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行動には基準が必要
続いて、ストックの博物館へ。先程来た道を戻り、途中でまた山へ向かう。山へ向かい始めてすぐに、高校がある、尼僧院内の5人がここに通っているとのこと。正直毎日ここまでバスで通学するのは大変だと思われるが、これも修行なのだろうか。




ここにはラダック王家が居住しているとのことだが、ある人曰く、現在の王は基本的にデリー滞在。またある人は「奥さんは出身地のヌブラで暮らしている」などよく分からない。ただ王が何となく西洋的であることは、飾られている写真の中にある坂本龍一と肩を組んだツーショットを見れば分かる。


入館料は50rp。徴収しているのは若い娘で、顔だちもよく、服装も可愛らしい。ちょっとしたコンパニオンと言った感じ。但し、その分おしゃべりに夢中だったりして、仕事熱心とは思えない。勿論宗教とは関係ないので信心を持つ必要もないので、仕方がないのかもしれない。展示物で目を引いたのは中国製の茶碗ぐらいか。


ここも眺めはよい。帰り道でも写真を撮る。この辺りは田舎でバスもあまりないようで、皆ヒッチハイクで本道まで出るようだ。ヒッチハイクの合図があっても、ラモはあまり止まらない。それは尼僧であるからであろうか。するとちょうどおじいさんが一人、合図を出した。彼女は直ぐに停まった。何となく基準が分かる。どうしてもこちらが手を差し伸べる必要がある年齢、また障害があれば応じると言うことだろう。


ある程度の柔軟性はあるものの、ある意味で尼僧の基準ははっきりしている。ダメなものはダメ、助けるべきは助ける。それはラダック滞在中、何度も感じ、実際に見た光景からわかる。今の日本にはしっかりした基準がなく、皆が人の顔色を見ながら、おどおどとして暮らしているように見える。


6時頃戻り、お茶を貰いに行くと、何とレモンティが出た。これも高校生効果か。しかしレモンティはアメリカ人でミルクティはイギリス人ではないか。そんなことはどうでもよい。砂糖が入ったレモンティを飲むのは実に久しぶり。とても美味しい。

 
P師の故郷マトへ
昼食後直ぐにラモから声が掛かり、彼女が運転するオフィスの車でマトヘ向かう。マトはP師の故郷と聞いており、楽しみだった。途中までティクセに向かう道を通り、そこから山に向かって一直線に行く。更に山と平行な道があり、そこへ。その時向こうから馬の隊列がやって来た。あまりの美しい光景に思わず車を止め、写真を撮る。そこからは四方、どこを見ても素晴らしい景色が続く。雪を頂く山々と雲。




ラダックで車を運転するのはなかなか難儀だ。道が全て平らであれば問題ないが、所々でこぼこの上、対向車が来れば路肩へはみ出す。ラモは相当慣れているようで、スイスイとこなしていく。ほぼティクセと平行ぐらいの場所で、また山に向かう。少し行くと、小川が流れている。そしてマスタードの黄色い花が咲き乱れている。荒涼とした大地で見る花、何だかここだけラダックではないかのようだ。


かなりの坂を車は上る。これは歩いては大変である。その上に寺院は建っていた。そこからの見晴らしは絶景であり、また驚くのは村がそこだけ緑と黄色で鮮やかに見えていること。まるで絵でも描いたかのようだ。




マト寺院は晴天の中、静まり返っていた。誰一人観光客はない。地元民もいない。ただ新しい仏像を安置する場所で作業している人がいるのみ。どうなっているのか。ようやく寝ていた寺男を見付けて、案内を頼む。ここはチケットではなく、ドネーションで領収書を切る。




マト寺院はこの辺り唯一のサイケヤ系寺院。15世紀初頭に王家より土地の寄進を受け創設。16世紀にイスラムの侵攻を受け、寺院は破壊され、王も捕虜となるがその後解放され、再建。僧侶はチベットで伝統と仏典を学び、伝統的チベット仏教が色濃く残る。マトナグランと言う祭りが有名。本堂3階部分にあるゴンカンで僧2人がトランス状態になり、神託が与えられる。3階は女人禁制であるが、ラムは尼僧であり、入室を許された。非常に小さく薄暗い部屋である。


この寺院は2階に小部屋がいくつかあり、同じ形の仏像が21体ある所や、経典が納められている部屋、博物館などがある。また1階端には、かなり新しい仏像が安置されており、色鮮やかである。因みに寺が極めて静かだったのは全ての僧侶がヌブラと言う場所へ出かけて留守だったことが分かる。


それにしてもここからの眺めは実によい。先日のティクセもシェイも一望できる。下を見れば緑が鮮やか。下から寺院を眺めると実に立派。そしてP師の実家の横を通ると、畑があり、ゆったりとした造り。新しいものと古いものの2つが見える。P師のような人物を育むにはこのような環境が大切であるかと思う。

 
イギリス人高校生来訪
9時過ぎにイギリス人高校生がやって来た。皆準備に余念がなく、胸に名前を張ったりして、緊張の中で実に嬉しそうだった。到着した高校生の荷物を嬉々として運んでいた。グループワークも楽しそうにしていた。正直色々と環境が違う彼女ら。実際はどう思っているのかちょっと関心がある。ハーディは大活躍。受け入れ側代表であり、全体のコーディネーターとして走り回る。庭には特設テントも設置され、調理の補助として何故か男子3名がやって来てテントに泊まるらしい。






交流は順調だったようで、グループワークでは仲良く作業していた。午後も歌やパフォーマンスがあり、尼僧たち、とくに幼い子達は大喜びではしゃいでいた。ただ昼ごはんの時に高校生は先に食べ始め、尼僧たちは結局場所が狭すぎると言うことで、外で食べることになってしまったのは、双方に取り残念なことであった。夜も交代で食べる。


先進国で何不自由なく育ってきたと思われる10代のイギリス人が、突然何もない環境に放り込まれる。「World Challenge Program」というイギリスベースの高校生プログラムだと言うが、イギリスは思い切ったことをする。日本なら「もし何かあったらどうするんだ」と責任論だけが先行し、学校もリスクを取らず、結局このような有意義な体験を得ることは出来ないであろう。イギリス教育の奥深さを感じる。


宿泊などの環境は体験できても、さすがに食事は共有できないとのことで、ケータリングチームが派遣された。彼らはトレッキングのガイドなのだろうか、素早いさばきで食事を作り上げる。その味は肉や魚は使っていないが、西洋人好みに出来ていて驚く。


実は私は外国人扱いで、結局食事はイギリス人と食べる。というよりも彼女らが連れてきたコックが作る料理のご相伴に預かる感じ。クリームスープはとても濃厚、ベジカレーは最高に美味しく感じられた。ようは僧院の食事は基本的に刺激、味付けが酷く抑えられていると言うことなのだ。どちらが良いと言う問題ではなく、美味しいものをたまに食べるのは幸せな気分。しかし考えてみれば、私は彼女らの施しで食事をしていることになる。恥ずかしいような気もするが、ここにいれば、それも良しを思える。


驚いたことにあの新入り少女はまだ馴染めずにはいたが、何とハーディと英語で不自由なく会話していた。そういえばさっき会計係であるソーナムと調理者とのミーティングにも首を突っ込んでいた。彼女はソーナムの親戚だと聞いているが、難しい話もある程度分かっているのだろう。ハーディの好きな食べ物はとの英語の問い掛けに、にカリフラワー、好きな動物はホッキョクグマと答えるあたり、只者ではないかもしれない。ただハーディが敢えて「昔の良い思い出は」と聞いたのに対して、明確に答えなかった。それが彼女のポイントなのだろうか。

 
脈診で分かる「考え過ぎ」
8時前、P師より声が掛かる。LNA関連の資料とDVDを貸してもらう。そしてとうとう脈を診てもらった。P師はチベット伝承医学を納めており、この地方は勿論日本にも診てもらいたがっている人々がいる。今回特別の計らいで実現。そして気になる結果は「身体機能には異状なし。但し考え過ぎ」とのお見立て。


彼女から色々とアドバイスを貰ったが、その後本当の患者が待つクリニックへ出掛けて行った。朝食は食べたのだろうか、凄い人だ、本当に。私の朝食はちゃんと残されていた。今日は珍しく揚げパン。何もつけなくても美味しい。もしこれに砂糖が付いていれば、小学校の給食で食べたあの揚げパンそのものだ。3枚も食べてしまう。


パンを食べながら考える。「考え過ぎ」とは何だろうか。中国でも他のアジアでも「日本人は細かいことを考え過ぎ」とはよく言われた。「重箱の隅をつつく」とも言われた。北京の脚マッサージのお姐さんからも「あなたは一日中頭を働かせている。頭も休めないと使い物にならないよ」と言われたことなども思い出す。




確かに我々は「隙のない生活」を目指しているのかもしれない。そして他人を指して「どうしてあんな簡単なことに気が付かないのだろう」などと思う。日本社会の縛りの構図のような気がする。




P師の言った考え過ぎとは恐らくはもっと大きな意味だろう。「アジアのことを考え、日本のことを考え、家族のことを考え、そして自分のことも考える」それでは疲れてしまうだろう。オンとオフをはっきりさせて、休む時は休む、他人に任せる時は任せる、そんな生活を送れ、と言われたようだ。が、まだ判然としない。

 
【読書感想文】 『アジアでハローワーク』 (下川裕治編著 ぱる出版)


副題「わたしの"アジア就活"35のストーリー」とあるように、本書は本社派遣、現地採用、現地起業、ロングステイなど海外で働く様々な日本人35人が如何にしてアジアへ出ていき、職を獲得したのかを取り上げている。そして本書の特徴は従来型の「日本ではダメだったが、アジアで一旗揚げた」というサクセスストーリーではなく、また進出失敗事例集でもなく、生身の日本人がアジアで働く本音が語られている点ではなかろうか。


一般的に世の中でマスコミが取り上げる情報は「中国で起業し悪戦苦闘の上成功した」などというギラギラした発展型のものばかり。実際には本書に出て来るような「日本での暗黙の苦しさ」「希望のなさ」に嫌気がさして、給与条件などが下がっても、ゆるーい社会で、自分らしく生きられる場を求めている日本人が増えている点に注目すべき。


今回の大震災以降、人の幸福について、語る人が増えている。本当の幸せがお金ではない、と分かってはいても、先立つものが無いと生活できないという不安。これを払拭する様々な可能性を本書は示してくれている。但しアジアの生活はバラ色という訳にはいかないが。


ただ本書に登場する人々は何となく海外志向があり、特にアジアへの抵抗感が少ないが一般的な日本人はどうだろうか。「アジアでハローワーク」のハードルはそれほど高くない、とあるが、先ずは日本人各人の意識を高めていく必要がある。現在も就職氷河期、日本がダメだからアジアで職を得ようと言う安易な考え方をする学生がいれば、それは決して将来性のある話ではない。アジアを対等な目線で見られ、普通の生活の場として考えられる人材が求められている。


本書の中で「日本人の価値が下がってきている」と題した簡単なコラムを書かせて頂いた(P141-143)。島国日本で就活するのとは違い、他国で自らを生かしていくには、「自らの価値はどこにあるのか」をよく確認していく必要がある。日本では資格マニアと呼ばれる人々もいるが、海外で通用する資格はそう多くはない。語学にしてもスキルにしても、もっと実践的な学習が必要とされ、またその国に関する基礎知識の習得も必須になってきているのは事実。しかし最後は意欲と人柄。本書の中には現地の事情も分からず、言葉もままならない中、働き始めて人もいる。バンコックで再就職を目指す日本のおじさん向けに人材派遣会社社長から聞いた一言、「就職が決まるのは謙虚な方です」。肝に銘じておこう。


尚本書の表紙はオフィスで私の向かいに座っている旅のお絵かき作家とまこさんが担当している。そのイラストは「リクルートスーツでバックパックを背負う女性」である。

 
【読書感想文】  『悲しみは逆流して河になる』 (郭敬明著 泉京鹿訳 講談社)


パーリンホー(80后)の鬼才、イケメン郭敬明の悲恋学園ストーリー。先日中国のある地方都市の新華書店の店頭で郭敬明の著書多数が平積みされているのを見て、その人気のほどを理解した。


日本と大きく異なり、中国にはテレビドラマのジャンルに「学園ドラマ」がない。以前北京で理由を尋ねると「学校は勉強ばかりでつまらない」「熱血先生なんてありえない」そして「恋愛ご法度、陰湿ないじめも少ない」と解説されたが。


しかし本書を読むと、多少デフォルメされているとは思うが、「恋愛、妊娠、中絶」「陰湿ないじめ」「家庭崩壊」と既に数年前の時点で上海の高校には「日本化現象(先進国病)」が起こっていることが分かる。そして果てしないほどに暗いストーリーは、経済成長著しい上海にもかかわらず、その明るい未来を感じない若者の現実が表現されていて驚く。また昔ながらの長屋暮らしが垣間見られると同時に、成功したものが引っ越していき、金のある子供が成績優秀者となるなど、中国都市部での格差社会を理解することもできる。


本書を読むことにより、現代上海の現実と問題点が把握でき、またベールに包まれた中国の学校の一面を見ることもできる。画一的な中国情報しか得られない日本では、このような小説により、真の一面を理解していくのも一つの方法だろう。おじさんとしては、本書は実に読みやすい形態になっていて助かるが、単純なストーリーの中で、登場人物が死を迎えなければ収まらない中国小説には違和感を覚える。


尚中国原書の背表紙にも日本語が書かれている他、「ザ少年倶楽部」「かわいい」「NARUTO」「BLEACH」など日本のテレビ番組、アニメなどがちらっと出て来る。80后はいわゆる反日教育世代であり、また同時に一休さんやドラえもんなど日本のアニメを見て育った世代でもあることにも注目して読んでみると何かが見えてくるかもしれない。


訳者泉京鹿さんには「兄弟」(余華著)「水の彼方」(田原著)など多数の翻訳本があるが、毎回現代中国の真の姿を見せてもらっている。次回作にも是非期待したい。

http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2156059

 
7月17日(日)
11.ラダック7日目
奇跡の虹
朝、ぼーっと目覚める。今日は早くから尼僧たちの声が弾んでいる。確かイギリスの高校生との交流会がある日なのだ。そう思って気にしないでいると、一人が部屋へ飛び込んできて、「大変だ、こっちだ、空が・・」と言うではないか。慌てて外へ飛び出すと晴天の中、小雨が落ち、そして山のあたりにきれいな虹が架かっていた。




しかもその場所はこの2日間訪れたあのスピトク寺院。これは何か特別なサインだと誰にでも分かる。何しろ降水量の少ないラダックで虹は珍しい。2階に上がるとP師が既にカメラを構えていた。「本当に稀なこと。今回スピトクの法会が成功したと言う意味だ」とこの時ばかりは宗教的に言う。確か今日は1年一度ご開帳されていた曼荼羅絵を仕舞う日。




私は昨日よりリンポチェの転生のことなど考えており、ちょっと不謹慎な思考も混ざっていた。特に人々が6歳の子供を生まれ代わりとして崇める姿にはかなりの違和感があった。しかしこの特別の日に目の前でこういうものを見せられると、考えを変えざるを得ない。「ラダックに行けば何かが見られる」と誰かに言われたが、これだったのだろうか。


ただ後で聞くと別の意見もあった「昨年の大洪水も稀なことであった。雨が降ることはよいことだが、また昨年同様の災害に見舞われるのではないかと危惧している人々もいる。虹が出たことが全て良いこととは言い切れない」果たしてこの虹は何を意味するのか。日本ではよく奇跡を扱う番組があり、素直には信じられないが、今回の虹、私は吉兆と信じたい。こんな所から信心とは生まれるのかもしれない。

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