表示が出る。外国人が止まることなど想定していないホテルなのだ。外国人である私は身分証を持っていない。どうするかと見ていると、フロントのお姐さんは仕方がない、という仕草をして机の中から1枚の身分証を取り出す。そしてこの番号を入力するようにと言われる。ここでもネットの管理が行われていると同時に、身分証の管理の甘さが、私を救った。「上に政策あれば、下に対策あり」と言う懐かしい言葉を思い出す。

 
(2) サービスが改善された南方航空

ネットに夢中になり、気が付くと3時間が経過しており、何と私のフライトは搭乗の最終案内になっていた。あれほど時間があったのに、走ってゲートに向かう羽目に。しかもセキュリティ検査が結構厳しく、前の中国人が係官と揉めている。いや、困った。




何とか他の台で検査を終了し、走る。私が飛行機に乗り込むとドアが閉まったので、最終搭乗者だったのだ。自分の席を探すと、ビジネスクラスのすぐ後ろにプレミアエコノミーなる席が4列だけ存在し、私の席はその一番後ろの窓側。ところが窓側には既に先客があり、通路側が空いている。こちらに座っていいかと聞くと、彼も窓側が良いと言い一件落着。


確かに航空券は正規料金を支払ったが、これほど待遇が違うとは思わなかった。席は結構広いし、食事も出た。普通のエコノミークラスは飲み物しか出なかったようだ。中国南方航空と言えば、昔乗った印象は悪い。サービスの概念が無かった気がする。しかし今回乗ってみるとかなりの改善が見られ、エアーチャイナよりいいのでは、と思ってしまう。中国の変化の速さを感じた一瞬であった。


 

 
《西寧散歩》2011年8月20-22日
2011年8月20日(土)
1. 西寧まで (1) ウルムチ空港

西寧行きの飛行機はまだ離陸まで3時間半もあった。遅れるよりはマシであり、感謝しなければならない。南方航空でチェックインできるか心配だったが、簡単にチェックインは出来た。しかし通路側の席を希望すると「既に満員です」との答え。3時間半前に通路側の席が1つもない?一体どんな機体なのだろう。そんなに混んでいるのだろうか。




取り敢えず窓際の席を予約し、ボーディングパスを貰う。しかし時間は余りに余っている。インターネットでもできる所はないかと探すと、PCが置いてある店が目に入る。脚マッサージもあるようだ。聞くと68元もする。しかし他に行く所もなく入り、自分のPCを繋ぐ。70元支払ったが、おつりの代わりにおしぼりを持ってくる。よく見ると2元と書かれている。うーん、こういう所が中国の悪い所だな、と思わずつぶやく。いや、Facebookは中国では繋がらないので、自分でつぶやいただけ。


見ていると若者が何人かネットに向かっている。アニメを見る者、ゲームに興じる者、この値段でよくもこんなことがしていられるなと感心してしまう。その内の一人はこの店のオーナーらしい。遊んで暮らすとはこのことか、このゆるさが良いのかもしれない。

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