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犬と会話できないのは人間の問題
降りて来てメインバザールを歩く。ここは一昨日も通っているので、帰り道に迷う恐れもない。電気屋があったので覗く。洗濯機や冷蔵庫は基本的にサムソンかLGの韓国製。テレビは東芝に液晶なども見られたが、やはり韓国勢が強い。携帯は普通の所ではインド製らしい。ちょっと良さそうな店へ行くとノキアなども置いている。兎に角街中にAirtelの広告がある。今や携帯は普及品であろうか。




そこからバスターミナルを通り、延々と歩いた。夕陽がきれいであり、かなりの写真を撮った。本当に美しい景色が何度も出現した。ただどこにも電線があり、少し興ざめするのだが。牛が道路を渡る様子など、ユニークであった。しかし下り坂なのに一向に到着しない。何と戻るのに1時間以上を要した。かなり疲れた。







疲れをとり、汚れを取ろうとシャワーを使おうとしたら、急に電気が落ちた。こうなれば諦めよう。そういうものだ。しかし暗くなって気が付くと、何と他の部屋には電気が来ていた。あれ、と思ったが、ここで皆に電気のことを聞く気にはなれなかった。無ければないでよいのだ。しかし尼僧たちもこの件には気が付いたようで、騒ぎ出し、結局ブレーカーが落ちていたのを直してくれた。それでもシャワーは浴びなかった。

夕飯にチーズのような、ヨーグルトのような物をパンに付けて食べる食べ物が出た。しかし私の前だけにはうどんが椀に入って出された。どうやらチーズやバターは苦手ということが伝わり、配慮があったようだ。有難い。

部屋に戻ると犬が鳴き出した。何か大きな車が入ってきたのだ。そうれは給水車であった。真っ暗な中で、何人かが作業を始め、水を貰っていた。水は本当に貴重な物なのだ。


因みにこの僧院には何匹かの犬がいる。その中でサンとムーンと言う2匹が可愛がられている。P師は私への講話の中で、「サンやムーンも我々とコミュニケートしようとしている。我々が彼らの言葉を理解できないのだ。」と言っていたが、確かにこの2匹は時々私の所へやって来て、異様なまでに絡み付いたり、手を舐めたりする。それは何故なのか、私には理解できないが何らかの合図である。

 
オールドパレス 人と人の間
何だか目的を果たしたような気分になる。そして見上げるとオールドパレスが幽霊棟のように聳えているのが見える。一度登ってみるかと思い、道を探す。ようやく細い道に入り上り始めると向こうから降りてくる人が。また会ったね。昨日ストゥーパで急な階段を一緒に登った日本人、実は今朝もスピトクですれ違っていた。2日間で3度目の遭遇。これは偶然ではないかもしれない。彼もそう思ったのか、いきなり道端に腰を掛け、話を始める。




彼はこれまで彫刻の修行をしており、それを終え、独立して仕事を始める前の最後のバックパック旅行とのこと。約2か月間放浪するらしい。彫刻の仕事の足しにするかと思うが、仏像はやはり日本が一番美しいと感じている。ラダックなどチベット系では壁画に魅力があると言う。


昔は神社の修復、家の欄間の作成など、仕事は沢山あった。今は先ずお祭りの神輿の製作・修理とか。将来日本でどんな仕事をするのだろうか。実に爽やかで有為な若者、何だか楽しみである。


さて、再び上り始める。少し急な階段があったが、昨日のシャンティの経験があり、むしろ楽に感じられる。人間とは「人と人の間」という意味だが、実は人と自然の調和ではないかと思う。標高3500mの高地では、自然、環境に順応しないと生きていけない。現在の我々が言う人間社会はまさに人と人とが徐々に順応できなくなってきているような気がしてならない。


オールドパレス、というより王宮跡。建物は市内を一望できる場所にあるが、今や無人で何もない。ところがこんな場所でも外国人料金100rpを取ると言う。この辺りが街である。何層にもなっており、上へ上へ上るだけ。疲れて来る。しかも基本的に風景は同じ。


こんな急な場所で荷物を担いで登るおばさん達がいた。彼女達は建築中の新しい部分へ材料や水を運んでいた。さすがにきついらしく、はーはー息をしている。これだけの重労働をして一体いくらもらえるのだろうか。しかしインドへ来ると女性が重労働に従事している所によく出くわす。そういうものなのだろうか。


ここには寺院が2つあった。ツォモ寺院には僧は常駐していないとあったが、ちょうど一人の僧が中へ入り、太鼓をたたき始める。その様子を入り口から眺めていたら、僧も私に気が付いたが、何分一人。私への対応は出来そうもなかったので、離れる。


もう一つはソマ。こちらはこじんまりしていて、建物の2階、テラス部分に仏像が安置されていた。あまりに小さいので、入るのを躊躇っていると、右手をかなり怪我している少年が、チケットを出してきたので、思わず20rp支払う。中には小さいが壁画もあり、意外やよい感じであった。よく見ると建物の外側にも壁画が描かれていたので、これだけ見ればよかったようだ。

 
ご縁を頂いている皆様へ


大変遅くなりましたが、第4回恵比寿茶話会のご案内です。

この会は中国茶を通じて『茶縁』を広げる目的で開催するものです。大変気楽な会ですので、お茶好きの方は勿論友達の輪を広げたい方も是非ご参加ください。

また今回より旅の報告会を兼ねて開催させて頂きます。中国茶には興味はないが、旅の話を聞きたいという方、是非ご参加ください。今回は7月に訪問したインド・ラダックです。


・日時   9月10日(土)午後2時より5時まで
(早めに帰る、遅めに来るなど時間は自由) 
コアタイム 3時から4時(この時間帯に自己紹介及び旅話があります)
・場所   恵比寿駅 徒歩7分
・費用   2,000円(お茶のお土産、お菓子代込み)
・参加人数 12名まで(6名以上で開催します)

 
寺子屋チャイナビジネス版にご参加の皆様へ


第4回寺子屋チャイナを以下の日程で開催いたします。今回は「中国の人材市場について」というテーマで人材派遣会社JACの横山さんよりご報告を頂きます。

出席の方は「出席」とのご連絡を頂きたく、お願いします。もし12名を超えた場合はウエイティングとなりますので、早めにご連絡をお願いします。

terakoyachina@gmail.com


テーマ:「中国の人材市場について」
講師: 横山 誠さん(JAC勤務)
開催日: 9月27日(火)19:30~
場所: 恵比寿
定員: 12名
会費: 2,000円


尚寺子屋チャイナのご案内は以下のブログで見ることが出来ます。
特に9月11日の寺子屋チャイナ学生版へのご参加をお願いします。


http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/4487


 

 
レイの街 現代は刺激があり過ぎる
午後はフリーなので、ゆっくりしてから、レイの街へ出掛けてみた。これまでの経験では空港道路まで出て、タクシーを拾うのだが、ちょっと道を間違えたところ、ちょうど村々を通り、レイに向かう道に遭遇したため、歩いて行くことにした。その道は村人が通る道であり、実に穏やかで風情があった。大木もあり、立派な家もあり、木の橋もあった。天気も良く、背後の青空もあり、写真映えがした。




上りということもあり、かなり歩いてようやく車が通るような広い道に出た。しかしそこは舗装工事中で歩きにくく、難儀した。自分が子供の頃、よく道の舗装が行われていたことを思い出す。経済成長期に見られる現象。あの独特のにおいすら懐かしく感じられる。


少し歩いて行くとようやくレイの街の端に到着。そこから道を上がると、ゲストハウスや土産物屋がどんどん出て来た。どうやら外国人観光客向けの通りに出たようだ。店の前に皆出ていて、盛んに声を掛けてくる。あー、俗世だ。と言っても先進国の大都会から見れば、鄙びた街なのであるが。

世俗に触れ、刺激を受けて、急に冷たい飲み物が飲みたくなる。無ければ我慢できるが、あるのに買わないと後に残ると考え、店に入る。冷蔵庫があり、中にコーラがあった。思わず手を伸ばして飲む。ウマい。25rpでこんなに感激するか。更に少し行くとパン屋があり、チョコクロワッサンが売っていた。これもご馳走と衝動的に買い、店の中庭で食べる。これも美味い。不思議なくらいうまいのである。やはり普段とかけ離れた食生活にはそれだけ負荷が掛かっているかもしれない。まだまだ修行が足りない。


今回の滞在で感じたことは「現代の人間はあまりにも心身に刺激を与え過ぎている」ということ。尼僧院生活の基本は「如何に刺激を与えないか」であろう。食べ物にスパイスを利かせない、飲み物はお茶でも緑茶などを避けている。しかしブッダもそうであったようだが、全く世俗から離れて山籠もりするのは仏教では意味がない。世俗と程よい距離に居て、初めて宗教に意味が見出せるのかもしれない。

 
真のリーダーとは 情けは人の為ならず
戻ってみると昼前なのに皆が外でお茶を飲みながらパンをかじっていた。P師に聞くと、改修に関わる建材などの整理だと言う。それにしてもその後の作業を見ると、大きな石を担いだり、砂利を袋詰めして運んだり、かなりのハードワーク。しかもP師が陣頭に立って自らやっているから凄い。これでなければ人は動かない、リーダーの典型のような感じだが、本人に寄れば「土曜日の午前は休日なの。それで普段不足している運動をしていただけ。」と平然と答える。




真のリーダーとはそういうものかもしれない。不言実行、彼女は誰かに指示を出す前に自ら何も言わずに作業を始めることがある。するとそれを見た人々が自然と後から付いてくる。そうして皆の作業が始まると、彼女はあれこれ指示を出す。


日本で会社に行くと、何でも「やらされている感」が強い。まあ、殆どの人はそれを言い訳にしながら黙々と与えられた仕事をこなしていく。ここではそんな感覚はない。自ら動いて行くように仕向け、自ら考えさせ、そして作業効率などを最終的に指導する。


そして自らは「自分は誰かの為ではなく、自分の為にやっている」と言い切れることが重要。ここに仏教の強さがあり、P師の揺るぎのない強さが感じられる。世俗では、「人の為にボランティアをする」などと言っているが、その考え方自体が既におかしいのかもしれない。「情けは人の為ならず」である。因みに最近このことわざの意味を「人の為にならないから情けは掛けない」と解釈する人が多いと聞く。真に世も末である。

 
正直僅か6歳の子が読経中にジッとして居られるはずはないのだが、やはり彼も手を動かしたり、こちらを見たりと、落ち着きはなかった。お付が一人横に座っているが、そちらに向かって何か話したりしている。お付がバター茶を差し出すと嫌がっており、可笑しい。代わりに自分でジュースをストローで飲んでいた。それでも信者が近づくと、男性の頭には手をやり、女性には触らないなど、それなりのルールは身に着けている。




この光景を見て考える。我々から見ると僅か6歳の子供を祭り上げる意味があるのだろうかと。周囲には大勢の老僧がおり、読経を繰り返す。何だか、日本でいえば戦国時代のお世継ぎのようである。しかし違うとすれば、お世継ぎは勢力が無くなれば追い出されるが、彼の体や行為が如何に子供でも、魂は尊敬すべき対象だろう。全く不勉強なので機会があれば是非調べてみたい。


私もドネーションをして、リンポチェに頭を触ってもらおうと思い、僧侶に声を掛けると何を勘違いしたのか、領収書を書いてくれたが、貰ったのはシルクの白い布のみ。やはり信心が足りないと言うことか。神妙な顔で読経に参加しているソーナムに手で合図を送り、お堂を後にする。本来は最後まで居ればソーナムが送ってくれる手筈であったが、自分で帰ることにした。




帰ると言っても昨日から気に入っている徒歩を選択。道は空港の滑走路横の一本道。迷う心配もないし、それほど遠くもない。兎に角この辺り、軍関係の施設ばかり。いや、昨日の道も同じ。軍が膨大な土地を抑えている。と思いながら歩いていると「軍事文化博物館」という建物が見える。入り口は工事中。そこで2人の幼子を遊ばせながら、シャベルで土を掘り返す女性がいた。彼女も出稼ぎだろうか。インドならカーストの問題かと思うが、ここでは別問題のような気もする。それにしても一日いくらの稼ぎもない、この仕事をして子供を育てていくのは大変なことだろう。




博物館に入ろうとすると軍服を着た男性に呼び止められる。60rpだという。何故そんなに高いのか聞くと入場料は10rpで写真代が50rpだと言う。どう見ても写真を撮りそうになかったので、10だけ払う。チケットは当然くれない。中に入るとチケットを売るテーブルがあったが、私をチェックする人間はいなかった。そして展示物は軍の功労者と戦役の展示ばかり。60払わないでよかった。




また雨が落ちてきた。昨日も歩いていると雨が降ってきた。雨が少ないレイでは非常に稀なことではないのか。私は実は雨男?いずれにしてもそれ程強く降ることもなく、45分で辿りつく。

 
6歳のリンポチェ登場
昨日も入った新しいお堂で、既に祈祷が行われていた。ソーナムは私を例の曼荼羅の所へ連れて行き、説明してくれた。その後私の座る場所を示し、どこかへ行ってしまう。見ると既に数人の観光客が座っていた。祈りを聞いていると言うよりは写真を撮ることに夢中で、中にはシャッターの音を大きく響かせ、僧侶が振り向くなど、顰蹙を買うような行為も見られた。ただ彼らは10分ぐらいで、出て行ってしまう観光客。その後も何人もの観光客が入ってきて、写真を撮っていたが、僧侶からすれば儀式を公開することが望ましいのか、疑問に思えた。




私が入って直ぐに、若い僧侶が床に手を着き、3回お辞儀をした。その後音曲が鳴り響き、読経と合わせて、騒がしくなる。そして何故か僧侶の食事の時間となる。各人配給されたご飯とおかずを手かスプーンで食べている。雑談も始まり、休憩といった雰囲気。観光客は一斉に引き上げる。私はこの機会に再度堂内を一周。因みに私にはバター茶が振舞われた。今回P師が飲んでいたのを一度頂いたが、比べても遥かに濃厚。正直これは飲めなかった。24年前のラサではバター茶が飲めないだけでなく、寺院にバターの臭いが付いていて、閉口した記憶がある。


何となく食事の時間に僧侶が増えたのはご愛嬌か。突然ちょっと緊張した雰囲気となる。見ると小さな男の子が僧侶に囲まれ、堂内に入ってきた。あれがリンポチェである。カメラを構えると、ちょうど私の居た方に歩いてきたが、写真は上手く撮れなかった。


リンポチェは転生によって引き継がれていく。先代、いや彼の前世は、ラダックに教育制度を導入したとして高く評価されている。その生まれ変わりには正直興味が沸く。ただ私の座っている方からは全く見えない高い所に座っており、その素顔は見えない。


すると地元の女性が布施でも申し出たのか、彼の前に行き、シルクの布を渡される。その光景を見た観光客が静かに近づき、写真を撮る。私も静かに行って写真を撮ってみたが、フラッシュなしでは写りが悪い。仕方なく、彼が見える位置に移動してそこに腰を落ち着け、かなり長く見てみた。

 
7月16日(土)
10.ラダック6日目

エゴを消し去る
朝5時過ぎに鐘が鳴った。通常よりかなり早い。外もまだ暗い。昨日の話ではヨーガがあるとのことであったが、よく分からない。何か特殊な体操があったのだろうか。今日はことのほか、涼しい。気温は10度台であろう。


ここに来てから、簡単な3度の食事、勿論肉や魚はなく、また間食も殆どしない。以前のヨーガ合宿のように毎日何かプログラムがあるわけでもない。しかし自らの心がかなり落ち着いてきていることが分かる。それは食事だけの問題はなく、この尼僧院の雰囲気、周囲の自然、などが大きく影響している。




日本は相当暑いだろうな、節電、節電で。こちらはクーラーなしで十分に過ごせる。人間の欲望の一部を自然にそぎ落としてくれるようだ。これがレイの街のゲストハウスで西洋人や日本人といれば、ラダックに居ても、また違ったであろう。私が極めて得難い体験をしていることを実感してきている。


それにしても「エゴを消し去る」とはどうやってやるのだろうか。エゴのルートを分析する、と言っていたがこれはなかなか難しい。怒りの転換、確かの全ての人が同じ境地に入れば、恐らく問題はないが・・・。いや、これは他人の問題ではないのだ、自分の問題として一つずつ解決していくべきことなのであろう。


朝9時前に声が掛かり、尼僧の一人ナムの運転する車で私だけが再度スピトク寺院へ運ばれていった。ラモは北部ヌブラの出身で、2007年までバラナシ(ベナレス)で勉強していたが、卒業して戻ってきたと言う。僧院生活は楽しいのだと。10分程度で到着。ラモは携帯電話を取出し誰かを呼び出す。




彼女は「ラマ ソーナムが迎えに来ます」と言い残して帰ってしまう。あれ、どうすれば、と思っていると、頭上のマニ車の横で手を振る僧がいた。上がっていくと流暢な英語で話す。ここに定住している僧は32人、昨日今日明日は特別のプージャ。昨日見た綺麗な曼陀羅を一年に一回クリーニングし、明日には閉まってしまうと言う。所謂ご開陳に遭遇したらしい。

 
スピトク寺院
昼はカリフラワー炒め。これは美味しいが午後の外出に備え控えめに食べる。しかしその後何のお呼びもなく、時間が過ぎていく。P師は相当に忙しいようだ。3時頃P師から声が掛かり、残りの質問をする時間を得た。「敵は自らの内にある」「如何にエゴを消し去るか、人間の体をした野獣であることを捨て、平和に生きられるか」など、心に残る話がいくつも出て来た。




4時になり、昨日の2人、ツォモとスタンジン、そしてハーディも参加して、スピトク寺院へ向かう。この寺院は明日朝大きな礼拝があり、特別に私も参加できるように取り計らってくれている場所。ゆっくり写真を撮る暇はない、ということで、下見のように出掛ける。



先ずは歩いて空港道路へ。しかし昨日とは違い先ず南へ下り、殆ど2つの道路が交わるあたりでバスを待つ。ミニバスがすぐやって来たが席はなく、立っていく。それでも10分ほどで到着。バスを降りると寺院が岩陰に見える。あまり高い所ではないようで、安心して上る。


このお寺もかなり古いようで、15世紀にはできている。その際にはチベットのツォンカパからも贈り物がもたらされたと言う由緒正しい所。入り口には何故か日本語での説明もある。その建物の天井が既に壁画であり、何故か凶暴な鳩?がこれを守るように構えていた。




上ると景色は美しい。この付近には畑もあり、緑豊かな風景となる。反対側には空港の滑走路が見えると言う何となくアンバランスな感じはあるが。本堂は閉まっていた。実はここにはリンポチェが住んでおり、先程彼の乗った車とすれ違っていた。どうやら踊りが下であるらしい。




このリンポチェは前世がラダックに教育をもたらしたとして評価が高い方の転生。僅か6歳だと言う。一番新しい建物に入ると、2人の写真(前世と現世)が飾られている。祈りが行われる場所として壁画もあり、仏像も置かれている。この寺院は歴史が古いのみならず、この辺りの中心的な寺であることが分かる。




景色に見とれていると、昨年ここで外国人が転落死したと伝えられ、ちょっと緊張する。頂上には本当に古い部屋がある。ここは撮影禁止。壁画もかなり傷んでいた。しかし中に置かれていた仏像を見てびっくり。物凄い形相、忿怒尊像と言う名前らしいが、数体安置されている。どんな意味があるのだろうか。




更にここから階段が無い岩肌をつたわり、ブッタ像のある場所へ移動。これが結構難儀。昨日買ったばかりのサンダルを適当に履いており、もし滑ると一巻の終わりという場所もあり緊張。しかしその場所から撮った景色は偶然かもしれないが、実に雲と風景がマッチしていてよかった。








帰りはバスを待つがなかなか来ない。ようやくやって来たバスを見てびっくり。誰一人乗っていなかったのだ。これはラダックでは滅多にない僥倖だろう。おまけに降りるときにツォモが支払いをしようとしたが、運転手は受け取らなかった。これこそ有難いことである。




夕方あの新入り少女がしょんぼりしていた。泣いていたかもしれない。誰かと軽い諍いがあったかもしれない。そういう時は年上のお姉さん尼が間に入り、話を聞いている。基本的には我々が想像するような修行の場と言う厳しさはないが、返って人間的な修行になるような気がした。




夕飯は何故かいつもより人数が多かった。既にここを巣立った、またここから別の場所へ派遣されている尼僧が数人戻ってきているようだ。今日は特別な日であるらしい。そういえば日本でもお盆というのがあるが、旧暦でその時季なのだろうか。夕食後直ぐに特別のミーティングも開かれ、夜遅くまでP師の講話があったようだ。

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