温泉へ
なぜかそのままずっと歩き続ける。かなり歩いて疲れたのに、歩きたい。不思議だ。亀井勝一郎文学碑、石川啄木歌碑など、歩いていると色々とある。そして函館公園。ここはかなりいい雰囲気だった。建物もレトロだし、林がきれいだった。しばし休み、見惚れる。
そしてついに谷地頭町まで来てしまった。立待岬、何だかよい名前だ。行ってみた。啄木一族の墓があり、与謝野晶子の歌碑がある。本当に外れに来てしまった。あの異国情緒の函館とは全く違う、函館があった。
帰りに谷地頭温泉に寄った。本当は湯の川温泉にでも行くつもりだったのだが、時間が無くなったところ、目の前に温泉が現れた。市営温泉、実は民間業者に委託していた。タオルすら持っていなかったが、石鹸とタオルをその場で購入、温泉に入ってみた。
体育館のような天井の高い温泉だった。お客さんはほぼ地元の老人。皆マイ温泉グッズを持って登場。僅か400円ぐらいで日がな楽しんでいるように見えた。お湯も何種類かあり、何度も入った。そして外には露天ぶろまで。そこでゆっくり湯につかり、疲れた足を癒す。これは極楽。日向でおじいさんが裸で寝込んでいた。本当に幸せそうだった。
そして湯冷めせぬように電車で駅へ戻る。最後にラーメンを食べる。1杯500円の普通のラーメンを食べたが、幸せな気分になった。ホテルで荷物を取り、駅前からバスに乗って空港へ。空港では結局チェックインカウンターで手続きして何とか飛行機に乗り込む。今回の北海道旅行、特に何もなかったような気もするが、何か大きなものを得たような気もする。
異国情緒散歩
今日は函館の異国情緒を味わってみようと思う。ホテルから歩き出し、昨晩も通った港付近へ行く。お天気が良く、海の色も映える中、船が停泊している。港町の雰囲気が出ている。そこに高田屋嘉兵衛の記念館があるので見に行ったが、休館日だった、残念。
高田屋嘉兵衛は司馬遼太郎の名作、『菜の花の沖』で何度か読んでいた。江戸時代に北前航路を開拓し、蝦夷地で活躍した商人。だが単に商人の域を超え、日本とロシアの交流に大きな役割を果たしているスケールの大きな人物であり、今に日本の欲しい。高田屋の拠点は函館にあり、いや高田屋が函館を発展させたともいえる。嘉兵衛の足跡も色々と見ることが出来ると思ったが、また次回にしよう。
そして坂を上っていくと、元町教会、正ハリストス教会などが見える。正ハリストス教会といえば東京のニコライ堂が思い浮かぶ。拠点が東京に移った後も正教会の伝統を守っている。函館は日米和親条約で開港された港。キリシタン禁制の時代に既に異人が沢山やってきたのだろう。まあ江戸時代に既に北方貿易などで免疫はあったのだろうが、いや、そもそも日本人も皆外から来た人々がいた、ということか。
修学旅行生が沢山歩いている。ある若い女性がズーッと一人で誰かを待つかのように、道を見つめていた。何か訳アリなのかと思ったが、何と学校の先生だった。しかも遅れた生徒を叱るのかと思い行きや、何と記念写真を撮ってあげている。先生も大変だな、とつくづく思う。それにしてもその先生、なぜかこの函館の雰囲気に合っていた。
外国人墓地は町の外れの高台にある。ここまで歩くのは結構大変だった。そして行ってみると、意外なほど小さい。横に中華墓地もあったが、ここも大きくはない。函館で亡くなった外国人はそれほど多くないということなのか。途中にいくつかお寺があった。ここに葬られた外国人は居なかったのだろうか。
函館の街はなだらかに傾斜して港に向いていた。この傾斜が良い。スーッと坂を転げる。そして様々な建物が残っており、確かに異国情緒はある。でも日本はきれいすぎるな、どこも、と思ってしまう。
港近くを歩いていると、誰からの像があった。見ると『新島襄』と書いてある。そういえば今年の大河ドラマ『八重の桜』の主人公の旦那だった。彼はここからアメリカに密航した。浦賀で失敗した吉田松陰、函館で成功した新島。何とも不思議な。うーん。
6月6日(木)
朝市
函館と言えば朝市、ということで朝市の目の前のホテルに宿泊。昔市場に買い付けに来た人が泊まったのかな、という古い宿で目覚める。ホテルには朝食が付いていたが、何と食券を貰って朝市の中にある食堂に食べに行くシステム。これはなかなか良いサービスだ。
7時台の市場にはそれほどの活気はない。もう商売は終わったのかな、と思うほど。私は指定された食堂へ行き、ハラス定食を食べる。朝から相当のボリューム。素晴らしいと言えば素晴らしいのだが、単価を上げるためとも思える。何しろ朝ごはんが1000円するのだから、庶民の料金ではない。観光客用である。それでも美味しく頂く。
外へ出るとボチボチ商売が始まっている。ようはここは観光市場なのだ。観光客がやってくるのは8時台。日本人観光客が団体で訪れ、ガイドが連れていく店で皆が説明を聞き、買い物を始める。
私はある台湾人家族のグループの後に着いた。これはなかなか面白いフィールドワークだった。台湾人ガイドはまず夕張メロンのコーナーへ案内。切り身のメロンを買わせる。本当に細い切り身は100円。少し幅があるのは250円。彼らは直ぐに250円の物を買い、食べ始める。次にいちご。何故北海道でいちご、と思ってはいけない。彼らは北海道に来ているのだが、日本に来ているのでもある。日本の良い物があれば何でも買うのである。それからホタテ焼き、ジュースなどへ。
http://www.myconcierge.jp/yy/terakoya_china/nikkeiken201310.pdf
とうとうカニやエビの所には立ち寄らない。写真を撮るだけだ。確かに鮮魚などを買っても持って帰れない。それよりその場で食べられるものが好まれる。店の人に聞いても『言葉も通じないし、我々は外国人客に対応できない』と関心を示さない。むしろ私が日本人だと分かると一生懸命売り込む。どうしたものだろうか。中にお婆さんが言葉が通じなくても一生懸命売ろうとしていた姿に『今の日本人には必死さが足りない』という台湾人の言葉を思い出す。
函館山
駅前からバスが出ていた。函館山から夜景を見る、というのも観光コースらしい。特にやることもないので、行ってみた。バスは夕方出る便が多い。夕日から夜景を見に行く人が多いということだろう。バスは函館の街、特に異国情緒が漂う街並みを越え、山道をくねくね行く。途中でチラチラと港の風景が見える。頂上に着くと既に多くに人々が夜景を待っていた。修学旅行生も多い。先生は写真を撮ってあげたり、変なことをしないように注意したり、大変な様子だった。中には車いすでやってくるお年寄りもいた。
函館の街を一望できる山、夕日はないものの確かに夕暮れのよい風景が見られた。かなりの霧がかかっている。時々霧が動いて港が見える。何となく不思議な追いかけっこが行われていた。観光客もその度にカメラを向けていい風景を納めようと頑張る。建物の中にはお土産物コーナーがあり、せっせと買い物している人々もいる。
そして徐々に周囲が暗くなってくる。観光客が増えてくる。スポットは大混雑となる。港の方がライトアップされてくる。霧は相変わらず晴れたり曇ったり。高い建物がないので、香港の夜景とは比べることはできないが、素朴な明かりがそこにある。
バスの時間があったので早めに失礼する。山を下ると、レトロな建物が見えたので、途中で降りてみる。そこは港町がきれいにライトアップされており、観光スポットになっていた。赤レンガの倉庫がレストランになっている。
歩いていると雰囲気は良いのだが夜風が肌寒い。人通りもあまりない。平日はこんなものだろうか。魚を卸す店までライトアップしている。皆で街を盛り上げようとしている。もっと多くの観光客が来ればよいのだが。
6月5日(水)
3. 函館バスで行く
翌朝は本当にゆっくり起きた。そしてバスに乗った。函館行き、普通の人は電車で行くようだが、今回はバスにしてみた。札幌駅の脇のバスターミナルから出発。車内は3列シートで、飛行機で常に通路側を取る私は真ん中の席を選択したが、そんな人はいなかった。3席は十分に間隔があり、更には混んでもいなかったので、両窓際に集中していた。私だけが浮いている感じがした。
バスは実に快適に走る。さすが北海道、車も少ないし、道もよい。2時間半ほど走ると休憩があった。眺めの良い場所だった。有珠山、昭和新山、駒ヶ岳が見えた。何だか昔聞いたことがある。噴火した山だったかな。そんな場所に立っている自分が不思議に思えた。電車ではこんな感じにはならないだろう。ドライブインでサンドイッチを買って食べた。背中に山、目の前の遠くに噴火湾と呼ばれる内海があった。こんな雄大な景色の中でボーっとするのも贅沢なものだ。
函館に近づくと、少しずつ乗客が降りていく。そして函館市内に入り、駅前で下車。今日の宿は朝市の近くですぐ見つかる。この宿は昔朝市に買い出しにでも来た人が使ったのではないだろう。かなり古い。朝市は目の前だった。
五稜郭
函館と言えば五稜郭。駅前から路面電車に乗ってみる。路面電車だからゆっくりだが、見るべきものはあまりない。五稜郭公園前で下車してからも結構歩く。場違いなタワーが出来ており、中もきれいで違和感ありあり。
五稜郭公園はきれいに整備されており、藤棚があり、つつじが咲いていた。公園内の建物は全て最近作られたもので魅力はない。だが、公園の周囲は何となく雰囲気があり、歩いて見たくなる。ここで幕末の戦争があり、終結したのか。何とはなく感慨深い。
裏門には男爵芋の碑が建っていた。何故ここにあるかと思うが、ここにあるのが相応しいようにも思える。周囲は堀で囲われているが、今はランニングコースになっており、人々が汗を流していた。うーん。
帰りは歩いて戻る。駅の近くまで来ると土方歳三最後の地、に出くわす。そう、函館と言えば土方だよな、と思い出す。この碑があった場所はきれいな庭園であり、それも何となくそぐわない。
インバウンドや如何に
午後は街歩き。すすきのの手前、狸小路あたりに外国人観光客が多いと聞き、歩いて見る。平日の昼間のせいか、人通りは多くない。観光客もあまり見られなかった。
北海道と言えば台湾人や香港人、中国人のみならず、東南アジア人全般にも人気のある観光地。台湾は既に20年ぐらい前から毎年多くの観光客を送っており、香港も2000年以降、急激な北海道ブームが起こった。北海道のマンションを買う人、結婚式を挙げる人など、当時香港に住んでいた私の周りでも、多くの北海道好きがいた。
数年前には中国映画の舞台となり、中国における北海道ブームが爆発。映画のロケ地を訪ねる旅など、人気が高まった。ただ昨年の尖閣以降、団体観光客は脚止めを食らい、激減(個人旅行客は逆に増加)。代わってタイ、マレーシア、インドネシアなど東南アジアの国々から注目されている。私が現在拠点にしているバンコックでも『北海道はどう?』と何度も聞かれる。7月以降、観光目的の入国がノービザとなり、日本への旅に拍車がかかっている。
各お店の前には中国語、韓国語、英語の表記などがあり、それぞれ工夫しているように見える。中にはちゃんと台湾・香港向けに繁体字で書かれているものもある。お客が買っているものを見ると、ここでも日用品が多いような気がする。高級な物より、安くてよい物、そんな雰囲気が漂う。高島屋などでは高級品を買っているのだろうか。
夜はご紹介頂いた皆さんと楽しく北海道の幸を堪能した。その中でも、北海道の物産をどのように海外に売っていくのか、観光客をどのように誘致するのか、などの話題が出た。『沖縄は北海道の10倍の予算を国から与えられ、誘致活動を強力に進めている』との言葉が印象的。国内の競争がいい形で日本全体のプラスになればと思うのだが
6月4日(火)
北大を歩く
朝は寒かった。肌が南国仕様になっていることが分かる。だがどうしても行きたいところがあった。北大、今ではこう書くと『北京大学』と思ってしまうほど、遠い存在となったが、北海道大学は実は高校3年生だった私の第一志望校だったのだ。結局共通一次試験が出来過ぎ?で、別の学校を受け、しかも落ちてしまったのだが。
ホテルから北大までは歩いて5₋6分。朝の空気は爽やかで、北海道に来たんだなあと気持ちも昂る。門を入ると緑が多い。公園の中を歩いている感じだ。校舎も独特の建物でよい。こんなところで勉強したかったな(でも勉強は嫌い)。クラーク博士の像もある。この辺は観光スポットで団体さんが記念写真を撮っている。
総合博物館という立派な建物の横を歩き、並木道に出る。まっすぐに伸びる並木を見ていると、ここに来ていたら私の人生は大きく違っていたな、とつくづく思う。そういえば私の高校の同級生は1年アメリカに留学後、東京の有名私立大学を蹴って北大に入学した。あの時は『何で』と皆言っていたが、彼にとってはベストの選択だっただろう。因みのその彼とはその後一度も連絡を取っていないが、週刊ジャンプの編集長をしていたらしい。色々な人生がある。
ラーメンに思う
北海道と言えばラーメン。お昼は特に予定がなかったので札幌駅のビルの上にあるラーメン共和国に行ってみた。ラーメン屋さんばかり10数軒が集結しており、レトロな雰囲気を出していた。時間が早かったせいかお客はまばらだったが、帰る頃には沢山の人が食べていた。
呼び込まれるままに1軒の店に入った。わたしはラーメンは好きだが、正直それほど拘りはない。勧められるままに『こっさり特選醤油』を頼む。こっさり?こってり、さっぱりだろうか。確かに美味しかったが、ちょっとひねり過ぎかもしれない。もっとシンプルな塩ラーメンでもよかったか。
それにしてもどこのラーメンも安くはない。700-800円、中には1000円を超えるものもある。実は入ったお店は旭川が本店。札幌にも店舗が数店あるが、東京にはない。で、シンガポール、香港、台北に支店があるとなっている。これが今のラーメン店だろう。下り坂の日本に見切りをつけて、勝ち組と言われる成功した店はアジアを目指す。そして今ではバンコックに100軒もの日本のラーメン屋さんがあり、さすがに淘汰の時代が始まっていると言われている。いくら美味くても、日本とほぼ同じ料金のラーメンを食べる人は限られる。それでもどんどん進出する。このお店はバンコック進出には乗り遅れたのだろうか。
夕方ラーメン横丁という場所にも行ってみたが、それほどお客がいるようには見えなかった。知り合いの香港人は『札幌に行ったら必ず食べる行きつけのラーメン屋がある』と言っていた。これからは海外進出ではなく、如何に地元にお客を呼び込むか、なのかもしれない。
北海道事情を聴く
紹介頂いたKさんと会う。新聞社にお勤めで北海道内各地の勤務経験もある方。北海道の実情をレクチャーしてもらう。札幌はまずます発展しているものの、地方はかなり厳しい状況。農業、漁業、どれを見ても、規制もあり、後継者もなく、今後が懸念される。元々移民の地である北海道、外から来る人の受け入れには寛容だが、連帯感があるとも言えないらしい。
続いて北海道で起業した中国の方。旅行業や通訳翻訳業をやりながら、新しいビジネスにもトライしている。『尖閣以降、役所の視察・研修旅行はなくなり、企業進出の話も少なくなった。従業員管理や撤退の案件も手掛けている』とのこと。『撤退するのも従業員管理ができないのも、反日のせいではない。半分以上は日本企業の問題』との言葉に共感。言い訳していても前には進まない。
北海道で起業した理由を聞くと『もし金儲けがしたければ東京へ出るか中国へ帰るよ。北海道は儲からないけれど、生活環境が抜群に良い。子供たちにもそういう環境で暮らしてほしい。だから自分で仕事を作って住み始めた』と。全くその通りだ。そういう中国人が数十人はいるという。
外へ出ると札幌の街は寒い。特に沖縄から転戦してきた者として気温15度以下はきつい。大通りでも人の往来はまばら。北海道経済は本当に冬の時代だな、などと考えていたが、何と札幌駅からすすきのまで、地下街が繋がっていた。みんな下を歩いていただけだった。相変わらずガイドブックも持たずに歩くから寒い思いをするのだ。
夜はすすきので食事。昼も会ったIさんと元新聞記者で今は大学の先生に転身したSさんと食事。生ガキなどを食べて、北海道を満喫した。食べ物がおいしくて、時間が緩やかに流れ、広々としている、それだけで住む価値があると思った。でも私は寒いのが嫌い、いや、北京で5年も住んだのだから大丈夫、など思いが交錯した。
2. 札幌
札幌市内まで
新千歳空港に到着。札幌まで電車に乗る。チケットを買わないのと乗れないと思い込み、長い列に並んでいたが、出発時間に間に合わないので駅員に聞いたところ、自由席ならスイカで乗れるというではないか。出張者は指定席を取るために並んでいたのだろうか?車内は特に混んでもいなかったし、僅か30分で札幌に着いた。何だったのだろうか。
車窓から見える北海道。第一印象は高い建物がない、住宅の屋根の傾斜がかなりある、ゆとりが感じられるということ。そして札幌駅に着くと、高い建物はあるものの、やはりゆとりがある。この広やかな感覚が魅力なのだろう。
取り敢えず予約した駅近くのホテルへ行く。非常に接客がしっかりホテルだったが、12時に到着、チェックインは1時からということで、部屋には入れてもらえなかった。今考えれば日本で1時チェックインは、かなり優遇されているのだが、慣れていない私は『たった1時間なのに何で』と思ってしまう。それでも対応が非常に良いので、そのまま従って外へ出る。
時計台で待ち合わせて
私の一つの問題点は『ガイドブックや地図』を持たず、『スマホ』なども持っていないこと。だから待ち合わせ場所へすぐに着けない場合がある。今回まずは北京時代のお知り合いIさんに会うことに。『じゃあ、時計台で』と言われて、歩いていくが、何と道に迷う。そんな、あんな有名なところ、でも初めてなんだから、もっとちゃんと調べていくべきだった。札幌の街は想像通り、碁盤の目のように分かりやすかった。その中で道に迷う?あり得ない。そしてぐるぐる回ってようやくたどり着いた。私の時計台のイメージはテレビで作られたもの。実際目の前にあるのは思ったより小さい本物。やはり見てみないと分からない。
Iさんとランチに行く。近くの洋食系のお店に入る。そこにあったのが、エゾジカのミートソース。シカは昔中国の雲南省などで食べたことがあるが、札幌で食べるとは。どうもシカが多過ぎて、その活用法の1つらしい。大盛りを頼んだら、本当に大盛りで。残念ながらミートソースになってしまうと、シカかどうか分からない。